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第1話 太郎5才

 ※この物語はフィクションです。いかなる既存の組織とも一切関係ありません。似て非なるものです。あくまでも想像上の物語です。そこのところ、よろしく。※  秋になった。陽の光が明らかに夏とは違う。 何もかもがクッキリと形を持つ。 「てつぅ、抱っこ。」 「太郎はもう上手に歩けるだろ。」 悲しそうな顔に根負けして抱き上げる。  母のない子の寂しさを思う。 5才になった息子の太郎。出産と同時に母親を亡くした。  妻の美咲とは学生結婚だった。子供が出来て大学を休学していた美咲。復学の夢を諦めない美咲の希望で大学の近くに住んだ。それなりに友達も多い町だった。  思わぬ難産で、美咲は命を落とした。徹司は泣き暮らしたが、太郎の存在が支えてくれた。  結婚と同時に立ち上げたウェブデザインの仕事がうまくいって、リモートで仕事が出来たから、 一人で子育てをしている。 「徹ちゃん、太郎、おはよー?」 「もう昼だよ。おそよーだよー。」  夜職の草太が昼間、子供の面倒を見てくれる。 自分の子のように溺愛している。 「たろ、いい子にしてたか? 草太とお買い物に行こう。 なんか買ってやるよ。」  みんな美咲の事はよく知っている。 手を繋いで歩いて行く。 「お手ェて、つないでぇ、 のみちをーいけぇばー。」  終わりにはキュッキュッという。 「靴が鳴る音だよ。」 「キュッキュッなんて鳴らないよ。」 「そうだな、運動靴だとキュッキュッって鳴らないな。長靴がいいのか?」 「うん、ながぐつすき!」 ついでに長靴を買う。 「たろは水たまりに入るのが好きなんだっけ。」  長靴は万能だ。小さいあぜみちの小川にも入れる。海岸に行くと波打ち際を歩ける。 「海に行こう!」 「また、徹司に怒られるな。」 砂だらけになる。それでも海は楽しい。穏やかに凪いでいる夕方の海は、楽しい。  でもすぐに日が暮れる。 「ただいま。材料は買ってきたけど、作る時間が無くなっちゃった。カレーの材料。」 「ああ、ありがと。 また、海に行ったな。砂だらけ。」 「楽しかったよ。変な形の貝殻あったよ。」 「あ、それ、シーグラス。 ガラス瓶のかけらだ。」 もうツルツルになってる。 「きれいでしょ?」 「ああ、そうだな。」  小さな仏壇にお供えする。 「美咲ちゃん、お土産だよ。」 (ああ、太郎は母親を知らないんだな。) 父も母も名前で呼ぶ。パパでも,ママでもない。

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