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第一章 狂犬との出会い-4

 しかしリベルはそれからも、ユリウスに心を開くことはなかった。 「また勝手にどこかに行ってるな」  隷属契約を結んで数日後、ユリウスは空っぽになった自室を見ながら頭を抱えた。  リベルはあれからも頻繁に、ユリウスの部屋を勝手に出ていって屋敷の中を自由に徘徊していた。さすがに衣食住に困るのは嫌なのか、食事時や夜になると帰ってくるものの、それ以外はほぼいない。 「継承の儀」が始まるまで数日と迫っており、ユリウスは内心焦りを感じていた。 (「継承の儀」が始まる前に、少しでも距離を縮めたいと思ってたけど……。話す機会もないんじゃ、縮めようがないよなあ)  ユリウスは悩むあまりソファに腰かけて、呆然と天井を見上げていた。するとそのとき、ノックの音が響いた。 「ユリウス、すまない。ちょっと今いいか?」  聞こえてきたのは兄であるカインの声だった。ユリウスは不思議に思いながらも扉を開ける。 「カイン兄さん? ……と、レオ?」 「お久しぶりです、ユリウス様」  カインの背後には、兄の獣人であるレオも控えていた。レオは恭しく一礼をして、ユリウスに挨拶をする。  彼は胸まであるオレンジ色の長髪と、太陽のように輝く瞳が特徴的な美しい獣人だった。強力な「光」の魔法を操れるらしく、外見はユリウスやリベルと同年代に見える。金色の首輪を嵌めたレオは、まるで従者のように背筋を伸ばして、気品のよい笑みを浮かべていた。 「えっと、とりあえず二人とも、部屋に入ってください」  ユリウスは予想外の来訪者に慌てながらも、ひとまず自室に入るように促した。  部屋に入ったカインは、きょろきょろと周囲を見回しながら呟く。 「ユリウス。先日獣人を使役したと聞いたが、今は部屋にはいないのか?」 「あ、はい。実はそうなんです」 「そうか。ならちょうどよかったかもしれないな」  カインとレオは、ユリウスの正面のソファに腰かけた。ちょうどメイドが紅茶を持ってきてくれたので、ユリウスたちはお茶でもしながら話をしようということになった。 「それで、話っていうのは……?」 「ああ、先日お前が獣人を使役したと聞いて、困ってることはないかと気になってたんだ。ほら、前にも獣人と信頼関係が築けるか不安だって言ってただろ」  カインはレオと顔を見合わせながら、心配するように目尻を下げた。 (それでわざわざ話を聞きにきてくれたのか? たしかに兄さんになら、リベルとの関係の築き方を相談できるかもしれない)  ユリウスはそう考えて、おもむろに口を開く。 「実はちょうど今、それで悩んでまして」 「ほお?」 「兄さんが紹介してくれた店に行って、獣人と契約を結んだんですが、中々信頼関係を築けそうになくて。どうやら人間に対してかなり警戒しているみたいなんです。たしか獣人が元々持っている能力を引き出せるかどうかも、主人との信頼関係によって変わってくるんですよね?」  深刻そうな表情で問いかけるユリウスに、カインは頷いた。 「ああ。獣人は元々個々の能力で魔法を使えるんだが、隷属契約をしたあとは、主人のことを信頼していればいるほど本来の力を発揮できる。逆に信頼していなければ、力が抑えられた状態になってしまうんだ」 「やっぱり、そうですよね……」 「『命令』をして言うことを聞かせることもできるが、獣人の意志を無視して命令をし続ければ、それはそれで信頼を損ねるからなあ」  カインの言葉に、ユリウスは俯いた。そもそもあのリベルの様子を見ると、命令なんかした日には二度と口を利いてくれなくなりそうだ。  悩むユリウスを見かねてか、レオが穏やかな口調で会話に入ってきた。 「ユリウス様。私も最初は、主人であるカイン様に警戒心を抱いておりました。きっと獣人なんてそんなものですから、誠実に接すればきっとわかっていただけるかと」 「……そうなのか?」 「レオ、それは俺も初耳だぞ?」  レオはカインと微笑み合った。気心知れた二人の間には、穏やかな雰囲気が流れている。 「カイン兄さんとレオは、本当に信頼し合っているのが伝わってきますよね」 「はは、ありがとう」 「いったい、二人はどういう経緯で契約を?」  ユリウスは聞いてもいいのかと戸惑ったが、レオはむしろ誇らしげな表情で答えた。 「実はカイン様と出会ったのは、ユリウス様も行ったあの『獣人専門店』だったんです」 「えっ……!」 「幼いころは獣人だけが住む集落にいたのですが、獣人の中でも特に強大な能力を持っていたもので、他の獣人に恐れられて村を追われてしまったんです。行く当てがなかった私は、あの店に引き取られることになりました」  レオは昔を思い出しながら、ぽつぽつと語り続ける。 