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第一章 狂犬との出会い-5
それからリベルは、少しだけ部屋にいることが多くなった。
ユリウスの部屋はすっかりリベル用に改良され、彼のためのソファやベッド、衣装棚まで置かれていた。獣人用の服に着替え、身体も綺麗にしたリベルは誰もが見惚れてしまうほど美しく、部屋に訪れるメイドたちは彼を見る度に目を丸くしていた。
ユリウスとリベルの間には相変わらず会話はほとんどなかったが、ランチやディナーなど、食事をともにしてくれるようになった。
そんな日々を過ごしている間にも、刻一刻と時は過ぎていき、ついにリベルと隷属契約を結んで一週間が過ぎたころ──「継承の儀」の開幕式当日となった。
ユリウスは眩しい日差しが差し込む窓際で、開幕式に参加するため礼服に着替えていた。リベルはソファに横たわり退屈そうに天井を見上げていたが、いつもと違う様子のユリウスが珍しかったのか、じっと視線を送っていた。
ユリウスはジャケットに袖を通し終わると、リベルのもとへ行き、ソファの背もたれから彼を覗き込んだ。
「リベル。その……、俺はこれから中央ホールに行くんだけど、もしよかったら一緒に来てくれないか?」
リベルは無愛想に黙ったまま、すっと赤い目を細めた。
(やっぱり、一緒には来てくれなさそうだな)
ユリウスは少し落胆したものの、まあ自分だけで行けばいいかと思い直して、リベルから視線を外した。
「……別にいいけど」
「えっ?」
しかしそのとき、微かな声がユリウスの耳に届いた。
すぐにもう一度リベルのほうを見ると、彼はのっそりと上半身を起こして、無造作に銀髪を触りながら呟いた。
「お前と一緒に行けばいいんでしょ」
「ああ。リベル、来てくれるのか?」
リベルはこくりと頷いた。まさか同行してくれるなんて。ユリウスは喜びが湧き上がり、目を輝かせた。
「ありがとう、リベル」
「……ふん」
ユリウスが穏やかな笑みを浮かべるのと同時に、リベルは立ち上がり、自らの顔を隠すようにユリウスから目を逸らした。
リベルとともにフリートウッド家の中央ホールに行くと、ホールには既に兄妹たちが揃っており、彼らの背後には、それぞれ使役する獣人たちが控えていた。ユリウスが足を踏み入れた瞬間、兄妹と獣人たちの視線が一気に集中する。
びりびりと張りつめるような緊張感が漂う中、彼らはユリウスの後ろに控えたリベルの姿を見た途端、大きく目を見開いた。
「ユリウス……!」
最初に声を発したのは、カインだった。
おそらくあれだけ反抗的だったリベルが、同行していることに驚いたのだろう。ユリウスは兄を見て微笑み、メイドに案内されるまま、ホールの中心部へと歩みを進めた。
ユリウスが末弟であるダニエルの隣に立つと、ダニエルは目をキラキラとさせてこちらを覗き込んできた。
「えー! 兄さん、ついに獣人を使役したんだ! もしかして、あの『リベル』じゃない!?」
弟はいきなりリベルに近づこうとしたが、ユリウスがそれを制した。背後を振り返り、気怠げに佇んでいたリベルに小声で話しかける。
「リベル。とりあえず今は、ここにいてくれるだけでいいから」
リベルはそれに反応することもなく、ただ黙っていた。ユリウスのほうをじっと見つめるだけで、周囲からの視線には全く動じていない。
そのとき、バタン、と扉を開ける音がして、父の執事が部屋に入ってきた。
「みなさま、お忙しい中お集まりいただきありがとうございます。全員揃っていらっしゃるようなので、『継承の儀』の開幕式を始めます。さあ旦那様、こちらへ」
「お父様……!」
一斉に兄妹たちがざわめいた。続けて入ってきたのは、当主である父であった。父は車輪のついた椅子に座り、メイドに椅子を押してもらいながらホールへと入ってきた。
父は白髪交じりの金髪を後ろで撫でつけ、儀式用に礼服を着ていた。深く皺が刻まれた威厳のある顔つきはそのままだったが、目は落ち窪み身体も痩せ細ったように思える。
「お父様、ご体調はいかがですか?」
「問題ない。いいから、魔方陣の周りに整列しなさい」
父はホールの中央に移動するやいなや、険しい表情で言い放った。
どうやら一刻も早く「継承の儀」を始めたいらしい。父はホールの床に向けて手を翳し、ぶつぶつと呪文を唱えた。父の右手に嵌められた指輪が、赤く光っている。
父が詠唱を終えると、目が眩むような赤い光とともに、ホールの中央に大きな魔方陣が出現した。兄妹たちは驚きながらも、父の指示通りに魔方陣を取り囲む。
「これより『継承の儀』の開幕式を始める。全員、右手を掲げなさい」
兄妹たちは、指輪をつけている右手を掲げた。父はそれを確認すると、自らの指輪に触れながら、再び低く唸るような声で呪文を唱える。
すると兄妹たちの指輪も赤く光り、ユリウスの身体も指輪から伝播するように熱くなっていった。
