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第9話

「懐かしいな」  益子の家の玄関の前で立ち止まると、あの頃の記憶が蘇ってくる。毎日のように一緒にいたあの頃。いつまでも一緒にいられると思っていた。 「……っ、はい、って……」  益子は鍵を開けると郡山を中へと促した。二人で飲み物と適当なおやつを準備して益子の自室に落ち着いた。ソファーに並んで座り、沈黙する。 「益子……本当に、会いたかった」  益子の肩がピクリ、と小さく跳ねる。郡山の言葉を疑っているわけではない。それでも空白の時間が、長すぎた。髪だって染めなければ白い毛が気になるし、顔だって手入れをしなければすぐに老けてしまう。二度と会えないだろうと思っていても、どこかで期待していて。いつ郡山に会っても自分だと分かってもらえるようにと、できるだけ昔のままでいられるようにと努力した。それでも歳には勝てない。今の自分を見て郡山はどう思うのか。怖い。 「益子……お前は、ちっとも変わらないな。あの頃の、可愛い益子のままだ」  郡山の言葉にまた涙が溢れてくる。言いたいことはたくさんあるのに、何も出てこない。ただただ郡山の声を聞いて、郡山の纏う空気を感じる。 「俺さ、ずーっと、初めて会った時から、お前の事……可愛いなって思ってたよ」  郡山はそう言いながら益子の肩を抱き寄せる。益子は抱き寄せられるまま体を郡山に預けた。 「会いたかった。本当に」  郡山の言葉に嘘は感じられなかった。きっと、本音なんだろうと思えた。また、ぶわっと涙が溢れる。 「そ、れなら……っ、どうして……っ!」  ようやく出た言葉は少し責めるような言い方になってしまってすぐに後悔する。今更責めたってどうにもならないのに。益子はぎゅうっと自分から郡山に抱き着いた。 「益子……ごめん。自信が、なかったんだ。離れた頃は、まだまだ子供で……何もできなくて」 「っ、それでも……っ、手紙、くれてた……っ」  こんなことが言いたいわけじゃないのに、こんな、責めるようなこと、言いたくないのに。そう思うのに、口から勝手に言葉が飛び出して、しゃくりあげるほど泣いて。困らせたくないのに。嫌われたくないのに。せっかく、会えたのに。言葉が出る度に後悔が押し寄せてくるのに、止められない。 「うん。ごめん……でも、益子の事を忘れたことは、一日だってなかったよ」  益子を安心させたくて、ぎゅううっと強く抱き締める。いくらだって謝るし、責められたって構わない。それくらい、益子を傷つけてしまったから。 「うぅ……っ」  顔を郡山の胸に押し付けて、子供みたいに泣きじゃくる。いい大人が、みっともないだろう。だが、止まらなかった。これまで抑えつけてきた感情が、全て噴き出してしまった。 「益子……ごめんな。益子が許してくれるなら……もし、益子の気持ちが……変わってないのなら……」  郡山は言葉を止めて、益子の肩を掴み体を離す。涙に濡れた益子の顔を見て自分も涙を浮かべる。傷つけすぎたことに胸が苦しくなる。それでも、どうしても、伝えたい。自分勝手だと分かっていても、今更だと責められても、この気持ちを、益子に伝えたい。 「益子……これからは、ずっと一緒にいたい。もう、離れたくない。傍に……いてほしい。益子の傍に、いたい」  郡山の言葉に、益子は目を瞠る。やっぱり夢なのではないか。郡山に会えただけじゃなく、離れたくないなんて。そんなことが、あるのだろうか。益子は息を飲み、郡山を見つめる。 「……やっぱり、もう……遅かった……?」  益子の無言を拒否だと受け取った郡山はこの世の終わりかのような愕然とした表情で益子から視線を逸らした。郡山は喫茶店まで走ってきた益子を大きな窓ガラスから見て、期待した。同じ気持ちでいてくれたのかもしれないと、思った。しかし、益子はもう、あの日のキスを忘れてしまったのだろうか。こんなに、泣いてくれているのに。 「お、そく……っ、ない……っ!」  郡山の想いは益子にしっかりと届いていて。郡山が一緒にいたいと言ってくれた。もう、夢でもなんでもいい。夢から覚めて現実を目の当たりにしたとしても、今、この瞬間が、現実なのだ。益子は意を決して、郡山の頬に手を伸ばした。

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