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満ちた紅
「葉嗣 、今週末の生徒総会の挨拶、考えたか?」
放課後の生徒会室。窓からオレンジ色の西陽が差し込み、俺たちふたりの輪郭を朧げに照らす。
この部屋独特の古びた本の匂いに満ちた、静かな空間。
使いこまれたソファに寝そべり、こちらに視線もよこさず「いーや、まだ。」と漫画を読み続けているのは、この学園の生徒会長、直井葉嗣 。
そして、生徒会長様に太腿を差し出し、クッションと化しているのが俺、副生徒会長の南雲渚 だ。
俺たちは、生徒会の活動がない日、この部屋をしばし私的に占領していた。
静寂の中、パラパラと漫画をめぐる音が響く。
読書の合間に向けられる視線には、気づかないふりをした。
距離の近さに早まった鼓動にも、素知らぬ顔を決め込み誤魔化す。
「はやく考えねえと、また後半部分を即興で考えるはめになるじゃないのか?」
平静を装うのは、得意だ。
「そんなの今どうでもよくね?俺らって今、何してるんだっけ。」
先ほどまで漫画に定めていた視線が、今度は鋭く俺を見上げる。
ジッと見据えられたまま、空いている片方の手で撫でられた太腿。ピクッと示した反応に、葉嗣が口角を上げた。
「……葉嗣、変な触り方す———っ、」
発しようとした言葉は、グッと引かれたネクタイの引力によって遮られてしまう。
「なあ、俺はお前と“恋人ごっこ”がしたいわけじゃねえんだよ。」
鋭い視線はそのままに、国民的漫画の最新刊をノールックでテーブル上へ投げるように置く。
「選挙前にした約束、忘れたわけじゃねえよな?」
有無を言わさぬ声色が、言葉も返せずまごついていた俺を追い立てる。
———あの日まで、俺たちの間にあったのは確かに“友情"だった筈だ。
浜センの口癖を真似てみたり、くだらない事で笑い合った日々。つまらないクソゲーだって、葉嗣に勧められるがまま俺も無心でやってた。
特に会話をしなくても心地よかった、俺たちだけの空気感。
なのに、『なーんかさ、日々の刺激が足りないっつうか……そうだ渚、生徒会長選挙の勝敗で俺と賭けしねえ?』突飛もない戯れ事だと笑って受け入れた約束が、この関係を歪なものへと変えてしまった。
『負けた方が3ヶ月間、勝った方の言いなりになる。内容は死ねとか犯罪系の極端なこと以外なら何でもあり。…ど?面白そうじゃね?』
俺の反応を伺うような視線。緩やかに上がった口角は、いたずらっ子のそれ。
「——忘れてないから、こうして葉嗣の言う通りにしてやってんだろ…?」
まるで俺が悪いとでも言いた気な、刺すような視線。堪らず逸らした視線は、形ばかりに敷かれている臙脂色のカーペットに落ちた。
それと同時に無くなった、太腿への重み。
葉嗣が起き上がったのだと、すぐに理解した。
「そこにさ、渚の主体性は一つも無いわけ?あんな、何の効力も持たねえような口約束だけで、お前は俺にこんなことまで許してるってのかよ…」
ソファの背もたれに縫い付けられ、荒んだ感情のままに重なったのは、柔らかな唇。もう何度したかもわからないほど、伝わってくる感触は俺の中に染み付いていた。
ぬるりとした舌が、唇の間を滑り込む。
やめてくれ、たのむから。
これ以上はやめてくれ…
そう強く願う反面、強張っていたはずの体からは徐々に力が抜けていき、受け入れるように吐息を交わし合う。
口内が、灼けるように熱い。
赤黒い熱が腹の底を満たし、そこに澱んだ色欲を滲ませた。
「っ、ふあ……よう、じ…やめっ、」
やめてなんてどの口が。こんなの、本気で抵抗しているようには聞こえない。
「男同士だから、受け入れらんない…?」
「それ、はっ、」
「なあ、そういうの、全部どうでもいいんだわ。」
至近距離で紡がれた縋るような声。力無く緩んだ拘束に、自由を得た腕が垂れ下がった。
「葉嗣…俺たち、友達には、」
「いまさら、戻れるわけねえだろ」
「でもっ、」
「好きなんだよ、お前のことが…!いい加減、分かれよ!」
「———っ、」
「渚が好きだって俺の気持ちを、無かったことにしないでくれ……俺を選んでよ、渚。」
俺の肩に項垂れるように額を預け、今まで聞いたことのない、悲痛な音を鳴らした。
そんなの、無理だ。
そう、以前の俺ならすぐに口にしていただろう。
でも今は……違う。
知ってしまった葉嗣の感触、触れ合ったときの温度、肌の匂いまで、そのどれもが忘れられない。
「いっそ、奪ってくれたら…俺はもう、それで———」
吐いた言葉は最後、再び重ねられた温もりに、息を呑む音へと変えられてしまう。
“好き”と“情”は別物だって、そんなことくらい、わかってる。
いくら葉嗣とだからって、好意がなきゃ、そう何度もキスなんて交わせるはずがなかった。
背もたれに押しつけられた身体は、グッと身を引こうとするたびに圧迫感を感じる。
クッション性を失いつつある革張りのソファは硬く、俺をその場に閉じ込めた。
「こうやって、奪うだけじゃ足りねえの……分かんない?」
とんっと触れ合った額。擦れる鼻筋。離れた唇の温度が、肌に触れる息遣いでその熱さを実感させる。
この部屋を照らしていたはずの西陽は陰り、薄暗い灰色の空間が俺たちを包んでいた。
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