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【過去編】1.灰色の町をぬけて俺は天国に辿り着いたんだ。

この物語は、ぽやんと素直な青年と、寂しさを抱えた不器用な男が出会い。 殴って笑って、ちょっとバカで、たまにエロくて、少し切なくて、いつの間にか隣にいて、やがて強く結ばれていく―― そんなふたりの、旅の始まりの物語。 ――時を遡ること、三年前。  「ラスヴァン!!!」  錆びたナイフを手に、柄の悪い男が吠えるように突っかかってきた。  ラスヴァンは目を細めてため息をひとつ吐き、静かに構える。  その瞬間、男の足を払うように蹴りを入れ、崩れた体勢に拳をひとつ。  「ぐあ゛っ……ゔあ゛あ゛!」  ナイフは乾いた土に転がり落ち、男は膝をついた。  その男を一瞥し、ラスヴァンは後ろの景色を振り返る。  荒れ果てた建物、喧嘩と怒号、酔い潰れた連中の叫び声……灰色の町、『ヴォルク』。  そして彼は、その町に背を向けた。  荒んだ喧騒の中から一歩抜け出し、肩にかけたボロボロのリュック一つだけを持って歩き出すその背は、年齢よりもずっと大人びていた。  黒髪を短く刈り込んだ褐色肌の青年、ラスヴァン。二十三歳。  188センチのスリムな体に、静かに燃えるような黒い目。  無口で不器用な性格だが、その胸の奥にはずっと、誰にも言えない願いを抱いていた。  ――もう、ここには戻らない。  「ここで……オレの一生は終えない」  肩にかけたボロボロのリュック一つだけを持ち、ラスヴァンは自分だけの道を探す長い旅へと歩き出した。 ———  ヴォルクを抜け出すには、猛獣の棲む森、落石が続く山、流れの早い川という自然の障壁を超える必要がある。  けれどラスヴァンは、生まれつき大柄で、力が強かった。  幼い頃から森で獣たちと戯れ、戦い、馴染んで育った彼にとって、森は“庭”のようなもの。  今では、猛獣は彼に一目置き、牙を剥くこともない。  無意識のうちに、どこにも持っていけない寂しさを、獣たちに通わせていたからかもしれない。  ラスヴァンは、死んだ獣の牙を形見のように集め、それは今も彼の手の中に残り続けていた。 ———  山に差しかかると、足元に混ざり合う黒と灰の石が転がっていた。  その山は険しく、足元が滑りやすく落石も多かった。普通の人間なら命を落としかねない。  けれど、この山を越えないと『ヴォルク』から抜け出せない事を、ラスヴァンはわかっていた。  「ずっと一緒にいてくれるやつを見つける……大事にできる存在を……」  そう呟き、つぎはぎだらけの寝袋にくるまり、焚き火の灯りに照らされながら眠りについた。  次の日から彼は、爪が割れ、足に豆ができても登り続けた。    三日目。ついに山頂に辿り着く。  眼下に広がるのは、緑に包まれた美しい風景。  森に囲まれた、小さな屋根が点在する村のような場所が見える。  「……あれ、村……? 町か?」  はじめて見る、穏やかで静かな光景に、ラスヴァンの心が膨らんだ。  素直にその場所へ行ってみたいと思った。  その瞬間だった。  ズザッ!  足が滑る。  「くっ!!」  体勢を立て直す間もなく、ラスヴァンの体は斜面を滑り落ちていく。  ズザザザザザーーーッ!!  ボロボロのリュックは、滑落の衝撃で肩からずり落ち、背中がむき出しになる。  そこを岩肌が容赦なく擦った。  尻もちをつき、背中を擦りむき、手で必死に止めようとするも、止まらない。  「っ!! ぐう゛っーーー!!」  『死ぬ……! こんなところで——』  脳裡にそんな考えが横切る。    ッギシ!!  ふいに、ラスヴァンの体が止まる。  リュックが岩に引っかかったおかげで、命拾いする。  「っはあっー……はぁ……死んでたまるか……」  空を見上げて、深く息を吐いた。  そして彼は、ボロボロになりながらも、慎重に岩場を下りていった。 ———  数日、睡眠もろくにとらず歩き続けた。  川のせせらぎが聞こえ、草の感触が足元に伝わってくる。  「……なんだよ、ここ……まさか天国じゃねえだろうな……」  美しい小鳥、小さなけもの、足元には柔らかな草と、見たことのない色の花々。  ラスヴァンは裸足になり、確かめるように草を踏みしめた。  「……夢じゃねえな……」  目の前に広がるのは、穏やかで、優しい世界だった。  故郷にはなかった色と香りに、思わず笑みがこぼれる。  だが。  「う゛……」  緊張の糸が切れたその瞬間、眩暈が襲う。  力が抜け、膝をついた。  意識が遠のく。  そのとき——    「ーー大丈夫ですか!?」  聞いたことのない、けれど、どこまでも優しい声が響いた。 ———  その後、ラスヴァンは夢を見た。  キラキラと光をまとった綺麗な髪の天使と、ゴツい森の熊が現れて、  流れの早い川にかけられた丸太の端を渡りながら、自分のことを向こう岸まで運んでくれた。  天使はその後、そっと膝枕をしてくれて、何度も自分の頭を撫でてくれた。

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