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第1話

 高校受験に失敗した俺は、実家がある町から遠く離れた“偏差値最底辺を争うような”東京の高校に通っている。  入学したての頃は、まぁまぁ新幹線や電車を乗り継いで通ってはいたけれど、やはり家が遠いと友達付き合いも難しいし、金銭的なコスパも超悪い。  学校が終わって、直帰して、宿題をして、寝るだけの高校生活に辟易した俺は、「どうせ遊んで学校行かなくなるに決まってるだろう!」と父親が反対する中、母親が背中を押してくれたこともあり、夏休みに一念発起して一人暮らしする事を決心した。 ──────  8月31日。 俺は新しく暮らすはずのアパートの玄関前で、荷物を床に置いたまま、ただ呆然と立ち尽くしていた。 「あんた、誰?ここ俺の家なんだけど」  玄関の鍵を開けると誰もいないはずの部屋の中から住人が出てきて、部屋の所有権を主張する。俺の部屋のはずのアパートの一室は既に他の人間の住居となっていたのだ。 「……はぁ!? え? 今日からここに住む予定の者なんですけど……」    驚きすぎて変な敬語になってしまったが、ここは譲るわけにはいかない。前金はもう払い終わってしまった後だし、今更住む場所を変えろと言われてもどうにもできないからだ。  鞄に入っていた契約書類をガサガサと取り出して、その見知らぬ住人に見えるように目の前に突きつける。 「これ、この部屋の契約書です!」  相手の顔を睨みつけたが、男は部屋に戻ってガタゴトと引き出しを探した後、書類を持って俺の前に戻ってきた。 「2024年、4月2日、契約者。ここ、俺が契約済み」  男の差し出した書類には確かにそう書かれていた。俺も自分の書類をもう一度確認するが同じ部屋番号の契約になっていることは間違いないようだ。  まさか不動産が二重契約したとでもいうのか。慌てて不動産屋に連絡すると「あっれぇ?おっかしいなぁ~」と言いながら電話口で謝られたのだが。謝られても、俺はもうこの部屋に住むつもりで荷物やらなにやら配送してある状態なのだ。 「どうにかしてくださいよ、俺、長野の田舎から出てきたばっかなんすよ?」  しばらく玄関の戸の前で不動産屋と喧々諤々口論していたが、すぐに別の部屋が手配できるわけもなく後日改めて来てくれと言われてしまったのだった。 「どうしよう……」  強引に電話を切られて呆然自失になっていると、事の始終をみていた男が声をかけてくる。 「……お前、今日泊まるとこ、ないの?」 「……ない」  半泣きになりながら目の前の男を見つめる。どうしてこうなったんだ、上京初日から路頭に迷うとは思わなくて半ばパニックになってしまい、どうしたらいいのか分からないでいると、目の前の男は「とりあえず入れよ」と扉を開いて俺を招き入れてくれたのだった。 ───────────────……   部屋の中は家具がほとんど置かれておらず、男も引っ越してきたばかりといった様子なのかダンボールがいくつか置いてあり荷解きをしていない様子がうかがえた。 「ありがとう、見ず知らずの俺を助けてくれるなんて……」 「いや、玄関前で泣かれたら困るし」  あぁ、そう言う事か。とほほ、と肩を落としながら靴を脱いで部屋に上がる。俺の部屋になるはずだったその部屋は驚くほど殺風景だった。床の上に申し訳程度に敷かれた薄い敷物に座ると、男は冷蔵庫から水の入ったペットボトルを取り出して俺に一本手渡してきた。 「荷物、家に届くように配送したんだろ?それまで家に居ても良いよ」 「……ほんと?いいの……?」 「いいよ、知らない奴の荷物が届いても俺困るし。ちゃんと受け取ってもらわないと」 「あー……そうだよね、どうしよう家具とか全部揃えちゃったんだけど……」  ガックシと首を落とすと、その男はスマホを取り出して何か操作しながら口を開いた。 「あんたの所為じゃないだろ、不動産屋の態度悪かったよな。俺があんたの立場だったら同じように困ってただろうし……」  ボサボサ髪に黒縁メガネをかけたこの男は、見た目は暗くて嫌味そうな雰囲気だが、意外と人の心があるらしく俺が新しい部屋を見つけるまではこの部屋でルームシェアをしても良いと言ってくれた。 「ただし、家賃はそれまで折半だから半分払えよ」 「うす。俺、秋生、えぇと……」 「冬馬だ」  握手をしようと手を出したけれどその手はスルーされ、彼はスマホから視線を離さずにそう言った。  優しい奴なのか冷たい奴なのかイマイチよくわからん奴だなあと思いながら手を引っ込めて、もらったペットボトルの水を飲む。  