1 / 27

第1話 無感覚のα

氷岬(ひさき)さん、あなたαなんでしょう……? 早く、私を満たして……っっ」 発情した匂いを立ち込めさせ、火照った身体を見せつけるΩの女。 その女は仕事で何人もの男の相手をしていたが、上等なαを捕まえて、今の生活から抜け出したかった。 そんな女に目をつけられたのが、女が働く風俗店に客としてではなく経営者側の人間として出入りする、αの男である。 少し冷たい印象のする整った美しい容姿に、目尻にある魅力的な黒子。 一見女性と見紛うばかりの造作だが、すらりとした長身に平らな胸部が、男性であることを認識させる。 その店に出入りしている以上堅気の人間ではないはずなのに、ハイクラスの紳士であるという印象しか持てない、スマートで洗練された男。 氷岬と呼ばれたその男はベッドの上から誘う発情した女を冷めた目で一瞥すると、口元を覆うことなくその女の傍につかつかと近寄り、問答無用で女に抑制剤を注射した。 「な、なんで……っっ」 動揺する女の顔を見ながら、氷岬は口を開く。 「もしかして、私の鞄からα用の抑制剤を盗んだのはあなたですか?」 「……っ」 パッと視線を逸らした女に、氷岬は深いため息をひとつ吐いて、忠告をする。 「あの抑制剤は、私用ではありません。実害がなかったので今回は厳重注意としますが、こうしたやり方は若頭が最も嫌う行為です。もし今回の件が若頭の耳に入ってしまえば、もっと大変な目に遭いますよ」 「……ごめん、なさい」 若頭、と聞いてその女は青褪めた。 数回しか見かけたことはないが、この辺一帯を治めるヤクザの若頭が、組の規律を破る相手には問答無用で容赦のない仕打ちをする人間だという話は、女の耳にも入って来る。 女が氷岬に対して、まっとうに告白でもなんでもするなら、まだ良かった。 しかし、αもΩもお互いに望まない事故が起こらないよう抑制剤を持ち歩くのが常識である昨今、女が勝手に抑制剤を盗んだことは到底冗談ではすまされることではなく、度が過ぎている。 若頭はこうした仲間を陥れるような行為を忌み嫌うし、ましてや氷岬は若頭のお気に入りであり、代わりのいない右腕なのだ。 だからこそ女はこの底辺から救い出してくれるのではないかと期待したのだが、ヒート状態で発情したフェロモンを垂れ流すΩを前に、αであるはずの氷岬が全く動じなかったのは誤算だった。 「もしかして氷岬さんは、αじゃないの……?」 女は首を傾げて尋ねる。 すっかりαだろうと思い込んでいた若頭がβだと聞いた時は、驚いたものだ。 もしかして氷岬も、若頭と同じくβだったのだろうか。 「それは」 「答える義務はねぇよ」 氷岬が口を開こうとすると、低く唸るような声が二人の間に割って入った。 「煌誠(こうせい)さん」 明らかに堅気ではない雰囲気を纏った、氷岬よりも更に長身でがっしりとした体格の男が、煙草を咥えたままズカズカと二人のいる部屋に入って来る。 ただそれだけで部屋の空気がガラッと一変し、この空間がその男に支配されたことがわかった。

ともだちにシェアしよう!