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第4話 誓約に縛られて…
——やべ、そういやそんな約束だった。
晴人は、倒れた狐のもののけと、三毛猫だったはずの青年へ交互に視線をやりながら、何となく言い逃れできそうな口実を探そうとした。もののけの「赤い眼」を射抜いたままの弓矢が、まるで晴人と青年を縛り付ける楔のように思えてくる。
——ここで抵抗しないと、マジで俺の「童貞」をこいつに差し出すことになっちまう…
「あ、あのさぁ」
晴人は頭をかきながら言った。青年は、好色そうな笑みを浮かべたまま「うん?」と反応する。
「こ、ここって町中じゃん?こういう場所でそういうことするのって、ほら何だっけ、そう、公然わいせつ罪とかに当たるんじゃないかなぁ…って」
「何だ、人目を気にしてるのか」
しかし、青年は快活に笑うとこう答えた。
「童貞君はやはりウブで可愛いな。それにその顔立ち。もののけに狙われるのも無理はない。そういうことなら気にするな。あのな、もののけが姿を現している時は時空が歪む結界が自然と張られるから、他の人間たちに見られることはないんだよ。陰陽師のくせにそんなことも知らないのか」
「あ、そうですか…」
晴人は脱力しながらそう答えるのが精一杯だった。
——そういや、いつか親父が言ってたっけ。式神と交わした誓約は絶対だって。どっちかが死ぬまで、その呪縛から逃れることはできないって。
——ってことは俺、本当にここでこいつにヤられるのかよ——
「さあ、そうと決まったら、大人しく抱かれろ。どうだ、手始めに接吻などしようじゃないか」
「な、名前…」
晴人は俯きながらそう言った。
「名前、何ていうの?」
青年が、?という顔をしてこちらを見つめるのが分かる。しかし、これまで恋愛と無関係に生きてきた晴人にとって、出会ったばかりの、しかも名前も知らない相手と「そういうこと」をするのはかなり抵抗がある。そもそも、他人と接触するのなんて気持ち悪いと思っているのに。
もしもまた、三毛猫の姿に戻ってくれたなら、キスの一つや二つ、平気でできるのだが。
「俺の名前か。人間ってやっぱ変わってるよな。そんなこと聞きたがるなんて。ま、でもお前と俺は『使役の誓約』を交わしたわけだから、こちらも名乗らないわけにはいかねーか」
青年はそう言うと、ビシッと自分の顔を指差し、白い歯を見せて笑った。
「俺の名はびゃくや。人間の文字にすると百八と書いてびゃくやだ」
「百八。はは、煩悩の数と同じじゃん。ぴったりな名前っすね…」
そう言って力の抜けた笑みを浮かべていると、百八はいつの間にかこちらに歩み寄り、晴人の顔を覗き込んでいた。互いの息と息が触れ合い、自然と胸が高鳴るのを感じる。
——やばい、こいつちょっとかっこいいかも…
思わず頬を赤く染める晴人に向かって、百八はもう一度ニヤリと笑って見せると、そのまま唇を近づけてきた。無意識に、晴人は目を閉じる。やがて、柔らかな感触が自分の唇を包み込み、粘膜同士が触れ合う淫靡な音が辺りに鳴り響いた。
「…っん…ん…」
そのまま舌を入れられ、思わず晴人は喘ぎ声を漏らす。思いの外激しい口づけに、思わず体をのけぞらせるが、いつの間にか百八は晴人の肩を抱いており、逃げようにも逃げられない。
——いや、もしかして俺、逃げたくないのかも…
晴人は頭の奥が痺れるような感覚を覚え、全身から力が抜けていくのを感じた。そんな彼を支えるように、百八の逞しい腕が晴人の背中を包み込む。晴人は初めて知るキスの快感に戸惑いながらも、確実にそれを欲している自分に気がついていた。
「ん…っあ…んん」
唾液が混ざり合い、唇の中が甘く蕩けてゆくのを感じる。
——キスって…いや、他人と触れ合うのって、こんなに気持ち良いものなんだ…
「どうだ?悪くないだろう。俺は『淫』の属性を持つ式神だからな。性技には長けてるんだ」
百八が晴人の耳元で囁く。
「属性…って?」
遠のきそうになる意識の中で、ぼんやりと晴人は聞いた。
「とことんウブな奴だな、お前は。式神にはそれぞれ属性があってな、それによって誓約の内容が決まってるんだ。『淫』属性の俺は、使役する主人の精力を吸うのが条件」
「精力…」
「そう、ほら、お前もここに蓄えてるだろ、精力」
そう言って、百八はすっかり反応を示している晴人の股間に手を当てた。その瞬間、ハッと我にかえる。
——ダメだ、このままじゃマジでこいつに俺の童貞奪われちまう!
「あ、あのさぁ百八」
逞しい腕に抱かれたまま、目の前の式神に向かって晴人は言った。
「いくら結界が張られてるからって、ここだとやっぱ俺、集中してできないっていうか…」
「ん?」
「だからさ、今はこれまでにしておいて、続きは後にしないか?ちょうど俺の部屋、離れになってて都合が良いんだ。あ、離れって分かるかな?つまりその、誰もいない場所っていうか、密室っていうか…」
「そうか、やっぱり人間の神経ってのは繊細にできてるもんだな」
百八は、そう言うと意外とあっさり晴人から体を離した。
「まあ良い。確かに今はまだ結界が張られているが、じきにもののけの死骸が消えれば自然とここも現実界に戻る。じゃあ、さっさと俺をその『離れ』とやらに案内しろ」
——っしゃ、ラッキー。物分かりよくて助かった。
内心でガッツポーズをする晴人に向かって、百八は言った。
「あ、そうだ」
「…え、何?」
警戒しながらそう答えると、百八はこちらを見て腕を組んだ。
「俺も名前を教えたんだから、そっちも名前教えろよ。いつまでも『人間』って呼ばれてたら、お前もなんか落ち着かんだろ?」
晴人は、何となく意外な気分で、短くこう答えた。
「晴人。俺の名は安倍晴人だ」
「晴人か」
そう言って、百八が空を見上げる。
「良い名じゃないか。この空にはちょっと似合わないが」
晴人は、その逞しい体から発せられる言葉をぼんやりと聞きながら、永遠に降り続くような雨を見つめ、これから先の未来を案じていた——
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