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第5話

5 八時前になれば、朝番シフトのおばちゃん二人が眠そうな面持ちで「おはよぉ」と言って、レジ内へと入ってきた。 深夜の出来事を話すか迷ったが、あまり大事にすべきでないと判断した。 警察沙汰になり、監視カメラで確認されれば国堂の姿も映される。 あまり警察とは関わりたくはないだろう。なんか暗黙の了解とか色々ありそうだし。 助けを求めた手前、これ以上あの男に迷惑をかけるのは躊躇われた。 「じゃぁ……あと、お願いします」 制服を脱いで、ロッカーにしまう。 レジ前で二人に軽く会釈すれば「お疲れさまでしたー」と未だ眠気の覚めない顔で見送られた。 (……その辺にいるって……言ってたけど……) 周囲には深夜から朝方にかけて営業している店はなかったはずだ。 となれば国堂は何処で時間を潰そうと思っていたのだろうかという疑問が過ぎる。 「お疲れさん」 「どぅわぁっ!!?」 コンビニの自動ドアをくぐり、周囲を見渡しながら怪しく動いていれば背後から声を掛けられる。 声の主は今考えていた国堂本人である。驚いた俺の声に驚いたのか、目を大きく開いていた。 間を空けて「ふはっ」と、次は目を細くして吹き出す。 「元気やなぁ、澄華君は」 「っお、驚かさないでくださいよ……」 「声掛けただけやん」 そう言われればその通りだ。言葉に詰まってしまう。 いつもと変わらず細く吊り上がった目でニコニコと笑みを浮かばせる国堂から、思わず目を逸らしてしまう。 「……何処、いたんすか。……まさか、ずっとここに……?」 さすがにあれからずっと店前にいたのでは、不審者だ。数回外を伺ったが、国堂の影を見つけることは無かった。隠れてでもいたのなら話は別だが。 「少し出た先にネカフェがあるんよ。そこにおった」 (…………また、スーツのジャケット、脱いでる。髪もボサボサ……) きっちりとした格好していれば、ヤクザと言えばヤクザらしく見えるが、着崩せば顔の良い社畜サラリーマンで話が通りそうな見た目へと変貌する。 後ろに団子を作って括った後ろ髪。横にはいつものような結ばれずに落ちた毛束が垂れている。それを邪魔そうに耳にかければ、「くぁ」と欠伸した。 涙目になる細い目をこちらに向ける。ビクリと身体が反応してしまう。 (見た目はこれでも、本業は……ヤクザ。……しかも、若頭とか言われてたような……) 颯爽と情けなく走り去った進藤が言い残した言葉である。それが正しいのであれば、目の前の男はブラック企業の会社員なんてものではない。 ヤクザの若頭。よくは知らないが、ヤクザの組の中でも上の立ち位置となる人間なのだろう。 あちこち意味もなく地面を見渡してしまう俺を気にしたのか、国堂は微かに笑うような息を漏らした。 「……眠ないの?」 「え、あ……まぁ、まぁ……すかね」 ヤクザを前にして呑気に欠伸も出来ない。オドオドとしながら返答する。 「……さ、て。話したいこともあるし、澄華君も聞きたいこと、あるやろ? こんなとこで話すのもなぁ……」 (……いや待て、俺は……、一体何を聞きたいんだ?) 国堂の言葉を聞いてから自問自答してしまう。 そもそも何を今から話すというのだろうか。混乱して先程は、頷いてしまったが話す内容などあるのだろうか。 俺はただの大学生。 向こうはヤクザの若頭。 共通点もない二人。ただのコンビニ店員と、その客。 黙々と考え込んでいれば、突然国堂が選択肢を持ちかけてきた。 「なぁ、澄華君。今から、俺ん部屋行くのと、君の家行くの、どっちがええ?」 ぐるぐると考え込んでいる中で、突拍子もない選択をさせる言葉が入り込んできた。 俺の答えは──── 「……へ?」 素っ頓狂な返事であった。 ☆☆☆ (…………何故俺は、自分の部屋にヤクザを招き入れているのだろうか……) 玄関にある俺の小汚いスニーカーとサンダルの横に、先が黒光りする革靴が置かれる。 金額とかはよく分からないが、恐らく相当な値段がするのだろう。 国堂の持ちかけた選択肢。 行き先が『国堂の家』か『俺の家』か。 ハッキリ言えばどちらも御免であった。公園で話すくらいが良かったのだが。 ────『あんま人に聞かれた無い話やねん』 あっけらかんと言いのけた国堂の言葉。外で話すことを拒否してきたのだ。 ならばカラオケボックスとか? とも考えたが、国堂の顔は、持ち出したどちらかにしろと言っていた。 俺がどちらも避けたい理由は、それぞれある。 国堂の家。即ち、国堂組と呼ばれるヤクザの住処。何か悪いことをした訳でもないが、ヤクザと言えば凶悪な面が思い浮かぶ。 そんな人間たちに囲まれる可能性があると思えば、ゾワゾワと悪寒が止まらない。 俺の家とすれば、嫌な理由は一つ。 住所を知られる、ということだ。 しかしまぁ、国堂は本心から言っているのかは知らないが、俺が逃げたとて追う真似はしないと言った。 それに今更隠したところで、彼……、ヤクザが調べれば俺の住所なんざ、すぐに漏れるのだろう。詳しくは知らないけど。 色々考えた結果、天秤は『俺の家』に傾いた訳だ。 「お、男の一人暮らしにしては綺麗やなぁ」 「そっ、そう、すかね……」 見慣れない光景だ。まず自分の部屋に誰かを招き入れた経験もない。 その初めてがバイト先の常連客だった男になるなんて誰が思ったか。 背負っていたリュックを床に置く。