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嘘、それだけ2 - 10

「小林、奥さんが遅番の日は息子とオンラインでご飯食べるんだって。今、繁忙期だって」 「へえ」 「前は北見にいて、鑑識してたって」 「粉ポンポンするやつ?」 甚一が発した擬音が妙におかしく、そうそう、と相槌を打った。 「それ俺も言った。相棒とか科捜研で見たとか言って。なんか、僻地手当?そういうの付くみたい。こういう島に来たら」 興味があるのかないのかわからないほど間延びした返事を寄越した甚一は、「つか、警察がそういうの喋っていいのかよ」と可笑しそうに目を細めた。 その素朴な疑問に、こちらも釣られて口角が上がる。 「さあ。わかんないけど」 甚一のサンダルが、ペタペタと音を立てて陽太の背中についてきていた。 夕焼けの橙色の境界線に、夜が顔を覗かせている。 「良い父さんやってんだな」 「ね。俺もそう思う。より戻せば良くない?」 「さあ、どうだろうな」 甚一の緩慢な返事。 のんびりと二人で歩く39号線。家から商店街までの道のり。 日が僅かに翳り、蝉の声が小さくなっていた。短い橋、錆びたバス停、道路沿いの太田さんの家は窓が開いていて、テレビの音がかすかに漏れ聞こえている。 廃墟になりつつある昔の漁協の小さな事務所、空き家、きまぐれにしか開いていない小さな商店。 「民宿、ひまわり、蝉の抜け殻、空き地、……小屋」 気に留めていなかった掘っ立て小屋と甚一を交互に見ると「橋本さん家の物置」と甚一が答えた。 「橋本さん家、あっちでしょ?」 「昔はここだった」 甚一は空き地を指差し、再びハーフパンツのポケットに手を突っ込む。ついでにと加熱式のタバコを取り出し、フィルターを取り付け数秒待った後、口をつけた。 「歩きタバコやめなよ」 咥える前の抗議は「はいはい」と煙に巻かれてしまった。 一つ一つ確かめるように目に入るものを口に出す陽太に、甚一は「子供か」と呆れたような鼻鳴らしをひとつ。 だが、それ以上は何も言わずに付かず離れず陽太の後ろを歩いていた。 「ここは?」 朽ち果てたと言ってもおかしくはない、おそらく民家だった建物の前に立ち止まる。 劣化で崩れたのか雪で傾いたのかはわからないが、台形になってしまった平屋には、ところどころに人の住んでいた印が残っていた。 季節も相まって葉が青々と茂り、家人の面影を閉じ込めるように蔓延った蔦が絡まり合い家を覆っていた。 外壁に立てかけられた錆びた自転車。 台所らしき場所の曇りガラスの向こうに並ぶ洗剤。 土が残った汚れた植木鉢。 干されたままの漁網は、風化し途中で千切れていた。 「……誰の家だっけ」 甚一は数秒、空き家を眺めながら記憶を辿るように眉間に皺を寄せて頭を掻いたが、しばらく考えてから諦めたように「あー、覚えてない」と呟いた。 そこから真っ直ぐに続く歩道。右側の建物が途絶えたところから、防波堤が低くなっている。 見えてきた海には観光スポットであるドーナツのように穴の空いた巨大な岩が、小島のように浮かんでいた。 鼻をかすめる潮風に、水気が増したように思う。 アーチ状になった歩道に沿って作られた駐車帯は、観光バスも入れるほどに広い。数段高くなったステージのような作りの遊び場からは、地平線が広々と見渡せる。 海に降りられる階段はあるが浜辺はなく、小石が集まっただけの足場が続いていて、観光客の多くは底が見える透明な海とドーナツ岩を眺めるだけで降りることはないだろう。 手すりに肘を突き、海を眺める陽太に、甚一は「陽ぃ暮れる」と急かすように声をかけた。 墓参りとは名ばかりだった。 花は陽太が出かけている間に甚一が取り替えたばかりだという。「今日はもういらねえよ」と手ぶらで促され、陽太のポケットには、財布とスマホしか入っていない。 