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第4話

4. 国堂麗士という男が何者なのかは、謎に包まれたままであったが、その包みがようやく開かれ始めた気がする。 しかし、開かない方が良かったような気がする。開くべきではなかったんだ。きっと。 「澄華君、大丈夫やった?」 尋ねられていることは分かっているが、口が震えて上手く声が出せない。血色悪く変色しているであろう唇は、微かに隙間を開け、閉じる力がない。 そんな俺を一目見てから、後頭部をガシガシを掻く国堂は、いつものようなボサボサ髪へと戻るようだった。「ぁー」と掠れたような声を漏らす。 そしてこちらにもう一度目を向ける。そして俺の顔を見てから、「ふぅ」と息を漏らしながらも、寂しさ混じりの微笑みを浮かばせた。 「……怖いか?」 「……すこ、しだけ……」 ここで「怖くない」なんて言えれば良いのだが、あんな狂気に満ちた顔をして、人を殺すような声を出す男に恐怖を感じざるを得なかった。 「……はは、やっぱ君は正直モンやなぁ」 「……」 カラカラな喉で発する笑い声を出せば、首の後ろに片手を持っていき、少し首を傾けて黙った俺の顔を覗くように見てくる。 俺は表情を強ばらせることしか出来ず、愛想笑いすら出来なかった。 「……んー……、連絡、嬉しかったで」 何から話そうか、と考える間を置いてから、普段通りの話し方でそう言う国堂は、圧など微塵も感じない声色だった。まるで俺を落ち着かせるようだ。 「っ、す、すんません、こんな、危ない、とこ……」 恐怖と感謝と謝罪、様々なものが溢れだしてくる。 何とも形容し難い感情に戸惑い、目線があちこち向き、国堂と目を合わせられない。 「んーん、別に慣れとるし、こういうの」 それがかなり決定的な一言だった。本人は気付いているのだろうか。 進藤との会話からも何となく、嫌な予感はあった。確かでは無いが、きっとこの男は、世間的に言えば善人などとは到底言えない柄なのだろう。 「……慣れ、……っ、あの、あの男とは、知り合い、なんですか」 「ん? あー、知り合いは知り合い、かな。……でも、君の方があの子のこと、知ってるんとちゃう?」 「!!」 表情を強ばらせたまま固まってしまう。唾液が喉にへばりつく。 (……何で、俺と進藤に繋がりがあるって……) 「っなん、で……、そう思うん、すか……」 「だぁって、電話で『どうすればいいか』なんて聞いてくるのおかしいと思ったもん。……そんなん警察一択やのに、きっと澄華君ならそれくらい分かってる。……でもそれを出来ずに俺なんかに電話をしてきた。それに、『学生か』って聞いたら、『大学生』って答えた……。君と彼は同じ大学なんやろ」 (俺なら……って、俺の何を知っているんだ……) まるで推理を披露しているようだった。返せる言葉が見つからない。 言葉を交わしてから時間が経っていないのに、俺という人物をあたかも知ったかのような口振りで話す。 だが、全くにもって正解のことしか言わないのだから、何も言えない。 「んで、警察呼んだら自分が危険になると思ぅて、俺に連絡した、ちゃうか?」 「……あって、ます……」 商品棚に未だ隠れながらも、俺はあっさりと白状すれば、「んふっ」と国堂は笑う。 「……あの、アンタ……、国堂さんって、何なんすか……、国堂組とか、若頭とか……」 「…………澄華君、ほんまに分かってない?」 (予想はついているけど……、信じ難い) それが答えだ。何も無知な俺ではない。会話の内容から、この男があまり表で堂々と明かせる職に就いていないことは明確だった。 「……ヤクザ、とか……、そういう……」 「んまぁ、簡単に言えばそうやなぁ。お金貸して、返して貰ってー、とかな」 悪びれることなく、教えるような物言いで真実を告げてくる国堂を前に、俺はゴクリとへばりついていた唾液を飲み込む。 少し呼吸が乱れ始める。 絶対に関わり合うことの無いタイプだと思っていた。 これまでの学校生活ですら、問題児やヤンキーなどとも一切の関わりを持たずに生きていた。 (なのに、本物のヤクザ……なんて……) さっきまでは、本当にいるのかすら怪しいような存在だったはずなのに。 どう話を続ければ良いか分からなくなった。