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第14話 そして不運は続く

「こんにちは、新規のお手続きですね」  インフォメーションの女性に言われた通り、3階の突き当たりにある登録会場へ入ると、スーツを身につけた男性が晴人に向かって笑顔を向けた。  会場は、シンプルな内装のだだっ広い部屋で、もっと物々しい雰囲気を想像していた晴人はやや拍子抜けした気分を味わった。  ——マジで普通にお役所って感じだなぁ。何かこう、味気ないっていうか…  部屋の奥にはカウンターがあり、その手前には、まるで病院の待合室のようにずらりとパイプ椅子が並べられている。見たところ、晴人が一番若く、中にはかなり年配の男性や、主婦のような女性も目についた。  しかし、平日の午前中ということもあってか、人はまばらだ。 「あ、はい。あの、これを」  先ほど渡された護符を見せると、男性は貼りついたような笑顔のまま、再び晴人に向かって言った。 「それでは、こちらの番号札で順番にお呼びしますので、少し椅子にお掛けになってお待ちください」  渡された紙には、7番とだけ印字されている。  ——これなら、すぐに呼ばれそうだな。あとはこいつが言った通り、チャチャっと終わらせられれば良いんだけど…  相変わらず左肩にちょこんと乗った百八を横目で見ながら、晴人は適当な席を見つけ、腰を掛けた。その瞬間、思わず深いため息をつく。  ——考えてみれば俺、昨日から怒涛の展開で人生が進んでないか?  初めてもののけに遭って、こいつと誓約を交わして、今日は朝からもののけ二体を祓って、今は正式な陰陽師になるためにここに座ってる。  あ、てかその間に2回もこいつとエ○チさせられたし…  何となく気が遠くなっていくのを感じながら、晴人は百八に話しかけた。 「おい、本当に楽勝で終わるんだろうな」 「当然だ。今日の俺は絶好調だってさっき言っただろ?たっぷりお前の精気を吸ったからな。ここでどんなもののけが出てくるかは知らんが、全く負ける気はしない」 「…よろしく頼む」  晴人は、今朝自分が晒した痴態を頭の中から排除しようと努めながら、正面を向いたまま言った。  有難いことに、順番はさくさく進み、あっという間に「6番の方」という声がかかる。  ——おー、もう次じゃん。マジでこれなら夕方までには終わりそうだな。  晴人がほっと胸を撫で下ろしていると、不意に入口から数人の職員らしき人間がバタバタと部屋に入ってきた。先ほど彼に番号札を渡してくれた男性にひそひそ声で何かを伝えているのが見える。  彼らの顔は、揃って青ざめているように思えた。心なしか、呼吸も荒く感じられる。  ——何だろう、なんか手続きにミスでもあったのか?  晴人は、嫌な予感を覚えながらも、あえて気にしないようにしながら、意識を集中させ、自分の番号が呼ばれるのを待った。目を閉じると、先程出会った「あいつ」の顔が目に浮かぶ。 (まだプロですらないあんたに荒らされたら、こっちも迷惑だから。覚えといて)  ——てか、初対面で、しかも多分俺と同年代のやつに、なんであんな言われ方しなきゃいけないんだよ。こっちだって、祓いたくて祓った訳じゃないのに。  何も言い返せずに、閉じてゆくエレベーターを呆然と見つめることしかできなかった自分自身にも腹が立つ。  意識を集中させるつもりが、だんだんと怒りが込み上げてきたその時、番号札を渡してくれた男性職員が大きな声を張り上げてこう言うのが聞こえた。 「皆さん、大変申し訳ございませんが、この会場は一時的に封鎖させて頂きます。恐れ入りますが、どうぞ速やかにこの建物内から出てください」  ——何だ?  会場に、波のようなざわめきが静かに広がっていくのが分かる。晴人が戸惑っていると、不意に天井近くに設置されたスピーカーから女性の声が発せられた。同時に、周囲の空気が冷えたような感覚がして、思わず身震いする。 「緊急事態です。建物内に、もののけの存在を確認しました。討伐を開始しますので、関係者以外は全員庁舎の外へ避難してください。繰り返します。建物内に、もののけの存在を確認しました。討伐を開始しますので——」  波のようなざわめきが、混乱に満ちたものへと変わっていく。無理もない。この会場にいるのは、まだ公的な陰陽師資格を有さない素人ばかりなのだから。  パイプ椅子から次から次へと人々が立ち上がるのを見つめながら、晴人も同様に腰を上げる。  ——マジかよ、あと少しで試験が受けられたのに…! 「百八、一時退散だ。なんかこの近くにもののけがいるらしい」  しかし、晴人がそう言うと、百八は三毛猫の姿のままニヤリと口元に笑みを浮かべた。さっきまで垂れていた尻尾が、ピン、と上向きに立っている。 「本当か?じゃあ俺の出番だな」 「は?お前何言って…とにかく避難しないと」 「晴人こそ何言ってるんだ。ちょうど力が使いたくなってきたところだったんだ。どうせそいつが祓われるまで試験とやらは受けられないんだろ?だったらさっさと俺たちで倒しちまおうぜ」  晴人は、臨戦態勢に入った百八のぎらついた目を見ながら、自分の運の悪さを呪わずにいられなかった。再び、気が遠のいていくのを感じる。  そして次の瞬間、天井の上辺りから、巨大な何かが足を踏み鳴らす音とともに、耳をつん裂くような獣の咆哮が鳴り響いてきた——

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