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第16話 完敗
矢を放ちながらあちこち動き回る百八とは対照的に、ミヤビはそっともののけの斜め前に立った。
やがて、両手を胸の前で合わせるようなポーズを取る。すると、彼の背後から巨大な骸骨らしきものが現れた。その両腕は、まるでミヤビを抱擁するかのように、あるいは捕縛するかのように、彼に巻き付いている。
——あれが、奴の式神?
晴人は、そのなんとも禍々しい姿に圧倒されながら、ミヤビの動きに注目した。しかし、彼はもののけと少し距離を取ったまま、何もせずじっとしているままだ。
一方、もののけも百八も、互いの攻防に集中していて、そこに新たな人物が現れたことにも気がついていない。
「畜生、俺の矢が全く通用しねえ!」
百八が腹立ちまぎれにそう叫ぶのが聞こえる。
「晴人、次の霊力補給は今までよりもっと濃いものになるからな。覚悟しとけよ!」
——そんなことより頼むから早くそいつを何とかしてくれよ…
晴人は、若干の恥ずかしさを覚えながら、少し離れた場所で戦況を見守った。しかし、もののけと百八の力は拮抗しているのか、なかなか勝負がつかない。
「なんで刺さらねえんだよ!」
百八が矢を放つ度に、軽い目眩を覚えるのは、まだ自分の体が「長期戦」に慣れていないからだろう。
——このままじゃやばいかも…まだ、俺の陰陽術が未熟だから…
その時、ようやくミヤビの姿に気がついたのか、百八がおや?という表情を浮かべるのが見えた。瞬時に、その顔に熱い怒りの色が浮かぶ。
「何だお前、あれは俺の獲物だぞ。横取りしようたってそうはいくか!」
しかし、ミヤビは冷たく冷静な声でそれに応えた。
「君たちにはまだ無理だ。亜種とはいえ、鵺は中級クラス以上のもののけ。その証拠に、君の攻撃は全く奴にダメージを与えられていないだろう。それどころか——」
そこで、彼がこちらをちらりと振り返る。
「誓約した陰陽師君はかなりお疲れのようだ。もう君の動力源はほとんど残っていないんじゃないか?」
「ごちゃごちゃうるせえんだよ!」
百八がもののけの攻撃をかわしながら、再び矢を放つ。しかし、すでにもののけはその攻撃を見切っており、巨大な口を開け、百八の放った矢を飲み込んでしまった。
——まずい、マジでこれピンチなんじゃないか?
晴人は、百八が動きを止めた瞬間を見計らって叫んだ。
「百八!悪いけど俺ももう限界だ。いったんそいつに任せよう」
胸糞悪いけど、という言葉を付け足そうとしたが、あまりにも大人げがない気がしてやめておく。というか、晴人自身にもそんな毒を吐く余裕が残されていない。
心なしか、百八も息を荒くして、肩を上下させているようだ。初めて見る彼の弱った姿に、晴人は何故か胸のどこかがちくりと痛むのを感じた。
「ほら、ご主人様もああ言ってる」
ミヤビが静かに語りかけるのが聞こえる。
「ここは僕と蘭丸に任せて、君は潔く退場しろ」
「馬鹿野郎、俺は一度狙った獲物は逃さない主義なんだ」
「それは、もう少し技術を身につけてから言うセリフだな。こいつはただの力ずくで押し切れる相手じゃない」
ミヤビはそう言うと、百八を追い越して、彼ともののけの間に立ち塞がった。背中に覆いかぶさった骸骨から、わずかに黒い炎のようなものが発せられているのが分かる。
そこで、ようやく新たな人物が現れたことに気がついたのか、もののけの目がぎらりと光り、ミヤビに照準を合わせるのが見えた。
「蘭丸、何秒あればいけそう?」
黒い炎を纏った骸骨が、地の底から響くような低い声で答える。
「そうだな、5秒くらいかな」
「…了解」
ミヤビはそう言うと、再び両手を合わせるあのポーズを取ると、「南無」と唱えた。しかし、もののけがその隙を逃すはずもなく、巨大な前脚を彼に向かって振り上げる。
——おいおい、よける気配すらないぞ、あいつマジで大丈夫か?
晴人が固唾を飲んで見守っていると、一瞬、足元から奇妙な匂いの風が吹いた。不意に、足元が揺らぐような感覚に襲われる。もののけも、異様なものを感じ取ったのか、振り上げた拳を宙に浮かせたままの状態で停止した。
——何だ…これ?
「一、」
ミヤビが言った。
「二、」
再び風が吹く。
「三、四、五」
その瞬間、奇妙なことが起きた。それまで咆哮を上げて暴れ回っていた巨大なもののけの姿が、縮み始めたのだ。呆気に取られて晴人が見ているうちに、それはもはや大型犬程度の大きさになっていた。
「蘭丸、喰え」
ミヤビがそう言うと、骸骨が細長い腕をするすると伸ばして、まるで子供が地面に落ちていた石ころを拾うかのようにもののけを掴み、そのままひょいっと自分の口の中に入れてしまった。
「うん、これはまあまあの味。この間の大稲荷より活きが良いね」
「きっとまだ若いんだろ」
「ありがとう、今回も美味かったよ」
骸骨はそう言うと、ミヤビの頬に口づけをして、そのままふっと姿を消した。後には、呆気に取られて彼らを眺める晴人と百八の姿だけが残されていた。
「お祓い終了っと」
ミヤビは、表情を変えずにそのままサッと身を翻し、何も言えずに佇んでいる晴人の元へと向かってきた。やがて、彼の正面に立つと、眉ひとつ動かさずに晴人の目を真っ直ぐ捉える。
「分かった?これが僕と君の力の差だよ。式神の差じゃない。あくまでも陰陽師としての腕前の違いだ」
その顔つきは冷静だったが、晴人はそこに、静かな闘争心のようなものが浮かんでいるのを見た気がした。
「君が良い式神と誓約したのは認めるよ。運も才能のうちだからね。だけど…」
ミヤビは晴人から視線を逸らさずに言った。
「僕の狩場を荒らすなら、もっと力をつけてから。覚えておいて——」
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