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第30話 修羅場

 一葉の指笛に応えるように、どこからかバサバサと羽音のようなものがきこえた。  思わず音のした方に目をやると、晴人たちが通ってきた通路の向こう側から、大型のカラスがこちらをめがけて飛んでくるのが見えた。  カラスには、脚が三本ついており、宿り主同様、鋭い目つきをしている。 「黒曜!」  一葉が名前を呼ぶと、カラスは徐々にスピードを落とし、彼女の右手に止まった。広げていた大きな翼を閉じて、「カァ!」と鋭い声で鳴く。  ——これが一葉さんの式神か…一体どんな能力を使うんだろう? 「ふん、あの式神、なかなか良い色の霊力を持ってるな」  いつの間にか人間の姿に戻った百八が、晴人の隣でそう呟く。 「良い色?霊力にも色があるのか?」 「ああ、式神同士にしか見えないけどな。あのカラス、只者じゃないぞ」 「当たり前だろ、普通の鳥じゃなくて式神なんだから」  会話する晴人と百八を尻目に、一葉は前方の車両の前に立った。 「新人君、お喋りは後にして、さっさと片付けるわよ。このコ、私に似て気が短いの」 「あ、はい…!、すみません」  慌てて晴人が彼女の方を振り向くと、一葉の手に止まった式神が、漆黒の翼を少しだけ広げて、こちらを睨みつけるような視線を放った。  ——確かに…めちゃくちゃ飼い主に似てる 「黒曜、聞いて」  一葉がカラスに向かって話しかける。 「まずは彼の式神が囮になって敵を引き寄せるから、隙を狙って奴の魂を吸って欲しい。あなたならできるわね」 「当然。それより何故百八がそこに?カグラの野郎に負けて姿をくらましたはずだけど」 「そうなの?」 「まあ良いさ、全盛期より随分霊力は衰えてるみたいだが、敵の餌にするには適任だ」 「よろしく」  そう言うと、一葉は合図を送るようにちらっと晴人の方を振り返り、前方の車両のドアのすぐ目の前に仁王立ちになった。扉が、自動でスライドしていく。  晴人と百八も、急いで彼女の背後に回る。扉が完全に開いた瞬間、ふっと鉄のような匂いが鼻をかすめた。  ——この匂い、…血だ。  晴人はごくりと唾を飲み込みながら、スライドしたドアの向こうを見つめる。そこには予想以上に凄惨な光景が広がっていた。  車両の左右を埋め尽くす、人間の山。彼らがすでに事切れていることは、夥しく流れる血液の量からも、すぐに分かった。座席に座ったまま、首を項垂れている男女、逃げようとしたのか、通路で息絶えている子供。これは——まさに地獄だ。 「びびらないこと」  戦慄している晴人の気配を察したのか、一葉が、背を向けたまま言った。 「こんな光景見るのなんて、この仕事してたら日常茶飯事よ。救えなかった命より、これから救える命のことを考える。それが陰陽師の鉄則」 「…はい」  掠れた声で、返事をする。そんな晴人の肩を、百八の力強い手が包み込んだ。 「大丈夫だ、晴人。俺がついてる」  ——なんか、こいつが頼もしく見える…  晴人は、まっすぐ前を向く百八の横顔を見上げ、それからゆっくりと、地獄の中央で暴れる「それ」に目を向けた。  それは、白い毛を持つ巨大な猿だった。しかし、ただの猿でないことは一目で分かる。今しも目の前の人間に掴みかかろうとするその腕は、二本ではなく六本あった。そして、顔はひとつではなく三つ。  まるで、阿修羅像のようだ。 「見たことないもののけね、新種かしら?」  一葉の呟きに、レイが背後から答える。 「そのようですね、危なくなったら私たちも背後から援護します。ミヤビ、響さん、ご準備を」 「はい」 「分かってるって」  晴人は、彼らの声に背を押されるように、恐る恐る前へと足を踏み出した。血の匂いで満たされた空気に、鼻を抑えながら。 「百八、良いな。敵とまともにやり合おうとするんじゃない。あくまでも注意を引きつけてくれ」 「了解」  そう言うが早いか、白い着物をたなびかせ、百八が前線に躍り出る。すでに、弓を構えたその姿は、格好だけ見ればかなり勇ましい。 「ようもののけ、随分派手に暴れてるな!俺が相手になってやるからその人間を離せ!」  百八の声に反応し、三つある白い猿の顔が一斉にこちらに目を向ける。その眼差しの鋭さに、晴人は思わず身震いした。しかし、百八は少しも怯むことなく、もののけに向かって疾駆していく。  ——そうだ、宿り主の俺がこんな弱気じゃ、式神の動きにも支障が出る。気を強く持たないと。  ひゅん、ひゅん。  走りながら、二本の矢を立て続けに射る百八。まるで生きているかのように、その矢はもののけの腕と肩に刺さった。 「やった!」  思わず声が出る。しかし、もののけは刺さった矢を何も言わずに抜くと、その場でひょいと放り捨てた。 「何だお前ら、陰陽師か」  白い猿が、ゆっくりと口を開く。どうやら、喋るときも、三つの口は同時に動くらしい。 「人が遊んでるのを邪魔しやがって。まあ良い、先にお前らから殺ってやることにしよう。どうにも人間ってのは手応えがなくてな」  もののけが喋るたび、金属質な音が鳴り響き、微かに硫黄のような匂いが鼻をつく。 「そうかい、そうかい、じゃあ俺が遊び相手になってやるよ」  百八は、そう言うとまさに猫のような跳躍力で天井スレスレのところまで跳び上がり、再び矢を放った。  ひゅん。  空を切り裂き、再び放たれた矢は猿の胸の辺りに突き刺さる。しかし、これもまた致命傷には至らず、もののけはいとも簡単に体に刺さった矢を抜くと、口の中に放り込んだ。 「これが遊びか?俺はもっと楽しい遊び方を知ってるぜ——」  もののけが、床に着地した百八に狙いを定め、巨大な六本の腕を振り下ろす。すると、地響きのような音がして、床がめりめりと裂け出した。  ——こいつ、腕力がやばい…  百八は振動を避けるように、再びジャンプして矢を射る。しかし、いくら刺さっても同じことの繰り返しだ。  晴人が、祈るような思いで彼の動きを目で追っていると、背後から小さく呟く一葉の声が聞こえた。 「新人君、どいて」  思わず振り返り、通路を左側に避ける。すると、一葉が、静かに歩き始めた。 「黒曜、次に奴が攻撃を繰り出したら——飛んでくれる?」 「分かった。ご褒美は?」 「この前綺麗な『石』を手に入れたの。きっと気に入ると思うわ」 「楽しみ」  そんな会話が繰り広げられている間にも、百八はどんどん矢を放っている。そのうちに、晴人は次第に目眩のようなものを覚え始めた。  ——そうだ、あいつの霊力の消耗と俺の体力が連動してるってこと、忘れてた…  思わず壁に手をついたその時、もののけがタイミング良く再び六本の腕を振り上げた。 「黒曜、今よ!」  一葉が鋭く叫ぶ。  その瞬間、バサッと大きな羽音を立てて、彼女の手から巨大なカラスが飛び立った——

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