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第七話【部長】時の狭間で性行為

 二十三時。駅からの道を足早に歩いて自宅マンションへ帰宅した。玄関に入ると力が抜け、スーツのまま着替えもせずリビングのソファで項垂れている。  さっきキャバクラで社長が話していた都市伝説の病。すぐに私自身の身に起きている事象のことだと気がついた。キャバ嬢の話を聞きながら、私にだけ起きている現象ではなかったのだと知り、最初はむしろホッとした。  しかし、その後に語られた後遺症の話があまりにショックだったのだ。  若返りの一年が終わってしまい性欲だけが残ったら、五十代の姿をした私が喫煙所で青木の長い指や柔らかい唇を見て欲情するという痴態を、晒すかもしれない。  五十四才のくせに青木に抱いてほしくて、真剣に迫ってしまう日がくるかもしれない。  みっともないエロジジイにはなりたくない。青木に蔑んだ目で拒絶されたくない。処理できない性欲を抱えた日々は想像しただけで辛く、堪えられなかった。あんまりな代償だ。  いっそのこと会社を辞め、青木と距離を置くために実家に帰ろうか。  そんなことも考え始めていた。  二十三時四十五分。  スマートフォンが振動し、画面を見ると青木からの電話だった。慌てて通話ボタンを押すと「リョウくんに会わせてください」と言う。  その一言で、青木も社長の都市伝説話を聞いて、私とリョウの関係に気がついてしまったのだと分かった。そうでなかったら常識ある男が、こんな夜分に突然訪ねてくるなんて言うはずがないから。  青木は怒っているだろうか、まさかリョウの正体が直属の上司だったなんて。今までの行為を気持ち悪く思い、嫌悪しているかもしれない。  さっきの電話は最寄駅からだから、十分もしないで、インターホンが鳴るだろう。  この期に及んで、青木に少しでも良く思われたく、室内に干してあった洗濯物をクローゼットに押し込み、部屋の隅に積んであった新聞紙を縛って納戸にしまった。  手を動かしながらも、若返りに期限があったことで押し寄せる後悔は尽きない。  秋までは毎週だったリョウと青木の逢瀬を、意図的に隔週へと減らしていたのは、リョウの若さに嫉妬していたからだ。  おかしな話だ。自分が自分に嫉妬しているのだから。しかし青木がリョウの見た目を褒めると、五十代の自分が惨めに感じてしまうのだから仕方がない。  どうか五十四才である私にも目を向けてほしいという願望から、リョウの登板を少なくし部長として食事に誘いポイントを稼ごうとした作戦は、当然ながら実を結ばなかった。  こんなことなら、もっと頻繁に若い身体で青木に会いに行き、抱いて貰えばよかったのだ。  深く溜息をついた時、インターホンが鳴った。  零時五分前。  リビングに青木を招き入れる。 「すいません。こんな時間に。どうしても確認し……」  何か言いだそうとする青木の声を上司という立場を利用して遮り、話を始める。 「青木。色々と疑問があるのかも知れないけれど、今夜は勘弁してくれるかい?すまないね、気分が優れなくて」 「あっ、そうでした。大丈夫ですか?」 「いや、少し眠れば治ると思うんだ。リョウは二時間もしたら帰ってくるはずだ。リビングで待っていてやってくれるか?それからリョウにも今夜は難しい話をしないでやってほしい。どうやらあの子はもうすぐ居なくなってしまうから、良くしてやってくれないか……」  頼む、と頭を下げた。  青木は「はい」も「いいえ」も言わずに私を見ている。都合が良すぎる提案に呆れているのかもしれない。あるいは正体がバレたリョウのことなど、抱けるわけがないと思っているのか。  それでも少し間を置いて「待たせてもらいます」と言ってくれた。 「ありがとう。シャワーを浴びて先に寝かせてもらうよ」  あくまで私は、都市伝説など無いものとして振る舞った。  零時半。  シャワーを浴び部屋着に着替え、リビングへ顔を出す。青木はスマホを弄りながらソファに深く座り込んでいた。 「青木もよかったら、シャワーを使うといい」  タオルと簡単な着替えを渡し、私は寝室へと引き上げた。  彼がシャワーを使う音が聴こえてくると、今夜、リョウを抱いてくれるのかもしれないと、少し期待が高まった。  いずれにしろ、ほぼ正体がバレた今、青木とセックスできるのは今夜が最後のチャンスだろう。  午前二時にアラームが鳴るようスマートフォンをセットし、少しでも寝ておこうと私は眼を閉じた。  そう簡単には入眠できずに寝返りを繰り返していたが、いつの間にか夢の中にいた。子どもの頃に飼っていた犬の夢だ。父がどこかから貰ってきたミックス犬で、とても大きく毛足が長かった。  