「とはいえ私は人間を見るのも初めてでしたし、ずっと店の個室の隅で怯えていたんです。だけどそんな時に、カイン様が来てくださいました」  レオはカインをちらりと見ると、美しい笑みを浮かべた。 「カイン様は愛想もない私を選んでくださって、綺麗な衣服と温かい食事を与えてくださいました。それに、私を友人だと言って、対等に扱ってくださったんです。同じ獣人から裏切られて店に来たものですから、それがどれだけ嬉しかったことか……」 「最初は俺も、契約をしようだなんて思っていなかったんだけどな。怯えるレオの姿を見て、変な貴族に買われるよりも、俺のもとに来てくれたほうがいいだろうと思ったんだ」  二人は視線を合わせて当時を振り返った。レオがカインに向ける眼差しを見ただけで、彼がどれだけ主人を敬愛しているかがわかる。 (カイン兄さんは人格者だし、こういう人ならきっと、獣人にも信用されるんだろうな) 「素敵ですね」  ユリウスも自然と頬が緩み、胸が温かくなった。  それならリベルもきっと、まだ警戒している状況なのだ。レオの言うとおり、焦らずに誠実に接していけば、だんだんと良好な関係を築けるはず。ユリウスはそう思いながら、ティーカップに口をつけた。 「ユリウス様。先日契約を結んだという獣人は、どのような方なんでしょうか? 私はまだその方の姿を見てないものですから、気になってしまって」  レオも優雅にティーカップを口元に運びながら問いかけてきた。  ユリウスはなんの気もなく、自らの獣人のことを話し始めた。 「名前を『リベル』って言うんだけど、人間でいうと俺と同い年くらいの男の獣人で──」 「……えっ?」  しかしその瞬間、レオは大きく目を見開き、カインもぴたりと動きを止めた。和やかな雰囲気から一転して、その場がしん、と静まり返る。 (な……、一体どうしたんだ?)  なにか気になることでもあるのかと口を開きかけたとき、レオが突然前のめりになって尋ねてきた。 「今、『リベル』と言いましたか? 銀髪に赤目の獣人ですよね?」 「う、うん」 「本当に、彼と隷属契約を結んだんですか?」  ユリウスがこくこくと頷くと、レオとカインは顔を見合わせた。 「カイン様、これはどういうことでしょうか。リベルはあの一件以来、売買を禁止されているはずじゃ……?」 「ああ、そのはずだが……。ユリウス、本当にあの店でリベルが紹介されたのか?」  焦ったように詰問する二人に、ユリウスは動揺していた。自分はただ、リベルの名前を出しただけだ。 「店にいる商人から、『ユリウス様にお勧めの獣人がいる』と、真っ先に紹介されました。いや、それはともかく……お二人はなぜリベルを知っているんですか?」  ユリウスは真剣な表情を向けた。カインは深いため息を吐くと、弟に向き直った。 「なにも説明せず、質問責めをしてしまってすまない。実はリベルは、獣人を使役している貴族の中では有名だったんだ。──誰にも使役できない、美しい狼獣として」 「どういうことですか?」  疑問を覚えるユリウスに、今度はレオが続けて答えた。 「たしか七年ほど前だったと記憶していますが、リベルがあの店に引き取られてすぐに、とある貴族が主人として名乗りをあげたそうなんです。だけどその貴族がリベルと隷属契約しようとした際、リベルが力を使って暴れたようで。それで貴族の方は大怪我を負ってしまい、その事件の後は店側もリベルを売ることはやめたそうです」 「そんなことが……。でも、それならなんで俺に」  カインは顎に手を当てて、考えるそぶりを見せた。 「担当した商人は、ユリウスが昔の事情を知らないと思って紹介したのかもしれない。いくら七年前の話とはいえ、ここまで噂になっていたら誰も欲しがらないだろう。店側からしてみたら、いつまでも引き取り手がいない獣人の世話をするのは負担になるからな」  ユリウスは過去の話を聞いて、リベルがあの檻に入れられていたときのことを思い出した。彼は他の獣人と異なり、力を制限する手枷と足枷をつけられて、傷だらけの状態で放置されていた。 (もしかしてあの扱いも、貴族に怪我を負わせたことで取引ができなくなって、店から虐げられていたからじゃないのか?)  想像すればするほど、なぜリベルだけが酷い扱いをされていたのかという辻褄が合うような気がした。あまりに惨たらしい話に、ユリウスは顔を伏せて唇を噛みしめる。  レオはそんなユリウスの様子を窺いながら声をかけた。 「ユリウス様。申し訳ございませんが、先ほどの私の発言を撤回させてください」 「えっ?」 「リベルの噂は、私たち獣人の間でも広まっています。強大な力を持つ一方で、とても反抗的で誰かに従順するような獣人ではないと。……それに、いくら隷属契約をしていると言っても、少しでも隙を見せれば殺される可能性だってあります」  ユリウスは瞠目し、言葉を詰まらせた。 