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第五話【部長】忘れ物で身バレの危機

 名古屋での出張の夜を、青木は夢だと信じ疑っていないようで助かった。  さすがに、酒を飲ませ午前二時を待ちセックスに持ち込むなんて、羽目を外しすぎていたと深く反省している。  青木が私のことを「リョウ」ではなく「山野部長」と呼んだことも、私に「青木」と呼ばせたことも、酒のせいでおかしな夢を見ていたからだろう。  それでも私にとって、五十代の自分が青木に抱かれるという擬似体験ができたことは、大変な幸せだった。  仕事での青木は、以前より少し踏み込んで私を頼ってくれるようになった。懸案事項は面と向かって納得するまで話し合い、部長と部下としてよい関係を築けているように思う。  リョウとしても、季節が進んで街路樹が色付いてきた今も、毎週金曜の真夜中に変わらずヒビキを訪ねている。  マンションのエレベーターを上がれば、玄関でヒビキが待ち構えていて、抱きしめ深いキスをしてくれる。  少しの時間も無駄にしたくなく、キスをしたまま靴を脱ぎ、いつもならそのまま縺れるようにベッドへと雪崩れ込む。  けれど「今日はこっち」と広くはないリビングのソファへと誘導された。  ベッドだろうとソファだろうとやる事に変わりはなく、少しずつ脱がされ、舐めたり舐められたりして、二人とも真っ裸になった。  ただ、いつも常夜灯のみの寝室と違ってリビングは煌々と明るい。そして何故なのか、今夜はいつもよりたっぷりと時間を使って事が運ばれている。 「リョウ。顔、見せて。こっち向いて。ほら、そのトロけそうな顔、すげぇかわいい」  頬から顎をヒビキの指先が辿り「肌も綺麗だな。シミ一つもない。若々しくてツヤっとしてる」と眺められる。  確かに自分でも見惚れるほど、二十才の身体は美しく鑑賞に値する。しかし今褒められたのはあくまでリョウ。私自身がとうの昔に失った物。だからヒビキの言葉に、リョウへの嫉妬が顔を出す。 「見た目なんて、褒めないで……」 「なんで?美しいよリョウは。自信持てよ」  違うのだ、と首を横に振るその姿にも、ヒビキは「かわいい」と言って、キスをしてくれた。  そしてヒビキは、寝室から予め持ってきてあったのだろうローションを手に取り、後孔を指で探る。私が悶える箇所を的確に心得ている彼は、指だけで快楽をもたらしてくれる。 「ヒビキさん、あっ、ヒビキさんっ。指、きもち、きもち、いい、あっ、そこ、ねぇ、あっ、いいっ」  きっとさっきより、ずっと蕩けた顔をしてしまっているだろう。中に入る指の数が増えれば嬌声も大きくなり、気持ち良さの波にザブンザブンと飲み込まれてゆく。    しかしヒビキは、これ以上の行為に進もうとしなかった。指で中を掻き回し、反対の手で胸の突起を弄って、時々内腿にキスを落とす。その繰り返しだ。 「ヒ、ヒビキさんっ、挿れて、もう、挿れて、ほしい、ねぇ」  はしたなく懇願するしかなく、腰を揺らしてその先の行為を催促する。  けれどヒビキは「かわいい、リョウ」と微笑むばかりだ。ヒビキの股間だって先走りで濡れ、酷く興奮しているのが見て取れるのに。  指を抜き差しされ、粘膜が擦れる刺激だけで達してしまいそうになる。 「ダメっ。あっ、もう、もう、指、指だけで、イク、イッちゃう」  意地悪なことに、ヒビキはそこで指を抜いてしまった。 「ど、どうして?」  昂まった快楽のやり処が無くなり、ピクピクと身体を震わせる。行き場を失った熱い感情が一筋の涙として流れ出た。 「あっ、ごめん。ごめんリョウ。ちょっと意地悪した」  涙に慌て謝ってきたヒビキは私を掻き抱く。