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第1話
生まれた時に孤児院の前に捨て置かれた僕は、その瞬間から天涯孤独だった。
魔法があるこの世界で、魔力が人並以下のΩの僕にできる仕事なんて全然なくて、16歳を迎えるとたちまちに娼館へ送られることになった。
αやβであれば、一般職が出来たはずだし、Ωでも魔力が高ければ常時自分に防衛の魔法が掛けられるのでヒート時以外は雇ってもらえた。
だが、僕はそのどちらでもない。
孤児院は16歳までしかいられない。
だが、幸運なことに僕が娼館に行く道中に立ち寄った市場で、今の旦那様に拾っていただけた。
しかもなんと、伴侶として。
僕の匂いに旦那様は強く惹かれた、おそらく運命の番だと。
僕は栄養状態が悪いのか鼻が悪いのか、それほど強くは旦那様に惹かれなかったけれども、
僕のような身分の者に優しく接して、温かい寝床と食事を与えてくれる旦那様をすっかり好きになっていた。
栄養が付いたからか、旦那様の匂いもわかるようになり、一層惹かれたというのもある。
でも、αだのΩだのが無かったとしても、僕は旦那様を好きになっていたと思う。
でもそれは、他の女性やΩも同じで、僕を囲った後も他のご令嬢達からのアプローチが無くなることはなかった。
今日も帰宅された旦那さまからは華やかなΩの香りがする。
あるいは、女性のフェロモンか香水の。
「リナリア?どうしたんだい、そんなに唇を噛みしめて。
怪我をしてしまうよ?」
旦那様が優しく僕の唇を撫でる。
僕が孤児の頃は、トムと呼ばれていた。
この国の言葉で”空白、空っぽ”を意味する言葉だ。
そんな名前で伴侶を呼べないからと、リナリアと言う名前を下さった。
僕の瞳に似た赤紫色のお花の名前。
僕がその名前を気にいると、旦那様はお庭にその花をたくさん植えてくれた。
春になると、赤紫が揺れて絨毯のようになる。
そんなことをされて恋に落ちない人がいるのなら、会ってみたい。
「リナリアが怪我をしたら私は悲しいよ」
依然として、唇を噛んでいた僕を悲しい顔で旦那様は見下ろしている。
「申し訳ございません。気を付けます」
そうでもしないと涙が零れ落ちそうだったが、そんなことよりも旦那様が悲しい方が嫌なので唇を噛むのを辞めた。
「どうかしたのかい?悲しい?」
優しい口調で訊いてくださる旦那様に、僕は首を振った。
「いいえ。旦那様が帰ってきてくださるだけで僕は嬉しいです」
そう言うと、旦那様はふっと目元を緩める。
そんな表情の変化にも、僕の心は惹きつけられる。
「私も、我が家にリナリアがいてくれるだけで嬉しいよ。
さあ、夕食にしようか」
玄関でお出迎えして、つい長居してしまった。
旦那様はひょいっと僕を抱き上げるとダイニングへ移動する。
初めはそんな風に抱かれて移動することに抵抗があったが、「私がしたいのだ」と言われ、数年続けているうちに慣れてしまった。
旦那様が本当に嬉しそうなので僕が慣れるしかない。
一緒にお食事をとって、お茶を飲み、それぞれ湯浴みをしてそれぞれの部屋で眠る。
そう、寝室は別室。
ヒートの時は、意識はぼんやりしているけれど、おそらく旦那様が下の世話をしてくれている。
それ以外の時は、一切、閨事のような触れ方はしない。
ヒートの時に抱いてもらえるなら良いだろうと思われるかもしれないけれど、旦那様は、毎回ヒートの終わりに避妊薬を僕に飲ませる。
つまり、僕との間に子を成すつもりはないということだ。
最初は何故かわからなかった。
だって、僕みたいなのを囲う理由なんて、世継ぎを産ませるためくらいしか思いつかなかったから。
でも、2年間旦那様と暮らして、家臣やお客様の噂話を聞いて、知ってしまったのだ。
旦那様には、本当に伴侶にしたい人がいる。
夜会に僕を連れて行ったことがないのだって、きっとそれが理由だ。
旦那様は強い魔法が使える優秀な方だし、爵位は侯爵。
そんなお人が落とせないご令嬢っていったい誰なのだろう…
きっと家柄がしっかりして、見目も麗しく、教養も備わった素敵な方なのだろう。
僕が家で留守番をしている間、彼は夜会でそのお方とロマンチックな逢瀬をしているに違いないのだ。
それを知りながら、旦那様との時間を過ごすのは苦しい。
夜会から帰った旦那様から漂う他人の香りを嗅いだ瞬間なんて、胸が張り裂けそうだ。
でも、それを指摘してここを追い出されたら、僕は生きていけない。
衣食住がままならないのもそうだけれど、好きな人と過ごす幸せを知ってしまった僕は、それを手放せない。
