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第21話

 今日はタカハシも面会人扱いで、夜の七時には病室を出なくてはならなかった。それでも明日も学校の帰りに寄ってくれるというので、ぼくの学ランの中の腕時計を持ってきてと頼んだ。どうもぼくは時間が分からないと落ち着かない人間らしい。そう伝えると、 「これ貸してやるよ」  差し出されたのはモバイルバッテリーつきのスマホだった。 「これで時間が分かる。ゲームもできるからヒマつぶしにもなるぞ」 「いくらなんでもこんなの借りられないよ。あんただってないと困るだろ」 「別に? たいした連絡も入らないし。ゲームでもして遊んでいたら、一人でも寂しくないだろ?」  あまりに強引に差し出されるので、ぼくもゲームができたらさぞや面白いだろうという期待もあり、結局、借りることにした。それにタカハシのものを一つでも手にしていれば、それこそ一人になっても少しは寂しさがまぎれるだろうと考えた。  病室で一人で過ごす夜は、異様に長く感じられた。教えてもらった画面を開いて慣れない手つきでパズルゲームをしてみる。ところが。  たいした連絡も入らないし?、なんてあっさりとタカハシは言っていたけれど、けっこううるさくメールが入ってくる。一時間に四、五通は、軽く。ご丁寧に画面の左上に名前なんかが出てくる。男ばっかり。当然、どれもぼくの知らない名前ばかりだ。  しかもあろうことかメールの始めの文まで見えてしまうものまである。  これはタカハシのプライバシーだから見ちゃあならない、と思いつつ、つい、気になって目が行ってしまう。 『次の連絡待ってるんだけどー』  とか。 『こないだの夜はごちそうさま、』  とか? 『先輩お元気ですか?そろそろ会』  …。 『俺の宗太(キスマーク×5)』  …あううう。 『エロス!』  は? なに? いきなり文頭がエロス!ってなに?  ――いったいタカハシはどういうかたがたとどんな付き合いをしているのだろう。  メールへの要らぬ対応に、心が乱れに乱れて疲れ果て、ぼくはぐったりとベッドに沈みこんだ。  これは精神衛生上とてもよろしくない。ただでさえぼくは心療内科の受診を勧められているときだというのに、これでは悪影響を及ぼしかねないではないか。  だからスマホの電源を切った。こういうのは見ないに限る。  だって、タカハシはもうぼくのものなのだから。  なぜなら彼はぼくに愛してると言ってくれたのだもの。  ぼくだけを、好きだと――――。 (それ、ホントかな?)  期待に膨らませた風船が音を立ててあっというまにしぼんで小さくなってゆく。  まったく、もうちょっと冷静になるべきなのかしらん。  だいたいあのタカハシが誰か一人のものになる、なんてことが想像できるだろうか。彼を知れば知るほど結びつかない。  男前な態度で男前なことをぬかしちゃうやつ。  来るもの拒まずで日替わり相手にセックスしちゃうやつ。  茫漠として掴み所がないかと思えば、突然キザな顔してキザなことをぶちまけてくれちゃうやつ――――。  かえすがえす、なんだってぼくは、よりにもよってあんなのを好きになってしまったんだろう。こんなにも、深く、深く、心が震え、胸が痛むほどに。  だいたい、こんなメールは今日に限ってではないのだろうに、なぜぼくにわざわざ見せつけるみたいにスマホを貸したりするんだ? まるで、「じつは俺には相手がこんなにたくさんいるんだから、昼間のことは全部冗談だよ」と言わんばかりに…。  タカハシへの不信感で目が冴えてしまい、眠れない。  その不安を払拭するように、タカハシの告白の言葉を思い出そうとする。早くももう半分忘れかけているのに気付いて、慌てて引っぱりだして記憶し直した。 (もう他のやつとは付き合わない――――) (大事にするから――――) (初めての両想いだから――――)  指先で、そっと唇を撫でてみた。タカハシの感触がまだ強く残っている。