1 / 2
名前を持たないきみへ
「今日もいい子にしていたみたいだね」
提出された報告書を確認しながら声をかければ、それは僕の言葉に答えるかのようにキュウ!と鳴いた。
分厚い強化ガラスを挟んだ向こう側に収容されているのは一年ほど前に発見された未確認生物だ。自身のチームで保護観察を始めてから半年ほど経過したが、分かっているのは四足歩行であること、肉食寄りであることくらいで、未だにこの生物が何なのかはっきりとしていない。
僕たちはそれなりに多方面の知識を持っているはずなのだけど、それらを総動員しても結び付けられないのだ。突如として観測され、一部で噂が広まっていたこの生物は一体何なのだろうか。
発見から捕獲に至るまでかなり早かったらしいとは聞いているが、負傷者もそれなりに出たとも聞いていた。詳しいことは分からないものの見た目の特徴やサイズからも負傷者が出たという話は頷ける。目測でしかないがこの生物の腹の下へそれなりに身長の高い僕が身を屈めることなく立ててしまうのだ。何もせずそこにいるだけで威圧感すらある。
「ん……? きみ、あまり食事をとらなかったのか。今日のメニューはお気に召さなかったのかな」
報告書から顔をあげて恐らく顔であるところへ視線を向けると、それはゆったりと首を傾げた。言葉が通じているのかは分からないが、ついつい話しかけてしまうのは僕の癖だ。こちらの反応を伺っているのかそのままじっと見つめ返されているように思えて笑ってしまう。
「明日は以前のメニューに戻すように伝えておくからね」
キュ~、クルル……と鳴くと器用に足を折りたたんで、猫がする香箱座りのような体勢になってこちらに顔を近付けてきた。緩慢な動きではあるがそのサイズが故に様々な衝撃は大きくなる。ごんっと鈍い音がするまで顔を近付けると動きを止めて、やはりこちらを見つめているように感じた。
ガラスがあることは理解しているようだが、こちら側に強い興味があるようで、こういった行動は見慣れたものとなっている。まるで子供が窓に貼りついて外を眺めるように、興味のあるものをそれこそ何時間でも見続けられてしまうらしかった。
そういった部分からこの生物はまだ幼体なのではないかと考えたが、これも結び付けられるだけの情報が足りていない。まだまだやることは尽きないだろうな。僕が死ぬまでにこの生物の解明ができるのだろうか。……それについては正直怪しいと思っているが、次に託すまでにはこの生物の名称くらいは決まっているといいな。いい加減呼び名がなくて不便しているから、本当ならすぐにでも決めてしまいたいんだけど。
「きさ」
「!」
名前を誰かに呼ばれたような気がして、思考の海に沈んでいたのが一気に浮上していく。思わず辺りを見回してしまったが当然誰もおらず、この部屋には僕とこの生物しかいなかった。施設内含め収容された生物たちの最終チェックをするべく報告書を片手に訪れたのだ。ここは時間がかかると分かっているから一番最後にしている。当然他の職員はとっくに退勤済みだった。
……空耳かな。鳴いている声と他の何かの音が混じってそう聞こえたのかもしれない。遅い時間なのは確かだから、早く帰って休むとしよう。
「遅くまで付き合わせてごめんね、また明日来るよ」
パネルを操作して収容部屋の明かりを消し防護シャッターを降ろす。その間もどこか寂しそうな声で呼び止めるようにキュ~、キュ~と鳴き続けていた。これもいつものことだ。シャッター越しに「おやすみ」と声をかければ、クルル……と喉を鳴らして答え、僕が部屋を出ていったのが分かるとまた鳴き始めた。
正確な数は覚えていないものの多くの生物たちと関わってきて、自分が生物たちに対して愛着が湧きやすいということは自覚している。当然この生物も例外ではなかった。
発見後半年間は別のチームが担当していたが、そちらでは上手く事が進まなかったらしく僕のところへ送られてきた経緯がある。ここへ来てすぐの頃は何に対しても反応が鈍かったのに、今ではあんなに沢山の反応を見せてくれるのだ。例え自分よりも大きかろうが、愛着くらい湧く。
「いつか直接触れ合えるといいんだけど……」
ふ、とため息をついて施設を出る。まだあの鳴き声が聞こえてくるような気がした。
ともだちにシェアしよう!

