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第二章 侵入者
その男が研究施設に現れたのは、カナンの発情期から一週間後のことだった。
「新しい警備主任のレイだ。よろしく」
大柄な体躯、鋭い眼光。半獣人特有の獣の特徴は薄いが、その存在感は圧倒的だった。
祷は差し出された手を、一瞬の躊躇いの後に握った。
「研究者の祷です」
「知ってる。βの研究者が、Ωの獣人を使って実験してるんだろ?」
レイの口調は挑発的だった。祷は表情を変えずに手を離す。
「研究です。実験ではありません」
「同じことだろ」
レイが肩をすくめる。その仕草さえ、どこか威圧的だった。
「まあいい。俺の仕事は施設の警備だ。研究内容には口出ししない」
そう言いながらも、レイの視線は値踏みするように祷を見つめていた。
研究室に戻ると、カナンが不安そうな顔をしていた。
「どうした?」
「なんか、変な匂いがする……」
カナンの鼻がひくひくと動く。獣人の嗅覚は人間よりはるかに鋭い。
「消毒液か何かだろう」
祷がそう言いかけた時、ドアが開いた。
「おっと、仕事中か」
レイが立っていた。カナンが小さく息を呑む。
「何か用ですか」
「挨拶回りだよ。全部門を見て回れって言われてる」
レイの視線がカナンに向けられる。その瞬間、カナンの身体がびくりと震えた。
「可愛い子猫ちゃんだな」
「カナンです」
祷が間に入る。レイの視線を遮るように。
「研究中ですので、手短にお願いします」
「ああ、悪い悪い」
レイが一歩下がる。だが、その口元には薄い笑みが浮かんでいた。
「でも、一つ忠告しておく」
「何でしょう」
「その子、もうすぐ発情期だろ? 匂いでわかる」
カナンが息を呑んだ。祷も驚きを隠せなかった。前回の発情期から、まだ一週間しか経っていない。
「Ωの発情期は、αが近くにいると誘発されることがある」
レイが意味深に笑う。
「俺、一応αなんだよね。抑制剤飲んでるから、普段は匂い消してるけど」
祷の顔が青ざめた。αが施設にいるなんて、聞いていない。
「心配するな。ちゃんとコントロールしてる。でも——」
レイがカナンを見る。その視線に、カナンは小さく震えた。
「獣人には、隠しきれないみたいだな」
ドアが閉まる音が、やけに大きく響いた。
残された部屋で、カナンが祷の袖を掴む。半獣人は獣人と人間両方の特性を併せ持つ。獣性が勝り、街で性被害を出さないようにと、常に理性をコントロールするための抑制剤を飲むよう言いつけられている。α性もその抑制剤で抑えられるのかと言われると、まだ研究の段階だ。獣性は抑えることができる。しかし、――
「祷さん……」
「大丈夫だ」
祷はカナンの頭を撫でた。柔らかい髪と、ぴくぴくと動く耳。
「私がいる」
でも、その言葉がどれほど無力か、祷自身が一番よく分かっていた。
βの自分には、αのような力はない。カナンを守ることも、発情を鎮めることも——
「祷さん」
カナンが顔を上げる。不安と、信頼と、そして何か別の感情が入り混じった瞳。
「ぼく、祷さんがいれば大丈夫です」
その言葉が、かえって祷の不安を煽った。
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