外で飼っている犬だったけれど、あまりに寒い日には私の部屋に入れ、一緒に眠った。部屋の隅にいたはずの犬は、いつの間にか私の布団に入ってきてくれるから、抱きしめて撫でながら眠るのが大好きだった。  犬の温かさを感じ、モフモフとした毛を指で弄び、ピチャピチャとした水音を聴く。  ……。え?  夢の中から急速に意識が浮上すると、私の布団の中に何かが潜んでいるのに気がつき、身体が強張る。  そっと掛け布団を捲ると、信じられないことに私が貸した部屋着を身につけた青木が私の陰茎を咥えていて、目が合った。  慌てて目をそらし、壁の時計を見れば一時五十分。 「ど、どうして?」  ようやく声が出る。青木は私の問いなど無視し、温かい口で丁寧に口淫をしてくれる。 「青木?」  彼が必死に舐めてくれても、五十四才の陰茎はまったく勃ち上がらない。それでも青木はその行為を続けてくれた。  二時。突然、枕元でアラームが鳴る。それと同時に一瞬の浮遊感があり、私はリョウになった。  陰茎もグンと大きさを増し、硬く勃ち上がる。 「リョウ……」  青木に全てを目撃されて、もう何の言い訳もできない。 「すまない」  そう謝ってしまったけれど、その言葉を塞ぐように唇を合わせてくれた。青木は可笑しな都市伝説の病に罹った私が、気持ち悪くないのだろうか?  リョウとして昂ってしまった私の性欲は、もう止まれない。彼の首に手を回し口内に入り込んでくる青木の舌に、夢中で吸い付いた。  青木は「ローションはありますか?」と、丁寧な言葉でリョウに問いかけてくる。引き出しを指差せば、そこからいつも私が自慰に使っているボトルを取り出す。  ローションを纏ったヌルヌルの指が後孔に入り込んでくれば、私はより興奮する。  はぁはぁと呼吸を荒くし、指の動きを誘うように腰を揺らめかせ、青木に先を急がせる。 「ヒ、ヒビキさん」  もうその名で呼ぶ必要はないのに、そう呼べば青木は目を細めて笑い「リョウ……」と声にしてくれた。  指を増やされ、いい処を擦られるから、陰茎から先走りが蜜のように溢れ出る。 「脱いで」  中途半端に膝まで下げられていたスウェットとトレーナーを、脱ぎ捨てる。ヒビキも裸になり、彼の勃起したものが顕になった。  さっきまでおじさんだった私を相手に、勃ってくれたことに安心した。  だから大胆にも彼の腰に跨る。ヒビキの硬さを手のひらで確かめ、自分の後孔に彼の陰茎を充てがう。  ヒビキは余裕の表情で「入れて、リョウ」と私の胸の突起を撫でるから、腰を落としズブズブと埋めていく。 「あっ、んぁっ、んっ、あっ」  徐々に腹の中がヒビキでいっぱいになっていき、苦しくて、でも満たされて、もう自分では身動きが取れない。 「ほら、リョウ。動いて」  そう言われても首を振るしかできない。 「できるだろ?リョウ」 「む、むり、う、動いたらイッちゃう、から、むり」  ヒビキは、ふふっと笑って下から突き上げるように腰を動かし始める。 「やっ、あっ、だめ、あっ」  こんな痴態を晒すのも、二十才のリョウだから許されるのだと思いながら、喉から漏れる高い声を抑えることはできない。  奥に当たる快感に震え呆気なく白濁を飛ばすと、ヒビキも艶っぽい小さな呻きとともに吐精したのが分かった。 「も、もう一回、ねぇ、もう一回、ヒビキさんっ」 「あぁ……朝まで、何度でも、何度でも、しよう、リョウ。かわいいリョウ……」  私は何度も何度も求め続け、ヒビキはそれに応えてくれた。 「ねぇ、また証をつけて」  そう強請って首元を晒し、チリっとした痛みと共にキスマークもつけてもらった。 「エロっ」  自分でつけたくせに、その箇所を指でなぞったヒビキが呟く。そして私の足を自分の肩に乗せ、また硬くなった陰茎で後孔を貫いてくる。  時間を気にせず、シーツが乱れるのも構わず、ヒビキにしがみついて「いい、すごく、いいっ」と嬌声をあげ続けた。  何度目か分からないけれど、またイきそうだ。  中がギュッと収縮してヒビキの精を搾り取るように締め付けている。手の先や足の先までがピリピリと痺れ「あっ、んあっ」と喘ぎが止まらない。ヒビキも随分と良さそうに、息を乱し腰を振っている。  再び突然の浮遊感が私を襲った。そして気持ちがすっと冷める。暴発寸前だった陰茎も瞬時に萎えた。四時になってしまったのだ。  異変を感じ動きを止めたヒビキ、いや青木と目が合う。目の前にいた綺麗な顔をしていたリョウから、年をとった部長の顔に変わって、彼も萎えてしまったかと思った。  しかし更に興奮したかのように「部長、部長、山野部長っ」と更に激しく強く突き上げきて、彼は私の中で果てた。  そして、五十四才の顔にチュッと遠慮がちにキスをくれた。  呼吸を整え、脱ぎ散らかした服を身につける。青木はまだベッドの上で裸で横たわっている。  