彼の硬く大きくなっているモノが、下腹に当たる。 「俺だってもう我慢できないよ。でもさ、リョウは終わったらいつも帰っちゃうじゃん。だから、朝までこうして焦らしてたら、ずっと居てくるかもって思ってさ……」  ヒビキはもう一度「ごめんな」と口にした後、ソファの上に寝そべる私の足を持ち上げ、一息に貫いてきた。  そのまま奥へ奥へと強く突き上げられれば、指の先までも痺れるように気持ちがよく、嬌声が止まらない。 「もっと、ねぇ、もっと。あっ、んっいい、いい」 「中、すごい、うねっている……。リョウ、リョウ!」  ヒビキは体勢を変え、更に奥へ奥へと打ちつけてきた。 「イクっ、あっ、イっちゃう、あーーーー!」  共に果てても、私はいつまでもいつまでも腹の中が気持ちよく、包むように抱きしめられながら「ん……」と悶え続けた。  ヒビキは狭いソファの上で小さな子にするように髪を梳いてくれながら、ウトウトと微睡む私に「な、もう一回しよ」と呟いた。  頷きそうになったけれど、リビングの壁にかかった時計を見上げれば、そんな時間は無かった。 「もう一回してさ、泊まっていけよ。朝になったらモーニング食べに行こうぜ。そんで一緒に映画を観よう。そういうのもいいだろ?」  ヒビキが耳元で囁いてくれるけれど、弱々しく首を横に振ることしかできない。  あぁ、この二十才の身体が昼まで続き、そんなデートができたらどれだけいいだろうか。  いや本心は、部長として青木とそんなデートをしてみたい……。  ヒビキの家を出たのは、四時五分前だった。  玄関まで見送りに出てくれたヒビキと別れを惜しむこともできずに、大慌てで五階からエレベーターに乗りエントランスから外へ出る。  小走りで大通りから路地に入り、人気のない住宅街を進む。コンビニの前に置かれたゴミ箱の前で立ち止まって、自分のスマートフォンを見た。  四時一分前。辺りはまだ真っ暗で見上げれば細い細い月が出ている。一瞬意識が飛んだような浮遊感のあと、私は五十四才の身体に戻ってしまう。  溜息をついて、キョロキョロと周りに人がいないことを確認し、着ていたブルゾンを一旦脱ぎ、裏返す。  万が一のことを考え、このリバーシブルのブルゾンを購入したのだ。  コンタクトレンズも、五十四才の眼だと異物感を感じるので、タクシーに乗る前に外し眼鏡に付け替えようとした。  しかし、ブルゾンのポケットに入れていたはずの眼鏡を探すも、見つからない。  もしかして青木の家で脱いだときに、ポケットから落としてしまったのだろうか。  まいった。どうしよう……。  五十代に戻り身体は睡眠を欲しているが、二十代と地続きの心は焦っている。とにかくコーヒーでも飲んで頭をスッキリさせ、対策を考えねば。  そう思いコンビニに入り、テイクアウトのコーヒーを購入した。  コーヒーマシンから紙コップに熱々の液体を注入しながら、眼鏡のことを考える。  すぐにメッセージを送って「忘れ物をしてしまったんです」と伝えるのも、眼鏡の存在を印象付けてしまう気がして得策ではない。  青木は私の眼鏡のデザインなど覚えていないだろうが、万が一ということもあるのだから。  明日の真夜中、また青木の家を訪ねようか。それとも、眼鏡のことは全く触れないようにして、新しいものを購入しようか。  青木はもう忘れ物の眼鏡に、気が付いただろうか?  ひょっとしてメッセージが来ているかもしれないと、カバンからリョウのスマートフォンを取り出し、通知を確認しようとした。  片手にコーヒーを持って、コンビニの自動ドアを通り抜けながら。  ドスン。  店を出たところで、目の前の道を走ってきた人とぶつかってしまった。人の少ない、まだ真っ暗な時間帯なので油断をしていた。  