「獣人である私が言うのもおかしな話かもしれませんが、きっとユリウス様の力になってくれる獣人は他にもいると思います。リベルの隷属契約を解除して、他の獣人と契約し直してはいかがでしょう」  レオの言うことはもっともだった。  隷属契約は同時に一人の獣人としか結べないが、主人からであればいつでも契約を解除できる。  このまま契約を続けていてもリベルの力を発揮できる機会はなく、さらにリベルから寝首を掻かれるリスクまであるとしたら、他の獣人に変えるのは得策だろう。  ──しかし、ユリウスは迷っていた。理屈では変えたほうがいいとわかっている。けれど…… 「ユリウス、本当に申し訳ない。俺があの店を紹介したばっかりに。レオと出会ったのもあの店だったから、つい信用してしまったんだ」  視線を泳がすユリウスを見ながら、カインは苦々しく顔を歪めた。 「い、いえ! それは気にしないでください」 「ユリウス様、これからどうなさるつもりですか?」  あらためて問いかけられて、ユリウスは自らの獣人に思いを馳せた。 (俺が隷属契約を解除したら、きっとリベルはまた檻に戻ることになる。あんなに暗くて恐ろしい場所に、彼を一人きりにしていいのか?)  ユリウスは拳を握り、悩んだ末に決意を固めて、ゆっくりと口を開いた。 「俺は、リベルとの隷属契約を解除する気はありません」 「なっ……! で、ですが……」  レオは大きく目を見開いた。 「リベルが貴族に大怪我を負わせたという話でしたが、いきなり隷属契約をしようとした貴族に、抵抗するのはおかしいことじゃないと思うんです。それにまだ、彼にはこの家に来てもらったばかりですから。まずは俺が信用してもらえるような行動をしようと考えています」 「ユリウス……」 「レオ、カイン兄さん。俺のことを心配してくれて、ありがとうございます」  レオはまだ不安げな表情だったが、一方でカインは弟の決断を応援するように微笑んだ。 「お前がそう言うなら、俺は賛成するよ。でも、なにかあったらいつでも相談してくれ」  兄の優しさが、心に沁み入るようだった。ユリウスが頷くと、カインは腰を上げた。 「レオ。そろそろランチの時間だし、俺たちは出よう」 「そうですね、カイン様。それじゃあユリウス様、またの機会に」  そう言ってレオも立ち上がり、二人は部屋の扉を開けた。しかしその瞬間、カインは驚いたような声を上げた。 「あ、君は……」  ユリウスが振り向くと、扉の向こうにはリベルが立っていた。  おそらく昼時になったため、一度戻ってきたのだろう。リベルは、カインとレオを睨みつけている。 「君が『リベル』だよな? 会えて嬉しいよ、俺はユリウスの兄の──」  カインが朗らかな笑みを浮かべて挨拶をしようとしたが、リベルは彼を無視して、無言で部屋に入っていった。 「リベル……!」 「ユリウス、いいから」  ユリウスがリベルに呼びかけようとするも、カインは困ったように笑って、すぐにその場から立ち去った。 (兄さんが優しい人でよかった)  ユリウスはほっと胸を撫で下ろしながら、ちらりとリベルを見た。彼は表情筋を一切動かさず、無愛想なままソファに座っている。  ユリウスはため息を吐きたいのを抑えながら、部屋の前で待機しているメイドにランチの準備をお願いしようとした──そのときだった。 「お前、馬鹿だね。さっさと僕との隷属契約を解除して、あの店に戻せばよかったのに」 「……えっ?」 「でも、これでわかったでしょ? 僕がどんな獣人か。相手が貴族だろうと関係なく、本当に殺そうとするやつだって」  リベルは自嘲気味に口角をつり上げながら、ユリウスに鋭い視線を向けていた。 (兄さんたちとの会話を聞いていたのか)  ユリウスは驚きながらも、彼をまっすぐに見つめた。 「でも、それじゃあリベルがあの檻に戻ることになるだろ」 「だからなに。それがお前とどう関係あるの?」 「俺には関係ないのかもしれないけど……。でもあんな場所に、リベルを戻すのは嫌だと思ってる」  リベルは怪訝そうに眉をぴくりと震わせた。そしてしばらく押し黙ったあと、小声でぽつりと呟いた。 「……人間のくせに、変なやつ」  リベルはそれだけ言って、部屋の奥にあるソファに横たわり、ユリウスに背中を向けた。  ──ユリウスは獣人の力を借りて、「継承の儀」を生き残りたい。けれど、リベルをあの檻に戻して、他の獣人と契約し直すことはしたくない……。  相反する想いが、ユリウスの胸に渦巻いていた。  これを解消するには、リベルに信用してもらう必要がある。しかしリベルには、きっと普通の方法では認めてもらえないはずだ。 (どうしたら、俺のことを信用してくれるようになるだろう)  ユリウスは必死に考えながら、リベルの背中を見つめていた。

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