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嘘、それだけ2 - 8

八月も半ば、海と空の青さが短い夏を輝かせている。 蝉の声は力強ければ強いほど儚い。 防災放送でレンタカーが全車貸し出し中とのお知らせが流れていた。 観光客の多さに驚く。 普段からこれくらい賑やかならいいのにと思う。 盆入りまで変わりなく漁に出ていた甚一も、久しぶりのまとまった休みに肩の力が幾分抜けたように見えた。 先月末の給料日、約束の生活費を渡すと律儀だなと笑われた。 返済は滞りなく。 仕事も順調だった。 このところ夜勤が多いのは、家の用事で休み希望が多いからだ。 急な欠員に声がかかることもある。 便利に使われている自覚はあるが、もとよりそういう要員なのだと割り切っているし二つ返事で了承する。 甚一とは、特に変化はない。 強いて言えば、甚一が不在でも甚一の寝室で寝るようになったことくらいだろうか。 朝方、まだ日も上がらぬうちに帰宅した甚一が二階で寝ている陽太をわざわざ起こして自分の寝具へ引っ張り込んで抱き枕にするせいだ。 陽太としても冷房の効いた一階で眠れるのはありがたいことだったし、なにより甚一の子供のような不満気な顔が単純に可愛くもあった。 いつしかベッドには枕が二つ並んだ。 数日前、麻のカバー欲しいな、と甚一が呟いてそのまま眠りに落ちた。 陽太は亜麻のしなやかな繊維が織りなす肌触りを思い出して、いいね、気持ちよさそう、とつられるように目を閉じた。 ※ 「小林さん家?なんで」 換気扇の下、電子タバコ片手に持つ甚一は陽太を見た。 なんでと言われた陽太は「仲良くなった、から?」と首を傾げた。 盆と言っても陽太にはあまり関係がなかった。 入院患者がいる以上、病棟が休むことはあり得ない。 そんな中、ぽん、と当てられた休みの日だった。 高田の家には来客が増えた。 甚一の船が盆の週は漁に出ないと聞きつけた島中の知人達が線香だけでもと盆見舞いを持って訪れるのだ。 そうなるとタダで帰す訳にはいかないと甚一は前もって買っておいたオロナミンCやビールのセットを手渡し、小一時間の昔話に付き合う。 そんな中、居候の陽太の事を探るような人などもいた。 やっと帰ったと言うようにソファへと沈み込む甚一の頭を撫で回して労いたいところだが、いかんせんここで陽太はちょうど夜勤の時間だったりする。 来訪を嫌がっているわけじゃないだろうが、あまり話すことが得意じゃない甚一にとってはなかなか酷な行事かもしれない。 客人と甚一が居間のテーブルを囲む中、陽太は空気を読んで、ただのルームシェアで、居候で、プライベートには全く関与しておりませんというスタンスを取り2階に引き篭もる。 そんな陽太に気付いているのかはわからないが、甚一は「変な気使うなよ」と困ったように笑ったばかりだ。 陽太が夜勤で不在のうちに、二本柳や古川師長も顔を見せたらしい。 介護員の花田からは、今度爺ちゃんと行くって伝えてとお供えを手渡された。 皆、お互いに多くは語らないが、やはり近しい間柄なのがわかる。 菊池はむしろ、今が最高繁忙期であるから顔を出しただけで、また今度ゆっくり、と言って帰って行った。 小林と少しだけ親交が増えたのは、特記するようなアクシデントもなく終えた夜勤帰りのセイコーマートで偶然会ったからだった。 だるだるに伸びたTシャツにハーフパンツ。 クロックスをペタペタと鳴らしながらこちらに近づく男に眉を寄せた。 それが小林だった。 休日なのが見て取れる風貌で、片手を上げた気安い挨拶に警戒心を滲ませた会釈を返した。 小林の手にぶら下がる買い物籠には、缶ビールが数本と、レンジで温めるだけのつまみが数点入っていた。 職務中でさえ気の抜けているような顔をしている男だが、その格好が更に小林を締まりの無い男に見せていた。 何気ない会話で、離婚して北見に息子と別れた妻がいる事を知った。 踏み込んで聞いたのは、あの夜の仕返しの気持ちも少しだけあったように思う。 何をしたんだ、という揶揄いにうるさいよと言って笑われて、どういう訳かそのまま小林の家で年甲斐もなくゲームに興じているうちに陽太の胸にあった小林へのわだかまりはいつの間にか消えていた。 