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第2話 ヤクザなβ
「連絡したのに返事がねぇから何してんのかと思えば……なんだ、この女は」
女を見下ろしジロリと睨みつけるこの大男こそ、若頭の勝山煌誠だった。
咥えていた煙草を口から外すと、女の座っていたベッドのシーツに、ジュ、と押し付ける。
真っ白だったシーツに残った焦げた丸い痕は、まるで煌誠の心の中の小さな不快感のようだ。
それを残した女ははだけた胸を隠すように慌ててシーツを手繰り寄せ、身体を丸く縮めた。
氷岬は怯える女を煌誠の視線から隠すように二人の間に割って入ると、話題を変えようと試みる。
「すみません、彼女の体調不良が続いていると聞いたものですから、少し様子を見に来ました。それよりも、随分と早かったですね。集会はもう終わったのですか?」
身長百八十センチある氷岬が隣に立っても、まだ頭ひとつ分、煌誠のほうが背が高い。
エリートであるαを横に置いてなおその圧倒的な存在感を醸し出す煌誠は、恵まれた体躯によりβであるにも関わらず、αに負けず劣らずその道のエリート道を突っ走って来た。
否、本人曰く、βだからこそ、だ。
「ああ、あまりにくだらなかったから抜けて来た。……おい女、それで具合はもういいのか?」
壁になろうとする氷岬の努力もむなしく煌誠から鋭い視線を向けられた女は、肩紐を直しながら青ざめつつも辛うじて返事をする。
「は、はい。もう大丈夫です」
「そうか。ならもう行くぞ、氷岬」
「はい」
煌誠はくるりと身体を半回転させると、もうこの用はないとばかりに大股で去って行く。
氷岬は床に落ちていた女の上着を拾い上げると、薄着の女の肩にそっと羽織らせた。
「では、私はこれで」
氷岬は眼鏡フレームのブリッジを持ち上げながら挨拶をすると、そのまま煌誠の後を付いて出て行く。
「煌誠さん。車を取って参りますので、少々お待ちいただけますか?」
「ああ」
玄関口で煌誠はゆっくり頷き、胸元から取り出した新しい煙草を咥えた。
氷岬は慣れた手つきでその煙草に火をつけた後、青褪めた顔で二人の後ろに控えていたその店の店長に軽く顎を下げて会釈すると、車を取りにその場を離れた。
足早に遠ざかる美しい姿勢のシルエットを眺めながら、煌誠は口を開く。
「……おい」
「は、はい……っ」
店長は慌てて、煌誠の横で更に真っ直ぐ、その姿勢を正す。
「あの女は沈めとけ」
「は……っ、えと、その、先ほどの女ですか? 申し訳ありませんが、あの女はこの店の稼ぎ頭でして……!」
煌誠は肺一杯に煙草を吸い込むと、ふーっとその店長の顔に向けて煙を吐き出した。
「お前、女の管理くらいしっかりやれよ、俺の大事な部下に迷惑かけんな。あの女が氷岬に何しようとしたのか、本当にわかってねぇのか? それともなんだ、女より、お前を沈めたほうがいいか?」
「す、すみません……っ、しかし、あの女はまだまだ稼げるかと」
「同じことを二度言わせるな」
「っ……、わかりました」
二人の間に、沈黙が流れる。
たった数分の時間が、店長にはとてつもなく長く感じた。
氷岬はずっと、こんな人間と行動を共にしているのか。
ならば、毎日どれだけ、時間を長く感じるのであろうか。
そう思わずにはいられない。
「お前のシノギはこの店だけじゃないだろ。他にも色々手ぇ出してるみたいじゃねぇか」
視線が合ったわけではないのに、店長は蛇に睨まれた蛙のように微動だに出来ない。
その一言で、今月の上納金の減額は決して許されないこと、そして同時に組に報告していない収入源があることを把握されていることを、理解させられた。
つう、と店長の背中に緊張で嫌な汗が流れた時、スムーズな動きをした一台の黒塗りの高級車が音もたてずに二人の前に止まる。
「煌誠さん、お待たせいたしました」
「おう。なあ氷岬、今日はお前、俺の家に寄っていけよ。お前の好きそうなケーキを貰ってきたからさ」
「かしこまりました、ありがとうございます」
煌誠は一切の興味を失ったかのように、氷岬と親し気に話をしながらその車に乗り込む。
運転席に回った氷岬は、ふと顔を上げて見送りに出た店長のほうを見ると、小さな声で話した。
「店長。彼女は少し精神的に参っているみたいだから、客を取る回数を少し減らしてほしい。可能ならカウンセラーをつけて」
「……はい」
そう返事をしたものの、その車が去るまで頭を下げ続けた店長は理解していた。
万が一、氷岬を罠にかけて番になろうとしたあの女に温情でもかけてしまえば、自分こそが危うくなるのだと。
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