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第13話 最悪な始まり
都内、新宿某所——
白と黒が絡み合う、「陰と陽」のマークを頂に据えた三角錐型のビルの前に、晴人と百八は立っていた。
そのモダンな佇まいは、まるで美術館か音楽ホールのようだが、この建物こそが、陰陽師業の認可・登録や、もののけ祓いの仕事斡旋などを一挙に担う、陰陽庁の庁舎だ。
単に事務的な業務を行うだけでなく、精鋭陰陽師チーム「祓い組」を率いる軍事組織としての一面も持つ。
——まさか、俺が陰陽師の認定試験を受けることになんて…
晴人は、三毛猫の姿になって自分の左肩にちょこんと乗っている百八を見つめ、大きくため息をついた。
——何でこんなことになっちゃったんだろう?俺はただ普通に大学を出て、就職して、平凡な毎日が送りたかっただけなのに。
だが、今更後悔してもすでに遅い。母や兄たちに、式神と誓約し、なおかつもののけを祓ったことがバレた以上、自分の運命に従わなければならない。
「何だ、ここが試験の会場か。大した妖気は感じないな。晴人、こりゃ楽勝だぞ。日が暮れる頃には家に帰れる」
「あ…そうすか、そりゃ良かった」
やけに自信満々な百八の態度は、心強いと言えば心強いのだが、晴人のささくれ立った神経を逆なでする材料にもなる。しかも、ここで彼が霊力を使った暁には、再び自分は百八の慰みものとして体を差し出さなければならないのだ。
——そりゃ、気持ち良いといえば気持ち良いいけど。なんか、納得いかないんだよな。
「ま、いいか。とにかく入るぞ。父さんが帰ってくる前に試験受かっとかないと、マジで殺されかねないからな」
「にゃあ!」
勇ましく鳴く百八に再びイラッとしながらも、晴人はひとまずビルの正面玄関から建物の内部へと入った。
クールでモダンな外面同様、内装もシックで、無駄のない洗練された造りになっている。入り口を入ってちょうど正面にインフォメーションらしいカウンターがあり、左右に向かって廊下が伸びているのが見える。
晴人は、そのまままっすぐ進み、カウンターの中にいる女性に用件を告げた。
「あの、陰陽師の登録手続きに来たんですが…」
白いブラウスに黒いスカートを穿いた女性が、にっこりと笑いながら、晴人に向かって頷く。加えて、左肩に乗った百八にも、礼儀正しい笑みを向ける。
「かしこまりました。紹介状かご身分を証明できるものはお持ちですか?」
「あ、紹介状は持ってないです。身分証は…えっと保険証で良いですか?」
「はい、構いません。学生証がございましたら、お見せいただければ登録の手続き料が少し安くなりますが」
「ちょっと待ってください。はい、じゃあ、ええとこれが保険証で、これが学生証です」
晴人が財布からそれらを取り出して、カウンター越しに差し出していると、隣にスッともう一人の来訪者が現れた。
「陰陽師の位昇格試験を受けにきました」
涼しげなその声に、無意識に横を見ると、ストレートな黒髪を後ろで束ねた、自分と同じくらいの背格好の青年が立って、もう一人の女性に話しかけているのが見えた。
——へえ、俺と同年代でもプロの陰陽師がいるのか…え、てか昇格試験とかあんの?陰陽師にもランクがあるってこと?
そんなことを考えながら、何となしに視線を注いでいると、やがて青年がそれに気づいたように、ふっと自分の方を見た。その瞬間、何故か相手の眉が怪訝な形に歪む。
——え、何だこの顔?
晴人がその表情から目を逸らせずにいると——
「承知いたしました。それでは、認定証と確認のためフルネームをお伺いできますか?」
インフォメーションの女性の声に、ハッと気づいたようにして青年が視線を前に向ける。
「あ、すみません。一ノ瀬ミヤビです」
——うわー、めっちゃキラキラネーム。
晴人は、心の中でそう呟きながら、自分も前を向き、カウンターの向こうの女性が身分証と学生証を確認するのを待った。
「安倍晴人様ですね。確認が終了しましたので、向かって右手のエレベーターホールから3階へお進みください。エレベーターを降りてまっすぐ進んだ突き当たりが、登録会場となっております。そこで、こちらをお見せいただければ、すぐに認定試験へとお進みいただけます」
そう言って、女性は小さな護符のようなものを晴人に差し出した。その表面には、「第五位認定試験受付票」という文字が、ひどく達筆な字で書かれていた。隣でも、同じように青年が晴人と似たような護符を手渡されている。
気付かれないよう、横目でちらっと盗み見ると、そこには「第二位認定試験受付票」の文字が書かれていた。
——うわマジ?こいつ俺と同じくらいの年でもうそんな格上なのかよ。
そんな晴人の心の声を読んだのか、ミヤビと名乗った青年は、一瞬だけ、ふん、とこちらを鼻で笑うような表情を見せると、「どうも」と静かに頭を下げて、勝手知ったる様子でその場をスタスタと立ち去った。向かう先は、晴人と同じ右手のエレベーターホールだ。
——うわー、何か気まずいな…
そう思いながらも、晴人はなるべくゆっくりとその背中を追った。大人しく左肩に乗っていた百八が、突然、くん、と何かの匂いを嗅ぐような仕草を見せる。
「あいつ、かなり強い式神を連れてるな」
「…そんなこと分かるのか?」
「当たり前だろ?同じ式神同士だぜ?まあ、見た目は晴人の方が上だが、誓約の相手としてはまず上等な部類に入るな」
その言葉に、何故か心の奥がちくりと刺激される。
——嫉妬?いやいや、何で俺があいつに嫉妬しなきゃいけないんだ。もし百八が他のやつに鞍替えしたって、せいせいするだけだ…多分。
複雑な気持ちを抱きながらホールへ向かうと、案の定、エレベーターを待つミヤビが立っていた。上で点灯する階数表示を眺めたまま、こちらには目もくれない。
しかし、晴人が少し距離を空けて隣に立った瞬間、まるで自分を待ち構えていたように、ミヤビが横を向いたまま静かに口を開いた。
「あんた、昨日大稲荷を祓ったでしょ?」
「え?」
思わず身構える晴人に向かって、ミヤビが正面に顔を向けたままクスリと笑う。
「見てたよ。なかなか強い式神と誓約したね。けどさ、困るんだよね。あの辺りは僕の狩場なんだ」
「狩場…?」
「そう、縄張りってこと。まだプロですらないあんたに荒らされたら、こっちも迷惑だから。覚えといて」
晴人がその言葉を飲み込めずにじっと彼の横顔を見つめていると、チン、という電子音がして、エレベーターが一階についた。
——なんかやな感じ。こいつと一緒にこれに乗るの嫌だな…
しかし、そう思いながらもミヤビに続いて乗り込もうとする晴人に向かって、彼は皮肉めいた笑みを口元に浮かべながら言った。
「あ、君が乗るのはこれじゃないよ。これは上位ランクの陰陽師専用。君は隣のエレベーターで行かないと。じゃあ、そういうことで——」
晴人は、何も言えず、閉じてゆくドアを見つめながら、呆然とその場に立ち尽くすほかなかった——
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