持っていたコーヒーが自分にかかり、咄嗟に「熱っ」と声を出す。  ベージュのズボンにコーヒーの染みができてしまったが、自業自得だから詫びるのは私のほうだ。 「申し訳ない、大丈夫ですか?」  熱さを我慢し顔を上げると、そこには青木がいて「部長?」と話しかけられる。 「え?」 「どうしたんですか、山野部長。こんな時間に、こんなところで。ご近所だったのですか?」  酷く驚き、しどろもどろになってしまう。 「あ、青木……。青木こそ、こんな時間に……どうしたんだい?」 「ちょっと人を探していて」 「真夜中に?」 「いや、あの、友人が忘れ物をしたので、届けようと……」  私は大きく息を吸い込んだ。 「青木の家はこの辺りなの?」  白々しく訊く。 「えぇ、あぁ、そうなんです。よかったらうちに寄って、コーヒーの染みを拭いたほうが……」 「いやいや、こんな時間に申し訳ないよ。それに友達を探していたんだろ?」 「大丈夫です。アイツ急いでいたみたいだから、きっと追いつかないし」  断ろうと思った。話をややこしくするべきではないと。  しかし青木が「部長、今日は眼鏡じゃないんですね」と、意味深に私の顔を覗き込むから、狼狽えてしまう。  だから「寄っていってください」という言葉に押し切られ、青木のマンションに行くことになってしまった。  青木の一歩後ろを歩きながら、頭の中で必死に最も良い切り抜け方を考える。 「このマンションの五階です」  十五分も経たず、またこの場所に戻ってきてしまった。  五階に着き、青木が鍵を開け中に入ると、リビングからモワっとした湿度を感じた。  さっきまでしていたセックスのせいだろう。  青木は急いで窓を開け換気をし、落ちていた丸まったティッシュを拾う。 「すまないね。突然、お邪魔して」 「いえ。散らかってて申し訳ないです。今、タオルを濡らしますから、コーヒーの汚れ拭いてください」  私の頭は、どうするのが最適かまだ正解を出せずにいた。  私がズボンを拭いたあと、青木はこぼれてしまったからと、インスタントコーヒーを淹れてくれる。  その隙にこっそり、リョウのスマートフォンの通知を確認した。 『リョウ、眼鏡忘れてる』 『この眼鏡、誰の?』 『知ってる人の眼鏡に似てるんだけど。ていうか知ってる人の眼鏡なんだけど』 『リョウ、どういうこと?』 『今、どこ?』  五件もメッセージが届いていた。ちょうど四時になった頃に送られたものだ。  私は深く深呼吸をして、コーヒーを運んできた青木に話しかける。 「実はね。今、甥っ子がうちに居候していてね」 「甥っ子?」 「そうなんだよ。もう二十才なんだけど、預かってる身としては、フラフラ遊び歩いたりしないように厳しく接していてね」 「あぁ。それで残業せず早く帰宅されるようになったんですか?」 「ん?あっ、そう、そうなんだ」  口からペラペラと出まかせが出てくる。 「その甥っ子がね、ときどき夜中に家を抜け出すんだ」 「え?あっ、はい」 「いや、いいんだよ。もう大人だしね。でも、ほら預かってる身としては気になったから、ちょっと後をつけてきてね。まぁ、この辺りで、見失っちゃったんだけど」  私の言うことを疑っていないだろうか?と青木を顔を盗み見る。 「それで、そのままぷらぷらと散歩をしていてね。真夜中の散歩っていうのも、楽しいものだね」 「はぁ」 「眼鏡もね、その甥っ子が持って出ちゃったみたいで、今日はコンタクトなんだ。たぶん年齢を上に見せるための小道具にするんだろうね。全く困ったものだよ」  こんな嘘で通用するだろうか?何しろ青木は、あれが私の眼鏡だと気がついているのだから。  話をしながら、とてもとても眠くなってきた。