連絡先の交換はしていないが用事がなくても何かあればお互いどこにいるかわかるほどの狭さだ。出勤途中に窓ガラス越しに姿をみつけるとどちらからともなく手を上げる関係になった。 朝から小林と遊ぶ約束をしていると言うと、甚一は一瞬止まって口をへの字にして、何かを言いたそうに顔を歪めた。 陽太は甚一が心配してくれているのだと都合の良い解釈をして「ホワイトリリィには近づかないよ。小林ん家でゲームやるだけ」と親を安心させる子供のように告げた。 客は少ないが、早朝のサーフィンを楽しむ観光客もいるにはいる。 店の隣にあるガレージが修繕の作業スペースになっているが、忙しくしている様子は見たことが無いと甚一は言い「あそこで焼きそば売った方が儲かりそうだけど」と、今度は悪態をついた。 ホワイトリリィは例のサーフショップの名前だ。 金髪は、工藤智樹。 短髪の方は長内早苗。 どちらも昔甚一と机を並べた数少ない同級生、出戻り組だと小林が言っていた。 現在の島の子供の人数は小中合わせて50にも満たないというのだから、やはり人口の減少は否めないだろう。 ちなみに小林の情報では、甚一達の学年は甚一含めて出戻りが多いっぽい、とのことだ。 陽太は、自分には関係ないよ、と笑った。 「偶然セーコマで会ってさあ。なんか仲良くなって。年も2個上だったかな?ね。知ってた?小林バツイチなんだって」 甚八の衣類ケースから引っ張り出した半袖のブルーのシャツを着た陽太は、洗面所の鏡の前で第一ボタンを留めてみたり開けてみたりと襟の形を整える。 「知らない。興味ない。つか、そういう噂話みたいなのやめろ」 台所から届く甚一の抗議に「本人から聞いたの。給料の半分養育費だから金の無いお前の気持ちがわからんでも無いとか言って。こないだスマブラやった時言ってた」と、先日の出来事を織り交ぜる。 「聞いてないけど」 台所から続く洗面所に顔だけを覗かせた甚一が鏡に映る。 胡散臭げな表現と鏡の中で目が合う。 くすぐられたような妙な気持ちになって、笑いが漏れた。 「夜勤明け偶然会ってさ。ゲームだけのつもりだったんだけど昼から呑んじゃって。てゆうか甚ちゃんも来ればいいのに。小林も言ってたよ」 甚一は一瞬戸惑ったように視線をずらし数秒考えるように口を引き締めると「…や、いいわ。誰か来るかもしれないし」と頭を掻いて顔を背けた。 仏間には、初盆らしく贈り物の提灯が飾られている。 甚一が不在の夜、家中の電気を消して、回転行燈に灯りを灯し壁や天井を照らす美しい光に目を細めたのは内緒だ。 「ごめん…。甚ちゃんお盆で忙しいのに…」 「なんでお前が気にすんだよ。いいんだって別に」 出かける用事を入れたのは、自分がいない方が高田の家に来る客も気を使わずに済むと思ったからだった。 視線を外し顔を引っ込めた甚一の後ろ姿を映さない鏡の中で見つめる。 気付かれないように小さなため息を吐く。 かろうじて笑みを作る口元はそのままに。 好きなんだろうか。 甚一の事が。そういう意味で。 いつからと聞かれても、何がと聞かれてもはっきりとは答えられない。 笑った顔を見た時かもしれないし、この家に招いてくれた時かもしれない。 はじめての食事の時か、寝顔を知った時か。 甚一の口から語られた高田の家の話を聞いて、甚一を気の毒に思う気持ちが好意に拍車をかけただけの錯覚なのかもしれないとも思う。 でも。 陽太は口の中でそう呟く。 弾むような胸の高鳴りは覚えないが、甚一の近くにいると、その代わりに身体の中にじんわりと温かいものが注がれたような気持ちになる。 安堵のようなその温もりを甚一と分かち合いたくなる。 これを何と呼ぶものなのか陽太自身にもわからなかった。 玄関を開けると、盆らしい熱気が身体を包んだ。 壁にディスプレイされていたキャップを力ずくで被せられる。 「日焼け。お前すぐ顔赤くなりそう」 キャップのつばが、照りつける太陽の影を目元に作った。 「ありがと。行ってくるね」 そう言ってと微笑むと、甚一は片方の唇をあげて「小学生か」と笑った。

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