引き出しの上に置いてあった眼鏡と煙草を手に取り、私は一人、ベランダに出た。  外はまだ真冬の寒さで、部屋に冷気が入らぬよう慌ててガラス戸を閉める。煙草に火をつけた時、青木が吐精した白濁が後孔からダラリと溢れ出て下着を汚したのが分かった。冷たい空気の中、その液体の熱さにブルッと身震いする。  一本吸い終わった頃に、ガラス戸が開き青木もベランダに出てきた。 「一本ください」  煙草を差し出し、火をつけてやる。 「驚いたかい?そりゃ驚いただろうね」  青木は何の返事もよこさない。 「さっきのキスマークも消えてしまうんだよ。ほら」  首元を見せるが、そもそもまだ夜明け前で外は暗く、青木から見えたかどうかは、分からない。  裸足の足からしんしんと冷えて、自然と肩を寄せ合った。  やはり青木は同情してくれているのだろう。私を可哀想だと思っているのだろう。彼はやさしい男だから。 「一つだけ教えてください。一年経つのはいつですか?」 「あぁ。初めて気がついたのは、桜が満開になった日だったんだよ、会社の側の焼き鳥屋に皆で花見がてら行った日。青木もいたね。覚えているかい?」 「はい」 「それより前から始まっていたのかもしれない。だから終わりが来るのは明日だっておかしくない。どんなに長くても残り一ヶ月、桜が満開になる頃だろう」 「クシュン」  青木がくしゃみをするから「寒いね」と二人で部屋に戻った。  五時。  常夜灯のみの暗いリビングで、青木は着て来たスーツに着替えている。  そろそろ電車が動き出すから、と自宅マンションへと帰っていった。見送る時も玄関の照明を付けず、暗いまま見送った。  私の姿を直視して欲しくなかったし、青木だってこんなおじさんとセックスした現実と向き合いたくないだろう。  それでも、玄関ドアが閉まるとき「部長、おやすみなさい」と触れるだけのキスをしてくれた。  私は再びベランダに出て下を覗き、エントランスから青木が姿を現すのを見ていた。  外へ出た青木はわざわざ上を見上げ、ベランダにいる私に気がつくと手を振ってくれた。  見えなくなるまで見送り、シャワーを浴びて下着を替えた。  その日、私は会社を休んだ。どんな顔をして青木に会えばいいのか分からなかったし、酷く混乱していたから。  勤続三十年で、初めてのずる休みだった。  一日中だらだらとベッドの上で過ごし、一歩も家から出なかった。  それでも夜中二時にはアラームを鳴らし、まだリョウの身体になる現象が失われていないか、わざわざ確かめた。  洗面所の鏡の前まで行き身体中を検分し、ちゃんと若返っていることを知れば安心できた。  首を見ると、昨日つけてもらった赤く鬱血したキスマークが、リョウの身体には残っていた。  ベッドに戻り、青木との行為を思い出して自慰をすれば、じきに眠みが訪れる。  ウトウトしながら、昨日の出来事を一生の思い出として生きていこうと決めた。  若返りが終わったら、五十代の身体が持て余す性欲をコントロールする為に、毎晩毎晩自慰をして制御する努力をしていきたい。坐禅や写経に通って精神統一をするのもいいかもしれない。  翌日から、社内ではできるだけ何でも無いように振る舞った。青木とは意図的に距離を置き、煙草も我慢して喫煙所にも行かなかった。  もちろん金曜には、私からもリョウからも青木を誘わなくなった。  しかし、青木が「部長、夕飯を食べに行きましょう」と言う。更に食事が終われば「家に行ってもいいですか?」とついてくる。  青木はリョウとの残り少ない時間を惜しんでくれているのだろうか?  順番にシャワーを浴び、青木がリビングのソファで眠れるよう毛布を用意してやり、私は「おやすみ」と寝室へ籠る。  すると青木は必ず二時少し前に私の寝室に来て、行為に及ぼうとする。  シワが深い私の頬にキスをして、勃たない私のものを咥えて舐める。二時に私が若返れば、以前のように「リョウ、リョウ」と名を呼んで抱いてくれる。  何回かそんな金曜を過ごすうちに、青木は翌朝まで泊まって行くようになった。  近所の早朝からやっているベーカリーまで、青木がパンを買いに行ってくれる。そのパンを食べ、コーヒーを飲み、二人で朝のニュース番組を見ていた。  どうしてこんな状況になっているのか、不思議に思いながら。  テレビの中でキャスターが「今年は例年に比べ桜の開花が早いでしょう」と言っていた。  いよいよ、終わってしまうのだ。青木と過ごす幸せな金曜も……。  青木はニュース画面を見ながら「部長の若返る病、早く終わるといいですね」と言ってきた。  なぜ?どうして?私は疑問でいっぱいだった。

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