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第3話 闇を祓う
「何だ、そなたは陰陽師か?式神を連れていたとは——」
狐のもののけは、「赤い眼」で晴人を捉えたまま、その下の両目で、自分の前に立ち塞がる青年を睨みつけた。晴人を喰らおうとして開いた口を閉じ、前脚を揃えると、七つに分かれた尾を逆立てて戦闘体勢に入る。
一方、さっきまで晴人の肩に乗っていた三毛猫は、今やすっかり人間の姿になっていた。浅黒い肌に、肩まで届きそうな長い黒髪。筋骨隆々の肉体に、真っ白い着物を身につけている。青年は、ぽきぽきと骨の音を鳴らしながら首を回すと、全く臆さない様子で巨大な狐に向かって声をかけた。
「お前、かなり古いもののけだな。錆びついた匂いがする。そろそろくたばり時だろ」
狐のもののけは、「赤い眼」をぎらりと光らせて、口から黒い瘴気を吐き出しながら答えた。
「式神ごときが我に偉そうな口を叩くな。まあ良い。お前は筋が多くて不味そうだが、前菜もたまには必要だ」
「は?前菜だと?」
青年は、笑みを含んだ声で言った。
「俺がメインディッシュだっつーの。てめえみたいな爺いが二十歳にもなってねー若い男食おうなんて百年遅いんだよ」
その瞬間、狐のもののけが七つの尾を逆立てたまま、こちらに向かって疾駆してきた。物凄い速さで、一気に距離が縮まる。しかし、青年はまさに猫のような跳躍力でジャンプすると、もののけの繰り出した前脚の一撃をひらりとかわしてみせた。
——俺、もしかして当たり引いた?こいつ、かなり強いんじゃねえか?
晴人は、すっかり蚊帳の外にいるのを感じながらも、安堵とわずかな興奮を感じた。式神を使う、ということが一体どういうものなのかよく分からないが、自分の体が熱くなってくるのを感じる。
——もしかして今、俺陰陽術使ってる?
「ははっ、遅いよ老害。そんな生ぬるい攻撃じゃ当たらないって」
三毛猫だった青年は、まるで舞を踊るかのように縦横無尽に動きながら、敵を翻弄していた。狐のもののけが、明らかに苛立っているのが分かる。「赤い眼」の光が弱くなり、動きもさっきより鈍っている。
「ふん、くそガキが。これだから今時の式神は。年寄りを敬えと教わらなかったのか?」
「はい?喋るのが遅くて何言ってるのか全然聞こえませーん」
「まあ良い。調子に乗ってられるのも今のうちだ」
狐のもののけは、吐き捨てるようにそう言うと、再び先ほどのように耳まで裂けた口を大きく開いた。その永遠のように暗い闇の中から、黒い瘴気がじわじわと溢れ出す。やがて、みるみるうちに瘴気は辺りに広がっていき、まるで霧のように青年の姿を覆い尽くしてしまった。
——まずい、これやばい展開じゃ…
晴人は焦りながら、その黒い瘴気の塊を見つめた。この式神が殺されたら、多分俺も同じように殺される。もののけに食われるのは、一体どんな気分なのか。きっと最低な気分に違いない。
やがて瘴気がすっかり青年を飲み込んでしまうと、黒い闇の中で再び「赤い眼」が光を取り戻した。その薄気味悪く粘着質な視線が、晴人をしっかりと捉える。冷たく、背筋が凍るような感覚。打ち付ける雨の音が、やけに不穏に感じられる。
「さあ若人よ、邪魔な愚か者はいなくなった。ようやく二人きりになれたな。まずはその服というものを脱いでもらおうか。食う時に邪魔だからのう」
狐のもののけは、下卑た表情を浮かべ、舌なめずりをしながら晴人に近づいてくる。
——頼む、三毛猫。普通ここで復活とかして敵撃破するのが王道の展開だろ。さっき誓約を交わしたじゃねえか。俺を助けろよ。
心の中で祈りながら、じりじりと後退る晴人。しかし、黒い瘴気が消える気配は全くなく、その代わり狐のもののけの「赤い眼」の輝きがどんどん強くなってくる。それと同時に、さっきまで閉ざされていた口が大きく開き始める。
——やばい、俺ここで死ぬわ。
しかし——
ヒュン、ヒュン。
その時、鋭い音が二発、鳴り響いたかと思うと、狐のもののけは「赤い眼」を抑えてその場で横向きに倒れ込んだ。まるで家一軒が崩れ落ちるように派手な音がして、思わず周囲を見渡す。しかし、もののけの存在により次元が歪んでいるのか、人が集まってくる気配はない。
「ったく…これだから老害は嫌なんだよ」
瘴気の中から、悠然とした声がした。
「いつまでも若かった時の自分引きずってんじゃねえよ。それに何だ?『今時の式神』って。悪いけどなぁ、若さに勝る力なんてこの世に存在しないんだよ」
狐のもののけが倒れると同時に、黒い瘴気の塊が薄れていき、やがてその中から弓を構えた青年の姿が現れた。白い着物は少しの乱れもなく、彼の壮健な肩を優雅に包んでいる。弦を引き、自分の体よりも巨大な弓を構えたその姿は、まるで本物の武士のように勇ましい。
青年は、そのまま晴人の方を振り返り、ニヤリと笑った。晴人とは正反対の野生的な顔立ちだが、目や鼻のパーツはかなり整っている。
「さあ童貞君、誓約通りもののけを倒してやったぜ。なかなか見ものだっただろ?だけど今度は、俺が楽しむ番だ。約束通り、お前のカラダを俺に差し出せ——」
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