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第8話 訪問者

 その日は結局、父だけでなく二人の兄も深夜まで戻らず、母と二人きりの夕餉になった。  恐らく、思った以上の大仕事だったのだろう。翌朝になっても、彼らは眠り続けて自室から出てこず、晴人はすでに朝食を済ませた母親の世間話を適当に聞き流しながら、大きな居間で一人、味噌汁とご飯と焼き魚を黙々と咀嚼し続けた。  百八は、もちろん離れに閉じ込めたままだ。閉じ込めているといっても、彼がその気になれば一瞬で抜け出せるだろうが、晴人と誓約を交わした手前、百八もそう好き勝手はできないはずだと、彼は踏んでいた。それに——  ——昨夜はあんなことまでさせたんだ…当分大人しくしてくれるだろう…  そう考えた瞬間、晴人の脳裏に「昨日百八としたこと」の詳細が浮かび上がりそうになり、思わず首を大きく横に振る。昨夜感じた快楽の名残が蘇り、思わず体が落ち着かなくなる。  ——いや、あれは決して俺の意志なんかじゃない。きっと、あいつが「淫」の属性を持つ式神だからだ。 「どうしたの急に?」  隣で朝のニュースを見ていた母親が、目を丸くしてこちらへ視線をやる。 「な、何でもないよ…ちょっと味噌汁でむせそうになって」 「気をつけなさいよ、朝ご飯はゆっくり落ち着いて食べないと。あ、このニュース、ほらあんたの通ってる大学の近くじゃない?」  そう言われ、ぎくりとしながらテレビの画面を見ると、案の定、そこには昨日晴人がもののけと遭遇した路地裏が映し出されていた。 「…警察が到着した際、すでにもののけの遺骸は消失していましたが、周囲の状況や、近隣住民の証言から、連続して人間を襲っていたもののけは祓われたものと見て、陰陽庁は厳重警戒を解除しました…」  アナウンサーが、淡々とニュース原稿を読み上げる中、あのもののけの放っていた黒い瘴気を思い出し、皮膚が粟立つ。 「まあ良かった、母さん何気に心配してたのよ。あんた丸腰で、ろくに陰陽術も身につけてないから——」  晴人は、食事に集中しているふりをして目を伏せながら、「そうだね、俺も安心したよ」とだけ返事を返し、味噌汁の最後の一口を飲み干した。  *** 「おい、戻ったぞ」  朝食を済ませた後、大学に向かう準備をするために離れへ向かうと、そこには愛らしい三毛猫の姿になった式神がいた。 「にゃあ」  彼の正体——筋骨隆々の青年——とのギャップに、いささかの萌えを感じながらも、晴人は無表情を装い、髪を整え、淡々と着替えを済ませる。  リュックを背負う段階になって、ようやく彼はあることに思い当たり、ベッドの上で伸びをしている式神に向かって尋ねた。 「なあ百八、俺はこれから学校に行くけど、お前はどうする?さすがに大学には連れて行けないから、もしこの部屋にいるなら大人しくしといてもらう必要があるけど…」 「心配はいらない」  三毛猫型のまま人語を喋られると、何だか妙な気分になる。 「すでに誓約の証はお前の体内に根付いた。お前がどこにいても、俺はいつでもお前のそばにいる。何かあれば、俺の名を呼べ。そうしたらすぐに、俺はお前の元へいく」 「へえ…随分ありがたい話」  晴人がそう言うと、百八はぎらりと瞳を光らせた。 「もちろん、したくなったらいつでも参上するぞ。晴人もまだ若い。性欲が有り余っている頃だろう」  ——こいつ、やっぱりうざい…  見た目に騙されてはいけない、とあらためて胸の中で誓う。そんな晴人をじっと見つめながら、「まあそれは式神ジョークとして…」と、百八はさらに言葉を繋いだ。 「気をつけろよ、晴人。一度もののけを祓った陰陽師には、奴らの匂いがつく」 「…どういうこと?」 「もののけたちは仲間の匂いに敏感だ。昨日祓ったのは古い稲荷で、かなり強い霊臭を纏っていた。よって…今後、お前は恐らく奴らに狙われやすくなる」 「な、それ早く言ってよ…!」 「こんなことぐらい一般常識の範疇だ。知らない方が悪い。ま、これも運命だと思って諦めるんだな」 「諦めるとか諦めないとかそういう問題じゃないだろ?」 「だけどそれも悪いことばかりじゃない。お前が俺を呼び出してもののけを祓えば祓うほど、その後に得られる快楽も強くなると言うもの。昨夜あれほど乱れていたことを忘れたとは言わせんぞ」 「…っ!あれはお前が…」  そこまで言いかけた時、離れに誰かが近づいてくる足音が聞こえ、晴人は思わず自分の口を押さえて百八を抱き上げると、ベッドの下に押し込んだ。  ——やばい、こいつとの会話を誰かに聞かれたら…  数秒後、案の定ドアをノックする音とともに、心なしか不安げな色を含んだ母親の声が聞こえた。 「晴人ー、もう支度済んだ?あんたにお客さんよ!…け、警察の人が、聞きたいことがあるって——」

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