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プロローグ
いつから恋人の近江 悠 はこんなにもそっけなくなったんだろう。
付き合ったばかりの頃は四六時中いっしょにいて、ちゃんと愛を確かめ合ってきたはずなのに。
――そう高遠 暁音 は考える。
いつの間にか手を繋がなくなった。
一緒にいてもセックスすることもほとんどなくて、キスもしない。
暁音から求めてすることはあっても、悠から望んでしてくることはなくなった。
馴染みのない標準語の溢れる関東の大学で、同じ関西出身だった二人はウマがあって仲良くなるのに時間はかからなかった。
本当はただ孤独感を感じていただけで、馴染み深い言葉を話す互いに引き寄せられただけなのかもしれない。
惹かれたのではなく、引き寄せられただけ。
一緒にいないわけじゃない。
ただ二人でいても息が詰まる。それがただただ苦しい。
まるで息の仕方を忘れてしまったかのような息苦しさの中で、別れが頭をよぎるのに言い出せないまま互いの一日が過ぎていく。
なんとなしに悠の伸びた髪を触ろうと手を伸ばして一瞬だけ髪に触れる。
その一瞬で悠が暁音の方を向く。
「あー、急にすまん。髪伸びたなぁって。切りいけへんの?」
「ん、まだ行かんでええかなって。邪魔?」
「いや邪魔やないけど」
――邪魔になるようなことしてへんやん。
口には出せないまま会話が終わる。
一緒にいても目も合わせないままで、こんな関係ならいっそ――。
そこまで考えて頭を振る。
お互いに冷えた関係だと気が付いているはずなのに、一度知った温もりから離れられない。
こんな風になるなら同棲なんてするんじゃなかったと後悔したくないのに、何度も頭をよぎっては打ち消すように悠を見る。
狭い家じゃ離れることも別々に寝ることもできない。
「先寝るわ、ハルもはよ寝ぇよ。おやすみー。」
「…分かっとるって。おやすみぃ。」
寝室とリビングしかない1DKの狭い部屋、最初は心地よかったその狭さが今は苦しいだけ。
薄い仕切り戸を閉めて互いにため息をつく。
本当は見つめ合っているのに仕切り戸越しでは分からない。
目線を戻したのは暁音が先で、ベッドに潜って目を閉じた。
暁音が一瞬触れた髪に手櫛を通す。
――美容院、予約しよかな。
目線を仕切り戸から離してスマホに戻す。
大して見るものもないくせにぼんやりと光る画面ばかりを見ている。
<明日10時に予約完了しました。>
その文字を見てスマホをスリープモードにする。
鎖骨上まで伸びた髪。
付き合い始めたときに暁音が言った『髪さらっさらで気持ちえぇなぁ』の言葉。
いつの間にか触られることがなくなった。
自分から相手に触れずにいたら、当たり前のように相手から触れられることもなくなった。
久しぶりに触れられたと思ったら驚いて身体が強ばって変に緊張した。
触れるのが普通だった頃はあんなにも自然に触れ合えたのに。
今では触れるのも触れられるのもこわい。
少しだけ仕切り戸を開けて暁音を見やると定期的に胸元が浮き沈みする。
眠るその横に身体を滑らせてほんの少しだけ暁音の服を掴む。
――ごめんな。
声に出せない想いは涙にかわって少しだけシーツを濡らしたあと、気付かれないように背を向けた。
暁音が目を覚ますと悠はもう出掛けたあとでベッドの横が冷たい。
リビングのテーブルにフレンチトーストと作りすぎたから、と書かれた紙。
それから隣に置かれたコーヒーメーカーにはきっちり1人分残ったコーヒーが冷たくなった状態で残っている。
「……いただきます!」
コーヒーとフレンチトーストを温め直して、少し遅めの朝食。
悠いわく作りすぎた朝食を一人で食べながら、悠が何を考えているのか思案する。
『えー?フレンチトーストぉ?俺普通に焼いたんが好きぃ』
同棲をはじめた頃、そう言ってたのにわざわざフレンチトーストを作った?
何故かを考えても都合のいい方にしか考えがいかない。
甘いものが好きな暁音好みの甘いフレンチトーストはどう考えても、甘いのが苦手な悠の好みには合わないのに。
「あー…別れとぉないなぁ…」
ぽろっとこぼした本音は暁音以外に聞こえることはなくそのまま消える。
なんでこんな関係になってしまったのか分からないまま、皿を空にしてコーヒーを飲んで一息つく。
コーヒーにしたって酸味の少ない暁音好みの深煎りで、牛乳と合うようにいつも悠が買ってくるもの。
悠自身はブラックで飲むのが好きなのに、いつも暁音に合わせてくれていた。
こんな関係になってからも悠はいつも暁音に合わせてくれていたのだと今になって知る。
胸を掴まれるような痛みを感じながら、自分がどうすべきかもう一度悩み始めたところで玄関の扉が開く音がした――。
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