そんな思いを抱えたある日、僕はメイドたちの噂話を耳にしてしまった。
「旦那様、いよいよ婚約するみたいよ」
「えぇ!?ついに!?もう!いつになるんだろうってハラハラしてたんだから!」
「むしろ遅すぎるくらいよね」
「一体、どんな素敵なプロポーズをなさるのかしら」
「きっと私達もお手伝いすることになるでしょうから、楽しみね」
きゃっきゃっとはしゃいでいる。
侯爵邸のメイドさんたちは、僕にもとても親切にしてくれた。
その彼女たちが、旦那様と僕じゃないご令嬢が婚約されるのを楽しみにしている。
それがとても辛かった。
でも、当たり前だ。
彼女たちは優しいから僕に温かく接してくれたけれど、旦那様の幸せを願うのが本来の仕事だ。
孤児として生まれて、家族が誰もいなかった僕にとって、家族は憧れだった。
旦那様と家族になれる、そう思うことで自分の心を慰めていたけれど、それは叶わなさそうだ。
とはいえ、ここを追い出されたら僕なんかを娶ってくれる人なんて現れない。
僕はこのまま、独りで生きていくのだろうか…
その時、ふと、旦那様との子だけ譲っていただけないかと思いついた。
決して、出産の費用だの養育の費用だのはせびったりしない。
じゃあ、どうやって稼ぐのかと言われれば、それはこれから考える…
おそらく、ついに娼館で働くことになるとは思うけれど。
それでも、家族が欲しかった。
叶うことなら愛した人との子供が。
次のヒートの時に、こっそり避妊薬を捨てることも考えたけれど、前回のが半月前だから、次回は2か月半後になる。
そんなに待っていては、旦那様が結婚してしまう。
ヒート時以外は妊娠の確立が減ってしまうが、旦那様は「僕たちのフェロモンの相性が良い」とおっしゃるから、それに賭けるしかない。
本当に何もいらない。
だから、子種だけでも手切れ金として下さらないだろうか。
旦那様は優しい。
温かい寝床と食事だけではなく、ヒートの面倒を見たうえで、僕に服や装飾品をたんまりとくれた。
僕が強請ったわけではない。
むしろ、強請れるような身分ではないことは承知している。
それでも、旦那様は「これがリナリアに似合う」や「これを着てほしい」「これを身に着けたリナリアが見たい」と僕に沢山買い与えてくれた。
それを着ると、旦那様はとても喜んでくれた。
とても、部屋に置ききれなくなって、旦那様は新しく僕の倉庫を増設してくれた。
「要らないものから捨てて良い」と言われたけれど、僕にとって旦那様から頂いたものは、使い終わったちり紙やお菓子の包み紙すら大切なものだ。
捨てられるわけがない。
だから「これ以上のものは置けないので、贈り物は不要です」とお伝えしたが、1週間後には倉庫が出来上がっていた。
「欲しいものはなんでも言っておくれ。
たとえ、この世にない物でも絶対にリナリアに贈るよ」
と、旦那様はよく言っていた。
だから、きっと子種くらいくれるはずだ…
それはそうと、どうやって貰うかなんだけれど、旦那様に直接
「抱いてください」とお願いしたら、少し固まった後に「う”ん”…、いや、次のヒートの時にね」とやんわり断られた。
それでは遅すぎるし、ぽやぽやしているときにまた避妊薬を飲まされかねない。
「ヒートまで待てないんです。
今夜か明日か…、それがだめなら今月中はダメですか?」
と精一杯お願いしてみたけれど
「ヒート以外…、それは、リナリアが成人してからね」
と断られた。
「…、ヒートがないと僕の事は抱けないですか?」
「ん”ん”ん”…、いや、違うんだ。
ヒートの時、リナリアは正気じゃないだろ?
正気のリナリアに、君に夢中で我を忘れている私を見られるのが恥ずかしいというか…、かっこ悪いから見られたくないんだ。
だから、大人になったらまた誘っておくれ。
(18歳 になった君を婚約と言う形で縛ってしまえば逃げられないからね)」
でも、旦那様がかっこ悪かったことなんてない。
だから、嘘だ。僕は口を尖らせた。
「ああ、不貞腐れたリナリアも愛らしいよ」とその尖った口にキスを落とした。
そんなことされたって絆されないんだから、と思っていても、旦那様からの接吻は嬉しくて、つい口角が上がってしまう。
「はぁ”…、可愛い…」と旦那様は苦しんでいる。
旦那様はよく”可愛い””愛らしい”と言ってくれるが、他の人に言われたことはない。
だからこれは、運命の番パワーなのだろうか?
それとも、僕をΩではなく、子供とかペットとかと同列だと思っている?
とにかく、そういう意味の可愛いならば、信用することは出来ない。
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