思考回路を回すことも出来ない。 「……なぁ、澄華君」 「っひ、」 突然名前を呼ばれれば、悲鳴じみた声を上げてしまい、反射的に片手で口を塞ぐ。恐る恐る国堂の顔を見るように目線を上げていく。 (気分を害しただろうか……) そういった組織関係の人間と知れば、気分を害してはいけない。怒らせるな、機嫌を伺えと本能が語りかけてくるようだった。 しかし、国堂はあまりにもケロッとしていた。 「……ここ、こんなに客入らんの? 経営大丈夫か?」 「っえ……」 何か脅しの一つでも来るかと思えば、急な会話の方向転換であった。 確かに客の入り込みは、日中は知らないが夜の時間帯は零時を過ぎれば来るのは、国堂くらいで他にはほとんど来ない。 朝四時五時辺りから、若干人が来始める。確かに経営は大変だろう。 (って、いやいや、今そんなことどうでも……) 「上がり、何時?」 「え、えぇ、と……八、時です」 「大学ないんか?」 「夕方からのなんで……」 (…………何の話だ!!) 当然のように世間話になり始めた。そんなことを話している場合では無いだろう。 俺はバッと正面から国堂の顔を見て話そうと顔を大きく上げる。 するとそこには、先程よりも近付いた国堂がいた。ここまで近距離にいるとは思わず「おわっ」と言ってしまった。 額にトン、国堂の人差し指が押し当てられる。 「んふふ、頭、混乱してんやろ。……落ち着きや。別に俺からは何も言わんよ」 「ぅ、ぇ……」 「あぁ……、でもそうやなぁ。お願いはあるかも」 (やっぱり、何か脅しでもする気か……?) 俺はじとりと怪しそうに見る目を国堂に向ける。それに気付き、彼は顔を綻ばせたように笑う。 「何も怖いこと言わんよ。……ただ、これからも澄華君とは仲良ぅしたい言う話や」 頭を巡った『仲良くしたい』が全く良い意味に捉えることが出来なかった。 テレビなんかで見るこういうタイプの人間の『仲良く』は普通の『仲良く』ではない。 「……なか、よく、とは……?」 「なんも今まで通り、話、してくれたらええんや。……こういうの、生業してると皆遠ざかっていくねん。…………なぁ、澄華君もそのタイプか?」 顔を近くに持ってきて、こちらを覗くように屈んで首を傾げてくる。 やはりモデル並みの顔の小ささと、整ったパーツ。悲しげな表情を晒されれば、ドキリとしてしまう。 そしてそれをバッサリと断り切れない。 「っべ、べつに……、遠ざかるとかは……」 「ほんなら、これまで通り、お話、してくれるんか?」 「……まぁ、これまで通り……なら、全然……いいす、けど……」 これまでの数回の会話で良いなら、と、難無く了承してしまう。 「……ありがとぉな。……ほんなら、まぁ……、八時までその辺にいるわ」 「っ!? えっ、その辺って……」 「別に後日また来てもええけど……、澄華君、それまで色々と考えるの、億劫やない?」 まるでそうした時の俺を予知するかのような言いぶりである。 しかし、それを否定することも出来ない。 こんな出来事があって、ヤクザと知った目の前の男が後日また現れるまでビクビクしながら生活しなければならないかもしれない。 (……ここを辞めるっていうのもアリだが……、こういう人たちって情報集めるの上手いって言うし……) もしも、逃げる真似をして見つかれば何かされないとも言いきれない。 俺は口の中に溜まる唾を飲み込めば、一つ頷く。 「……わか、りました……、でも、それなら今すぐでも────」 「ええの? 結構長々話すつもりやけど……、理解出来る頭、残っとる?」 そう言われれば「うぐっ」と言葉を返せない。正直な話、混乱は治まっていない。 「ごめんなぁ。これは俺の我儘や。……嫌なら、逃げてもええで。追っかけるつもりも何かする気もない」 少し眉尻を下げてそう言う国堂は、物悲しそうである。 (……正直な話、逃げたい。面倒事は嫌いだ。普通に生きていきたい……。ヤクザなんてものと関わるべきではない) 頭ではそう思っているのに、国堂の言葉に「じゃあ」と言えないのは ────『んじゃあ、行くわ』 事情もしっかり聞かずとも、自分の助けを求める声に、あんなすんなりと応じてくれるような人間だと知ってしまったから。

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