壁の時計を見れば四時半だから青木だって眠いだろう。  大きな欠伸を隠し切れずに、大口を開けてしまう。 「部長、始発まで少し寝ていかれたらいかがですか?ベッドのシーツ、今朝替えたばかりですから。嫌でなかったら是非」  断るべきだった。  これが仕事の判断だったら、断る以外の選択肢はなかっただろう。  でも、本当に眠かったから。青木の声が心地良かったから。何より朝までこの部屋に居てみたかったから。 「悪いね。お言葉に甘えて、ちょっとだけ横にならせてもらおうかな」 「よかったら、スウェットに履き替えますか?貸しますよ」  今このズボンを脱いだら、青木がリョウにプレゼントしたボクサーパンツを私が履いていることがバレてしまう。  酷く眠くてもそれは覚えていて、着替えを拒むことができて本当によかった。  勝手知ったるベッドに入れば、あっという間に深く深く眠りに落ちる……。  窓の外から聞こえてくる子どもが泣く声で意識が少しずつ覚醒する。ゆっくり目を開けると、眠っている「ヒビキさん」の顔が目の前にあった。  明るい光の中なのに、こんな体温を感じる距離で会えたことがうれしくて、手を伸ばしそっと頬に触れる。 「ヒビキさん」の手は私の腰に廻されていて、眠りながらもギュっと力を入れて引き寄せてくれた。  時計を見れば、もう昼近かった。随分と長く寝てしまったようだ。それでも私はもう少しこの甘い時間を味わいたくて「ヒビキさん」に擦り寄り再び目を閉じる……。 「え?」  パチっと目を開け、自分の手の甲を見ると、小さなシミやシワがいくつもあった。五十四才の身体だ。  一瞬、この状況が理解できなくて、飛び起きそうになったが堪える。  いや、え?どうしよう。  青木の腕が私を包み込んでいるから身動きも取れない。  まいった。  そう思案しているうちに、青木も目が覚めたのかモゾモゾと動きだした。  私は寝たフリをするために、目を閉じる……。  青木の手が、バっと私の腰から離れた。慌てているのが、目をつぶっていても分かる。  きっと、リョウと間違えていたのだ。自分が抱きついていたのが、こんなおじさんだと分かりショックを受けているのだろう。  そう思うと、五十代の自分が酷く哀れだった。  青木の顔が近づいてくるのが、気配で分かる。なんだろう?観察されているのか?  暖かい息が顔にかかった。見ないでくれ。こんなおじさんのシミとシワだらけのハリのない顔を。そんなにじっと見ないでくれ。  唇に温かく柔らかいものが、フワッと触れて離れていった。  今のはいったい……?  青木はそのまま身体を起こしベッドを離れた。私はまだ寝たふりを続けている。  しばらくするとコーヒーの良い香りがしてきたから、ノロノロとベッドから出た。 「おはよう」 「おはようございます」 「昨晩はすまなかったね。こんな時間まで眠ってしまったよ。青木は、ソファで寝てくれたの?」 「あっ、いや、はい」 「そう。ありがとう。洗面所借りていいかな?」 「どうぞ。置いてあるタオル、使ってください」  鏡の前で何度も何度も自分の顔を見た。  寝る前にコンタクトレンズを外しているからボヤっとして見えるとはいえ、確かにくたびれた五十四才の顔だった。  さっきの青木は、どう見間違えて私にキスなどしたのだろう? 「部長、大丈夫ですか?」  声を掛けられるまで、鏡の前で放心してしまった。  もしも、もしも。青木が私にキスすることに、嫌悪を感じないのだとしたら。私にも少しだけ希望があるのだろうか?  その場合、私のライバルはリョウなのだろうか?

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