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第15話 凶闘

 咆哮は振動となって、部屋全体を震わせた。  ——あの、めっちゃ強そうな奴っぽいんですけど…  晴人は、会場の出入り口に殺到する人々を見つめながら、左肩の百八を何とか説得しようと横を向いた。しかし、すでにそこに三毛猫の姿はなく、隣には白い着物を身につけた本来の彼が不敵な笑みを浮かべて立っていた。 「こりゃ手応えがありそうだな。晴人、何をぼさっとしている。敵はどうやら上にいるらしいぞ。俺たちも早く向かおう。あいつらに先を越されないうちに」 「いや、あの人たちは逃げようとしてるんだって…!俺だってさっさと避難したいよ」 「避難?何故だ。こんな好機滅多にないぞ。強力なもののけを祓えば、俺はもっと強くなる。そうすればお前との誓約の力もより濃いものになるんだ」 「それってさぁ…結局…」 「さらに激しくお前を抱けるってことだ」  そう言うが早いか、百八は出入り口でもたついている人々の波を力ずくでかき分け、廊下へと飛び出していた。仕方なく、晴人も嫌々ながらその後を追って登録会場を出る。    一瞬、エレベーターホールへ向かおうとするが、この状況では恐らく使い物にならないだろう。そう思い辺りを見回すと、非常階段の表示が目についた。晴人は、天井を睨みつけながら廊下で弓を構える百八に向かって言った。 「おい、こっちだ。この階段から上に上がるぞ」  百八はそれを聞くと、待ってましたとばかりに喜び勇んでこちらに向かってきた。人間の姿をしているのに、その仕草が猫っぽくて、晴人は思わずペットを連れているような感覚になる。  ——い、いや、俺は断じてこいつを可愛いなんて思ってないぞ。ただのエロい式神なんだから。  そう考えながら、非常口の重苦しい扉を開ける。その途端、第二の咆哮が上の方から響いてきた。さっきよりも激しくなっている。思わず怖気づく晴人の雰囲気を察したのか、階段を駆け上がろうとしていた百八が途中でこちらを振り返り、言った。 「案ずることはないぞ。相手が大物だからといって、この俺が敗れるはずがないからな。安心してついて来い。ただし、俺のそばから絶対に離れるなよ」 「…分かった」  ——こいつ、結構頼もしいじゃん。  晴人は、百八に向かって頷くと、彼に続いて階段を駆け上がった。この様子だと、もののけが暴れているのは一つ上の4階だろう。どんな姿をしているのか、どんな力を持っているのか分からないが、とにかくこいつがいれば…  晴人はその広い背中を見ながら、自分がどこか勇ましい気持ちになっていることに気がついていた。こんな気分になったのは、生まれて初めてかもしれない。  やがて、階段を駆け上がると、4階の扉が見えてきた。 「ここだな晴人?いいか、開けるぞ?」 「ああ、大丈夫。その代わり絶対にしくじるなよ」 「ったりめーだ。じゃあ行くぞ」  百八が全力で扉を開けると、そこには思った通りの地獄絵図が広がっていた。  次々と壁を破壊しながら、廊下を這い回るそれは、何とも形容し難い姿をしていた。頭部は獅子に似ていて、胴体は巨大な猿のようだ。さらに背中には烏のように真っ黒な羽が生えており、尾は蛇の形をしている。  ——い、いや、何だよこいつ。いきなりレベルアップしすぎだろ…ラスボス級の見た目なんですけど…  恐怖に慄きながら立ち尽くす晴人とは対照的に、百八はいつものように骨の音を鳴らしながら首を回して、臨戦態勢に入っている。すでに、大きな弓を構え、やる気満々といった感じだ。 「鵺の亜種か。こりゃ思った通りの大物だな。おい晴人、こいつを倒したら俺たちかなり箔が付くぞ」 「そりゃそうだろ。てかマジでこんな奴相手にできるのかよ」 「当然。舐めてもらっちゃ困る」  さすが陰陽庁とあって、居合わせたのであろう他の陰陽師たちが、もののけを取り巻き必死で応戦しているが、どうやら歯が立たないらしい。  軍事組織「祓い組」のメンバーはいないのだろうか?彼らが参戦すれば、倒せないことはないはずなのだが。  晴人がそんなことを考えている隙に、百八はその奇怪な姿をしたもののけに向かっていった。  ひゅん、ひゅん。  いつものように、空を切り裂くような音を立てて、二本の矢が獣に向かって飛んでいく。そのうちの一本が、見事に獣の腕の辺りに命中した。もののけが苦しむような素振りを見せながら、再び咆哮を上げる。 「やった!」  思わずそう叫ぶ晴人だったが、次の瞬間様相は一変した。もののけは、ぶるんと体を震わせると、腕に刺さった矢をまるで虫を追い払うかのようにいとも簡単に振り払い、矢を放った主——百八の方を見て、目を光らせた。  ——効いてない…?  まるで銃の照準を合わせるかのように、獣はぎらつく目を百八に向け、こちらに狙いを定めて疾駆してきた。一気に距離を詰め、巨大な前脚で百八を殴打する。しかし百八は、まさに猫のような跳躍力で、その一撃を寸出のところでかわし、再び矢を射る。  ひゅん、ひゅん、ひゅん。  今度は三本。しかし、もののけはそれらを完全に見切ったかのように巨大な体を左右に動かして避けると、再び前脚を使った破壊的な一撃を繰り出した。百八はそれもかわすが、矢が当たらなければ、いや当たっても相手にダメージを与えられなければ、こちらに勝機はない。  ——だめだ、やっぱり今までの奴とは格が違う。  晴人は、祈るような気持ちで苦戦する百八の姿を目で追いながら、額に滲み出した汗を拭った。まるで、自分も一緒にもののけと戦っているような疲労感を覚える。  今まであまり気づいていなかったが、これも誓約の一環なのだろうか?百八が矢を射る度に、自分の体にも負荷がかかっているような気がする。  何度目かの射撃で、晴人が目眩を覚えたその瞬間—— 「駄目だね、やっぱり君たちじゃまだ役者不足だ」  背後から、聞き覚えのある声がした。振り向くと、そこにはさっきエレベーターホールで別れたミヤビの姿があった。 「あの式神は確かに強いけど、まだ君たちの誓約はきちんと体に根付いていない。悪いけど、この手柄は僕がもらうよ」  そう言うと、ミヤビは静かに歩きながら晴人をさっと追い抜き、暴れ回るもののけの方へと近づいていった——

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