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「帰らない、これからはお前の側にいるよ」 そう言いながら、トガクはそっと正幸の頭を撫でる。その柔らかな、どこか照れくさそうな表情に、正幸はきゅっと胸が苦しくなった。 「ゆ、夢じゃないんだよね?現実なんだよね?」 「現実だっての」 そう笑って、トガクは正幸の頬を摘まんだ。「いたい」と、正幸は反射的に声を出せば、トガクは楽しそうに笑って、それから摘まんだ頬を撫で、優しく微笑んだ。 「夢なんかにしないでくれ」 その頬の微かな痛みよりも、目の前のトガクがまっすぐとこちらを見つめるその姿が、本当に現実だと、本当にトガクがここにいるのだと教えてくれているようで。 ずっと待ち焦がれていた、諦めかけては捨てられなくて、それだけが希望だった日々が、今、過去になる。 交わした約束が、その待ち続けた未来がここにあるのだと、この先も続いていくのだと、徐々に実感が沸いてくれば、また正幸は、涙が溢れて止まらなかった。 「いつの間にか、泣き虫になったんだな」 「…しょうがないだろ、止まらないんだ」 「なら仕方ないな」 そう困ったように笑って、トガクはその腕に正幸を抱きしめた。 「やっと、抱きしめられた…」 ぎゅっと力のこもる腕に、正幸はトガクの体温を、その思いを改めて感じてしまい、胸の奥がきゅっと苦しくなって、トガクの背中にしがみつくように腕を回した。ぽろぽろと止まらない涙が、トガクの着物に跡を滲ませる。トガクの温もりが、移る涙を溶かすみたいで、それがまるで、トガクと同じ時間を生きている証のような気がして。 正幸は、幸せの安堵に包まれていた。 * それから、少し気持ちが落ち着いて、正幸の涙がようやく止まると、トガクは正幸をベッドに寝かし、あれこれと世話焼きに駆け回った。 正幸の額には冷却シート、体温を測って、薬を飲むためにお粥まで作ってくれた。その様子に呆然としていると、トガクはそんな正幸の顔を見て、得意気に笑った。 「どうだ?これなら、人の中でも生活出来るだろ。お前といる為に、色々と教えてもらったんだ」 トガクとの未来を思い描いた正幸の思いは、一方的ではなかった、トガクも自分との未来を考えてくれたのだ、そう思えば、嬉しくて仕方ないのは本当なのだが、正幸にはどうしても気になることがあった。 トガクは一体、どこで料理やら人の生活を学んできたのだろう。 「…それって、誰に教えてもらったの?」 疑いたくはないが、気持ちが上手く抑えられず表情に出てしまう。正幸が、思わずじとりとトガクを見上げてしまえば、トガクはまた気が良さそうに笑って、正幸の頭を撫でた。こんな仕草をされると、本当に歳を取ったのを忘れてしまいそうだ。 「支援者がいるんだ。お前が思ってるような仲じゃない、ただの仕事相手っていうか、まぁ協力者だな。妖に理解のある人間達でさ、今度紹介する」 人間達、ということは、一人ではないのだろうか。紹介してくれるということは、自分が勘繰ったような仲ではないのだろう。 正幸はひとまず安堵して、それから、もう一つ気になっていた事について触れた。 「ありがとう…。あの、じゃあ、あの服は?あの黒いスーツやサングラスとかも、その人達が?」 今は、本来の妖の姿なので、見慣れた着物姿だが、人に化けた時、トガクは黒いスーツ姿だった。 全身黒づくめで、花柄の派手なシャツ。似合っていない訳ではない、寧ろ着こなしていたくらいなのだが、町では異質で浮いていて、誰もがどこかのチンピラだと、結果的に不審者だと仕立てた格好だ、目立たないようにするなら、もう少し工夫が出来たような気もするが。 しかし、正幸の問いかけに、またもやトガクは得意気な笑みを見せた。 「やっぱり黒がしっくり来るんだよなーって言ったら、見繕ってくれた。スーツ着てりゃ、まともに見えんだろ?なかなか自分でも、いい線いってると思ってたんだよ。良いだろ?あの格好」 「え?えっと…そう、かも?」 どうやら、トガクはあのスーツ姿を気に入っていたようだ。それを知り、正幸は戸惑いつつ苦笑った。 それにしても、トガクが人間の価値観に疎いとしても、見繕ってくれたという人は、どういうつもりでトガクにあの服をあてがったのだろう。 トガクをからかっているのか、単純に趣味なのか。それともまさか、怖い職業の人だとしたらどうしよう。トガクが紹介すると言ってくれた人物も、やはりその人なのだろうか。 正幸は、会った事もないその人物を想像し、まさか危ない取り引きに巻き込まれたりしないだろうかと、想像力豊かに悩みを深めていた。突如、黙り込んだ正幸に、トガクはふと思いついたように身を乗り出した。

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