冷蔵庫に何かあったかと考えたが、答えはノーであることを自分がよく知っている。 「あ、あの……、今出せる飲みもんとか、なくて……」 申し訳なさそうに下手に言えば、国堂はポカンとした顔をこちらに向ける。 そして「あははっ」と顔をくしゃりとさせて笑う。 「そんな突然押しかけたような奴に礼儀正しいのぅ。気ぃ遣わんでええんやで」 そう言うが、そうもいかないだろう。こちらとしてはご機嫌伺いをするべきという頭なのだから。 暫く笑えば、国堂の細い目元から黒い瞳が俺を見た。ドキリとする。 「偉いなぁ。………嫌々部屋上げたんに」 「っ……」 バレないと思ってはいなかったが、口から言われれば自分がその態度をあからさまにしていたことを告げられているようだった。 しかし、反発したい俺もいるようで。 (そりゃ嫌だろ! ただの客だぞ!? ほぼ他人! 友達すら入れたことないのに……、しかもヤクザなんて……!) とも言えない訳だが。 「……すんません、生まれつきこういう顔なんで。嫌そうに見えたんなら謝ります」 ヤクザという相手に強い言葉を浴びせることの出来る強者な俺はいないのだ。 「普通嫌やろぉ。素性も知らん奴を家に招くなんて」 (……じゃあ来ないでくれっ) 心の内で叫ぶが口に出さなければ何の意味もない。 普通に寝ていないことからくる眠気と疲れ。 有り得ない出来事に巻き込まれたという事実。 目の前には恐れるべき本性を持つ男。 頭がぐわんぐわんする。寝たい、でも寝れる気はしない。 「……ふふ、やっぱ眠いんやろ」 見透かしたように言い当てる国堂。 いつの間にか俺の部屋に置かれたソファーに腰を下ろしていた。 立ちっぱなしの家主である俺は、座って低くなった国堂を見下ろす。 国堂は端により、二人掛け用のソファーの空いている方を手のひらで叩いた。 「座らんの?」 「……すわ、り……ます……」 何故家主の俺がこんなオドオドビクビクしなければならないんだ。 それに座るのを勧めるのは普通俺だろう。 萎縮しながらも国堂の隣にちょこんと腰を下ろす。ガチガチに固まる俺の背筋。膝に置いた拳が力み過ぎて若干震えている。 「何も怖がることあらへんやん。……なーんか聞きたいこと、ないんか?」 何処か楽しげな、悪戯っぽい胡散臭い笑みを向けてくる国堂は俺に問う。 怯えるように俺は国堂の目をまともに見ることは出来ないでいる。 「きっ、聞きたいこと……、と言われましても……」 流れのまま俺は国堂に聞きたいことがあるとされているが、実際のところあるのかないのか、考えたが分からない。 「俺の仕事のこと、とか聞かへんの?」 「……き、いたところで、俺の分かる世界ではないと思うので……」 「分からんでー? 案外楽しい仕事やよ。色々物騒やけど」 物騒なのが楽しいと言える辺り、この男は本当にその筋の人間であると再認識させられる。 「っ、というか! そのっ、国堂さんこそ、何か長く話したいって……言ってましたけど……、何を……」 結局のところ俺は国堂に聞くことなんてないという結論に至り、国堂が満足いくまで話を語ってもらい、さっさと帰ってもらうことにした。 そう言えば、国堂は「あー……」と言葉では無い鳴き声のようなものを口に出す。 「話、ていうか、謝ろ思ってな」 「…………謝る……? 何を……」 俺は疑問を抱く。国堂が俺に謝ることなど一つもない。 あんな危険な場所に呼び出した俺が謝るのが普通だろう。 (……まぁ、そういう危険な場所がお似合いな仕事をしている人らしいが……) 「……うん、黙っとってごめんな。びっくりしたやろ」 「……え」 わざわざ買い物先の従業員に、自分の仕事を教える人こそほとんどいないだろう。 なのにどうして、国堂はそれに謝るのか。 「っい、いやいや、それ謝られることじゃ、ないですし……」 「でも驚かせたんは事実やろ?」 「まぁ、そりゃ……、周りにそういう人、中々いませんし……」 思ったことをそのまま言えば「そやろなぁ」と渇いた笑いと共に国堂は呟く。 「……なぁ、澄華君は国堂組なんて知らんやろ? 金の貸し借りなんて無縁そうやもんな」 「……ま、知り、ませんでしたけど……」 「何処に場所あるとかも知らん?」 「……はい……」 この男はいつだって会話の方向転換が激し過ぎる。 「……澄華君の働いているコンビニから、車で一時間」 一瞬俺は耳を疑う。思考もピタリと止む。 俺は思わず、バッと顔を上げて国堂の顔を真正面から見る。 「おっ、やっと目、合うた」 狐目の国堂は、ニコリと口元を緩ませて「にひ」と声を漏らす。 二人掛けのソファーとはいえ、横に並べばそれなりの近距離である。 近くにある国堂の綺麗な顔は、眩しさすら感じる。眠たい俺の目にはチカチカする。 「んなっ、い、いち……っ!?」 「そ。んで、俺はそこで仕事しながら生活もしてるんよ」 付け加えると、更に理解し難い。 (え、じゃあ何? こいつ、車で一時間のところから毎晩毎晩夜中にコンビニ来てんの!?) その後に「アホか!」と付け足した。勿論口には出さない。 「阿呆でも見るような顔やなぁ」 「! んぐぅ……」 図星を突かれる。俺は両頬に手をあて、表情を意味も無く隠そうとする。 その姿を見る国堂は、ソファーの背もたれに肘を置き、頬杖をつくようにして顔を斜めにする。 そして、ケタケタと笑い声を出して、細い目元から覗かせた瞳で俺を見つめるのであった。

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