商店街に入り、セイコーマートを過ぎたその先に、あまり手入れのされていない小さな寺院があった。その脇を抜けると墓地が広がる。水汲み場も柵も何もなく、生い茂る草の向こうに並ぶ墓石が歩道からも丸見えだ。 砂利の敷かれた墓場へと足を踏み入れると、緩やかな山の斜面に沿って、不揃いな石が点在していた。各家の前には花が添えられているが、中には既に枯れ果てているものもある。盆の間に片付けまで手が回らない家族の事情を察しながら、足元に気を配りつつ甚一の背中を追った。 「サンダルで来るとか危ないって」 砂利の上をつっかけで歩く甚一の足元を見て苦言を呈したが、本人はどこ吹く風で、返事もせずに目的地を目指す。 足場になった段を登り、一番高い場所に高田家と彫られた墓石を見つけた。 甚一が、ここ、と顎をしゃくる。 陽太は居住まいを正し、墓の前で腰をかがめた。 何もいらないと言われた手前、線香も数珠も持っていない。 甚一は陽太に付き合うように隣で膝を折り、昼間に自分が灯したらしい線香の灰を指先で無造作に払い落とした。 手を合わせ、数秒目を閉じる。 遠くで微かに波の音が聞こえ、通りからは子供たちのはしゃぐ声が届く。 手を解いた後も、陽太は膝を抱えてぼんやりと石を眺めていた。そんな様子に、甚一が「……気、済みましたかね?」と、わざとらしく恭しい口調で顔を覗き込んできた。 その茶化すような態度に、陽太は文句代わりに軽い拳を彼の肩にぶつける。 二人の間に笑いが重なった。 ふと、隣の墓石が目についた。 随分と小ぶりで、かろうじて長方形に見えるが何も彫られていない。苔が石の表面を這い、周囲を不揃いの小石が囲っている。だが、ワンカップに飾られた一輪のハマナスだけは、今しがた供えられたかのように瑞々しい。 「昔からあるけどどこの家のか知らない。戦争から帰ってこなかった人とか聞いたことはあるけど」 甚一が助け舟を出すように呟き、数秒置いてから「子供の頃、ここに肝試しに来るのが流行って。夜に線香を焚きに来るっていう」と静かに記憶を紐解いた。 甚一にしては珍しい述懐だった。 陽太は、理由のない嬉しさに胸を弾ませ、甚一の横顔を盗み見る。 「甚ちゃんもやったの?」 「特別仲良い奴とかあんまいなかったけど、何人かで約束したんだよな。でも俺たちが行く前に別の奴らがここの坊さんに捕まってさ。火事になったらどうするんだって学校まで怒鳴り込みに来て」 当時の光景を想像し、陽太は堪えきれずに吹き出した。 声を上げて笑う陽太に、甚一は「バカだろ」と、懐かしむように目を細めた。 「……連れてきて欲しかった」 ひとしきり偲んだ後、陽太が零した言葉に、甚一は鼻で短く笑って「俺だって覚えてないのに?」と皮肉を返した。 「甚ちゃんの家族だから」 そう駄々をこねるような物言いに、甚一の口元がわずかに緩む。 「自分家の墓参りは?」とのんびり聞き返された。 「さあ。皆で行ってんじゃない?……ちょっと今、実家には連絡できませんので」 言葉を濁すと、甚一の眉が不審げに寄る。 「あ、違う違う! ここに来る前に金を借りに行ったら追い出されたから、まだ気まずいだけ。全部返し終わったらちゃんと連絡するから」 慌てて取り繕うと、甚一は、ハハハ!と声を上げて笑った。 「オンカジで借金したって正直に言ったのかよ」と、面白がって先を促してくる。 「うん。めちゃくちゃキレられた」 「そりゃそうだろ」 甚一は目尻に涙を浮かべるほど笑い転げていたが、「墓の前でする話じゃないな」とようやく切り上げ、暗くなり始めた辺りを見回して腰を上げた。 「来年は、俺もちゃんと連れてきてね」 背中に投げかけた言葉に、甚一は数拍置いてから「来年ねぇ……」と呟き、何か言いたげに首の後ろを掻いた。

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