「フリートウッド家当主の名において、これより『継承の儀』を開始する」
父は堂々と宣言する。彼もまたこの儀式によって当主になった人間だからなのか、自らの子どもが互いに争うというのに、その言葉には悲しい響きは一つもなかった。
赤い光に包まれて、ユリウスが眩しさにぎゅっと瞼を閉じたあと──しばらくして、ようやく身体の熱がおさまったのを感じた。
ユリウスは恐る恐る目を開いた。中央に刻まれていた魔方陣は跡形もなく消えており、何事もなかったかのように冷たい空気だけが漂っていた。
父は再び口を開き、「継承の儀」の説明を始めた。
「これからは指輪に向かって服従の宣言をさせることで、他の候補者を服従させることができる。使役する獣人の魔法を使用することも可能だ。最終的に残った一人が、フリートウッド家の次期当主となる」
父は淡々と話し、兄妹たちはそれを黙って聞いていた。
「ただし、意図的に兄妹を殺害したことが発覚した場合は、王国法に則って処罰され、『継承の儀』においては失格となる。当然のことだが、罪人は当主となる資格がないということだ。またお前たちが使役している獣人によって殺害された場合は、指示を下した主人と獣人の双方が罰せられる」
その場がしん、と静まり返った。終始絶句している者、にやにやとした笑みを浮かべている者、いつも通りのクールな表情を浮かべている者……兄妹たちの反応は様々だった。
その中で、隣にいたダニエルがぽつりと呟く。
「『発覚した場合』って……。それじゃあ誰が殺したかわからなかったら、そのままってこと? 兄さんたちから、暗殺される可能性もあるなんて」
ユリウスは弟の言葉に、ごくりと唾を飲み込んだ。
(今後はここにいる全員が敵になる。気を引き締めないと)
ユリウスは自らの不安な気持ちを悟られないようにしながら、後ろに控えるリベルをちらりと見た。
しかし彼は相変わらず、無表情でその場に佇んでいた。
ユリウスはリベルとともに自室に戻ると、ようやく緊張が解けて、思わず息を吐いた。一方でリベルは部屋に入るやいなや、ソファに腰を下ろす。
「リベル、同行してくれて助かったよ」
ユリウスはそう言いながら自室の鏡の前へと立ち、重たい上着を脱いで肩を回した。
ふと見ると、窓の外は暗闇に包まれていて、月の光が美しく輝いていた。
「ああ、もうこんな時間か。もうすぐメイドがディナーを準備してくれると思うから、ちょっと待っててくれ」
再びリベルに声をかける。やはり返事はなかったが、いつものことなので気にはならなかった。
しかし数秒の沈黙の間を経て、背後からぽつりと声が聞こえた。
「協力するって、なにをすればいい?」
「えっ?」
ユリウスはゆっくりと後ろを振り返った。リベルは真剣な面持ちで、ユリウスをまっすぐに見つめていた。
「前に言ってたよね、『協力してほしいことがある』って。それがあの儀式の内容ってこと?」
その瞬間、ユリウスは驚きのあまり目を見張った。
以前は、ユリウスが話そうとしても一切聞く耳をもってくれなかった。けれど今ではこうして、ユリウスの話を聞こうとしてくれているのだ。
「……ああ。実は俺がリベルと契約を結んだのも、『継承の儀』が始まるからなんだ」
「継承の儀っていうのは、次期当主争いのこと?」
「そうだ」
ユリウスはそれから、フリートウッド家のことや、「継承の儀」のことを話し始めた。
リベルは一通り説明を聞き終わると、腕を組みながらはっ、と笑った。
「ふーん、なにそれ。そんなに『次期当主』に価値があるの?」
「はは、そうだよな。……俺も、そう思うよ」
ユリウスが乾いた笑いを返すと、リベルは面食らった様子を見せた。
(俺が望んでいることを、リベルにちゃんと話さないと。そして、彼に信用してもらわないと……)
ユリウスはソファに座るリベルに近づいて彼の正面に立ち、その場で膝をついた。
リベルは動揺していたが、ユリウスの射貫くような視線に言葉が出ないようだった。
「リベル。俺は、次期当主には興味がない。だけどこの指輪のせいで『継承の儀』を放棄することは許されないんだ」
リベルはユリウスの右手に嵌められた指輪に視線を送った。指輪は赤い光を放っていて、ユリウスが外そうとしてもびくともしない。
「俺はこの争いで生き残って、この家から出て自由になりたい。そしてリベルとの隷属契約も、『継承の儀』が終わったら解除しようと思ってる。それで君は、完全に自由になれるんだ」
「……自由に?」
「ああ。だから、どうか俺のことを信じてくれないか」
リベルはぴくりと眉を顰めた。出会った当初よりも表情や口調は穏やかになっているが、彼の瞳を見ると、やはり不信感が残っているように見えた。
(いくら俺が口で言ったところで、きっとリベルは信じないだろう)
ユリウスは意を決して、ごくりと唾を飲み込み、リベルの首元に手を伸ばした。