これから新しい部屋が見つかるまでの間、この人と上手くやっていけるのだろうかと不安になったものの、なんとか生きていけそうだという事実に少しだけ安堵するのだった。 ───────────────……  翌朝目覚ましの音で目覚めた俺は、カバンから歯ブラシと洗顔フォームを取り出し洗面所へと顔を洗いに向かう。歯を磨いていると、のそりと背後より現れた冬馬が俺の首筋をかすめるように腕を伸ばし、鏡の前にある歯ブラシを手に取った。 「おはよ……」  咄嗟に左側に立ち退いて距離をとると、冬馬は「はよ」と短く返事を返して歯ブラシにたっぷりペースト状の磨き粉をつけてシャコシャコと音を立てて歯を磨き始めた。   昨日の今日ですっかり忘れてしまっていたが、この男とは昨日初対面であり、更に言ってしまえば期限付きでルームシェアをしている仲なのだ。  相手が女の子であれば多少ワクワクドキドキの展開もあったかもしれないが生憎野郎同士となると気まずいことこの上ない。 ましてやそれが全く知らない人間ともなれば尚更である。  ちらりと横目で見ると、俺よりも頭二つ分背の高い冬馬は眠そうに鏡を見つめながら、左頬にできたニキビを気にしていた。 「最悪、ニキビだ」  独り言のように呟きながら歯を磨き終えた彼はシェービングクリームを片手に持ち、洗面台下の収納棚から小さなケースを取り出した。その中からカミソリを取り出すと慣れた手つきで顎の下あたりに刃を当てる。  じょりっと小気味いい音がしたかと思うと剃刀についた泡が彼の肌を滑り落ちていくのが見えた。   そう言えば冬馬は何歳なのだろうか、随分と大人びて見えるから少なくとも成人はしているのだろうが見た目だけでは判断がつかない。  ぼんやりと観察していると不意に視線がぶつかった。慌てて目を逸らすものの時既に遅く、冬馬は何も言わずにただじっと俺の方を見ているようだった。 「何」  ぶっきらぼうに声をかけられ、まるで責められているような声色に何も悪い事はしていないのに思わずビクリと肩を揺らす。 「あ……ごめん、何でも無い」 「……そ」  気まずい空気に耐えかねて逃げるようにその場を離れ、バタバタと鞄の中から髭剃り道具を探し出して洗面所に再び向かうと、顔を洗い終えた冬馬がまだニキビを気にして鏡を見つめていた。  後ろから近付いて覗き込むようにして見ると、彼は長い指でニキビを挟み込み、プチリと皮膚を押し潰すようにして潰していた。 「うわ痛そーっ……!! 何してんの?!」 「煩……」  驚いて声を上げるが当の本人は特に気にしていない様子で頬を水でバシャリと洗い流すと、タオルで拭き上げながら小さくため息を零した。 「……なに、そういう趣味?」 「そ、そういう訳じゃねぇけど、ニキビ潰した後、血が出てんぞ。痛くないのかそれ」  僅かに赤く腫れていて見るからに痛々しい状態になっている冬馬の頬を指さすが、彼はさほど気にしていないと言った風にタオルでそこをポンポンと拭いていた。 「痛い、けどニキビは潰したほうが治るのが早い。圧出法ってやつ」  それだけ言うと冬馬はサッと洗面所を出て行ったので、俺もシェービングクリームを顔につけて顎を覆うように塗り込んだ。  顔をさっぱり整えてから制服に着替えようと鞄の元へ戻ると冬馬がワイシャツを着てネクタイを締めている様子が見えた。  あれ、そのネクタイ……。  よく見るとそれは俺の通っている高校の制服と同じデザインの物だと気付きハッと息を呑む。 ───…… 「なんだ、同級生か」  制服姿の俺をつま先から頭まで上下に首を動かし眺めながら確認するように口を開いた彼に、こくりと頷いて見せた。 「中学生かと思ってた」  失礼な物言いだが、実際俺はチビだ。仲間の間でもチビチビ言われてたし自覚はある。そんな俺を見下ろす冬馬はデカい、多分190cmくらいあるのだと思う。モデルのように足が長く、同じ制服を着ているのにとても同い年とは思えない雰囲気を纏っている。 「男は身長じゃねぇんだよ。それにまだ成長期だし」  ムキになって反論すると冬馬はフンと鼻を鳴らすだけでそれ以上は何も言わなくなった。  玄関を開けると夏の日差しが差し込んできて眩しさに目を細める。  街路樹の青葉が立ち並ぶ道路脇を歩いていると、ふいに隣を歩く彼が立ち止まりこちらを振り返った。 「初日、よろしく」 ───────────────……

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