だってあれからもぼくたちは目が合えばキスを繰り返して、マスクをして帰ったからいいもののタカハシの唇は真っ赤だった。そしてぼくは痛むペニスのくせして勃っていたし、見たところタカハシだって…。  指の甲を使って、タカハシとのキスを再現してみる。  こんなふうに大きく口を開いてさ…。舌を出して、めちゃくちゃに舐めあって。いやらしく、ぺちゃぺちゃと音をたてて。あ……欲しい。本物のタカハシが欲しくなる。そして半勃ちになる。どうしよう。オナニーしたくなるよ。タカハシを思って…、この手をタカハシのものだと想像してさ…。ああ――――こんなふうに激しく扱いてもらってさ…。  と、興奮したところではたと気付く。やばい。ぼくはティッシュすら持っていない。  ううっ。腰を振るわせながら手を外した。ツラい。男ってほんと不便だ。 「――あ…」  暗い天井を見あげて呼吸を整えた。  タカハシはいま、どんな気持ちでいるだろう。ぼくがタカハシを思い浮かべながらこんなふうに心臓をばくばくさせて身悶えているなんて、思いもよらないだろうな。どころか、ぼくのことなんてすっかり念頭になかったりして。 (こんなことなら手でも口でも使ってイかせとけばよかった)  いや。タカハシを、だ。  だって不安だ。  今夜、いまだって誰かを抱いているのかもしれない。あんなこと言いつつ、可愛い子から誘われたら断れない彼だから、可愛いか可哀想かを思って、誰かを抱いちゃうかもしれない。 (ああ。嫌だ。そんなの)  黒々としたものが胸を焦がす。こういうのを嫉妬というのだ。胸が押しつぶされるみたいに息苦しくなって、呼吸するのさえつらくなって。 (でも、なにが嫌だというんだろう)  我がことながらこれは奇妙な心境の変化だった。  そもそも、タカハシがモテモテのプレイボーイなんていうのは分かりきっていたことで、それでもぼくは勝手に好きになっちゃったんじゃないか。それを今日、突然、タカハシから告白を受けたところで、現実がそうがらりと変わるはずがない。 (それとも欲張りになっちゃったのかな)  事実、そうなのだろう。人間というのは幸福にはすぐに慣れてしまうらしいから、ぼくだって例外じゃない。  ものすごく贅沢なことに、タカハシから好きだ、愛してると言ってもらえて…。  信じられないことに、両想いなんてものになってしまって…。  俺のステディになれ、なんて言われちゃって…。  普段のタカハシからは思いもよらない熱い口説き文句を続けざまに浴びせられて、もう、のぼせあがるくらいに有頂天になったぼくは、もっともっとタカハシのすべてがほしくなっちゃって、さっそく欲張りになっているのだろう、愚かしいことに。 (そりゃあ、惨めだ)  だってそんな、タカハシの全部を手に入れることなど、ぼくにできるわけがないのだから。そんなことを欲してしまえば、自分が惨めになるだけなのに。 「分を知れ、分を」 「女郎の分際で、何を言うか」  自分で自分を諫める。  だってタカハシは殿様だよ?  そして、ぼくはやっぱり女郎だ。  いつまでたっても無様で浅ましい女郎だ。  たまたま甲斐性もちのお殿様のお目にとまっただけの。お優しい旦那様のお情けに、偶然、あずかっただけの。  日陰者のぼく。隠花植物のように眩しすぎる日差しの下には向かない、シダのようなぼく…。  そんなぼくをタカハシは好きだと言ってくれた。今日、あのときだけでも、その言葉だけは本物で、それでぼくは生きる力がわいてくるほどに幸せだったのだから、すごい力だ。だから、それでいいじゃないか、だろ? 女郎の佳樹よ?  それで明日、もしフラれるとしても。  もしそうだとしても、ただ、元のぼくに戻るだけ。なにもそう不安がる必要もない。  それでいいじゃないか。  いまだけは幸せを感じて。素直にそれを噛みしめて。  タカハシを信じて――――。  目を閉じ、まぶたの裏にタカハシの綺麗な面差しを思い浮かべて、語りかけた。 「好きだよ。おやすみ、タカハシ――――

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