「──だからこれは、俺たちの間にはいらないと思ってるんだ」
「なっ……!?」
大きく目を見開くリベルをよそに、ユリウスは彼の赤い首輪を外した。
この首輪があれば、リベルに「命令」ができて、かつ彼の放つ魔法が主人だけには効かなくなる。だからこそ首輪は隷属契約では必須のもの──信頼関係を築けていない状況なら尚更だった。
けれどユリウスは、臆することなく首輪を外したのだ。
「リベル。どうか、俺を守ってほしい」
ユリウスはリベルと視線を合わせて微笑んだ。その笑みに、リベルの瞳に光が差し込み、頬が紅潮した。
「本当に、僕を自由に……?」
リベルは首元に手を当てながら、ぽつりと呟いた。ユリウスは彼の瞳をまっすぐに見て、大きく頷く。
「ああ、約束する」
力強いユリウスの言葉に、リベルはごくりと息を吞んだ。
リベルがその気になれば、今すぐユリウスを魔法で殺害することもできただろう。しかしリベルは、なにもせずにユリウスを見つめていた。
──その紅い瞳には、もはや疑いの色はなくなっていた。
***
首輪を外してから数日が経ち、リベルとの関係は、徐々に良い方向へと進んでいた。
というのも、あれだけ勝手に外出していたリベルは、常に部屋にいるようになったのだ。相変わらずそこまで話をするわけではないのだが、挑発するような物言いもしなくなり、大人しくしていた。
一方でユリウスもまた、「継承の儀」で兄妹たちから攻撃を受けるリスクを避けるために、ここ数日は部屋に籠もりきりだった。
(案外、みんなすぐには動かないんだな。もしかしたら、他の兄妹たちがどう出るかを探っているのかもしれないけど)
ユリウスは暗くなった部屋で考えごとをしながら、読んでいた本を閉じる。
壁掛け時計を見ると、時計の針は午後十時を指していた。ディナーを終えて読書をしていたら、すっかり夜になってしまったらしい。
「ふぁ……」
ユリウスは襲いかかってきた眠気に抗えず、あくびをした。そろそろ寝ようかと椅子から立ち上がったとき、リベルがソファの背もたれから顔を出して、こちらを見つめていることに気がついた。
「ん……?」
ユリウスは穴が空くほどじっと見られて、少しだけたじろいだ。
(なんか最近、リベルに見られてることが多いんだよな)
ユリウスが読書をしたり着替えをしているとき、必ずリベルがこちらを見ているのだ。その割に話しかけようとはしないので、どう反応していいのかわからなかった。
「リベル。えっと……俺、そろそろ寝るから。それじゃあ、おやすみ」
ユリウスは気まずさに耐えかねて、沈黙を破るように声をかけた。リベルはなにか言いたげに一瞬だけ口を開いたが、結局すぐに口を閉じて、銀色の耳をぴくりとさせた。
ユリウスは寝衣に着替えると、自らのベッドに横になった。ユリウスはだだっ広いベッドで仰向けになり、天蓋をぼうっと眺めながら瞼を閉じようとした。
「ご、ご主人様」
しかしそのとき、ユリウスの視界にリベルが映った。
「リ、リベル? どうしたんだ」
(聞き間違いじゃなければ、今、「ご主人様」って言わなかったか……!?)
ユリウスは急いで飛び起きて、彼の様子を伺った。
リベルは耳を垂らし、目を伏せていた。しばらく逡巡するように視線を泳がせていたが、ようやくおずおずと口を開く。
「一緒に寝たい」
「……えっ?」
「一人で暗いところにいると、眠れないんだ。あの檻にいたときのことを思い出しちゃって」
リベルはいつもの生意気な口調とは異なり、長い睫毛を震わせながら掠れた声を出した。
──俺と同じだ。
ユリウスは一瞬、そんなことを思ってしまった。弱々しいリベルの姿が、雷の日になると全く眠ることができず、不安と孤独に苛まれる自身の姿と重なった。
(最近なにか言いたげだったのは、このことだったのか? もしかして、ずっと寝られなくて悩んでた?)
ユリウスは呆然としながら、考えを巡らせていた。リベルは不安げな表情で、再び口を開く。
「……駄目?」
懇願するような眼差しに、ユリウスの心はひどく揺さぶられた。
リベルが劣悪な環境で檻に閉じ込められていたことを知った今、彼のお願いを断るなんてできない。
「わ、わかった」
ユリウスはベッドの奥に移動して、リベルを招き入れる。幸いにもベッドが広いおかげで、男二人でも狭さは感じなかった。
しかしリベルがユリウスから片時も視線を外さず、じっと見つめ続けているので、まったく落ち着かない。
リベルはそのまま、ユリウスと顔を向かい合わせながら微笑んだ。
「ご主人様。僕をあの地獄から救い出してくれてありがとう」
ユリウスは瞠目し、目を瞬かせた。
●・○・●・○・●・○・●・○・●・○・●・○・●・○・●・○・●・○・
試し読みはここまでになります。
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