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第23話
翌日には食事も普通にとれるようになって、点滴も外れ、髪とギプスのない下半身だけでもシャワーを浴びることができた。塚原さんが持ってきてくれた施設の名前が書いてあるパジャマにさっそく着替えた。
夕方には担任が面会に来た。ぼくの体調のことを心配して、いろいろと訊ねてくる。
「大事にしなさい、きみがまた学校に来るのを待っているから」
何気なく言われたけれど、これからもあの学校に通っていいのだろうかという疑問が興った。
あの学校は悟さんが入れてくれた私立校だし、今後の学費はどうなるのか。施設の保護の身で私立校に通うなんて贅沢ではないのだろうか。きっとこんなことも塚原さんたちと相談しなくてはならないのだろう。
けれど半ばぼくは、もう高校自体に行かなくてもいい気がしていた。
どうせ死ぬつもりだったのだし、死んだ気になればどんな生活でも耐えられるのだから、そんな底辺的な人生を送ろうとしている自分が高校をだらだらと続けていてもしかたがないように思われた。
先生から少し遅れてタカハシが来てくれた。
今日はいかにも学校帰りらしく、サブバッグを肩に担いで、半そでシャツの胸元を大きくはだけさせた相変わらずスレた格好をしている。
タカハシが入るとやっぱり病室が明るく、華やかになる。これはひとえにぼくの気持ちのせいだろう。
なのに担任はタカハシをドアに認めた途端、軽蔑をあしらった顔になって彼を一瞥した。ぼくは一瞬でその冷たい視線の意味を悟った。
(知ってるんだ)
思考が冴え冴えとしてゆく。
当然だろう。橘先生か、警官か、塚原さんか。誰か分からないけど、もしかしたらみんなで情報を共有している可能性も高いけれど、そのうちの誰かから伝え聞いたのだ。タカハシとぼくとの関係を。
(どうなんだろうね)
ぼくは久しぶりに皮肉に考える。
自分んとこの生徒がホモッ気でセックスまでしちゃって、加えて病院だの警察だのの厄介になってるってのは、先生にとってはどういう心境なのだろう。
うずうずと、先生の前でタカハシにキスしたい気分になった。どんな反応が返ってくンのかな、と。
もちろんこれはぼくのささやかな反抗だ。先生のタカハシを見た目つきが気に食わなかっただけの。ぼくの大事なタカハシを、まるで罪人みたいに見た目つきが業腹なだけの。
タカハシがぼくのそばに来た。
「宮代は体調も充分ではないのだから、長居するなよ、高橋」
先生がきつく声をかける。それでまたぼくはカチンとくる。だいたい、なんでタカハシにだけきつく当たるんだ? ぼくだって、いや、ぼくの方こそが、すべての元凶なのに。
「はい」
タカハシが力なく返事をした。
ぼくはついと手を差し出して、タカハシのぶらんとたれさがっていた手を握った。それで先生がぎょっとする。タカハシもびっくりしたような目でぼくを見おろした。ぼくはわざと淫靡に口元を緩めた。
「会いたかった…タカハシ。来てくれてありがとう。ぼく、本当に嬉しい…」
トロンとした上目遣いをして、めいっぱいに甘ったるい声を出してやった。先生が固まったのが伝わってくる。へん。ざまあみろだ。
「じ、…じゃあ、またな、宮代。また明日、顔を見に寄るから」
貼りつけたような笑顔で取ってつけたような台詞を言い、そわそわと病室を出ていく。そんな先生に、もう来んな、と声をかけそうになった。うん、やっぱり我ながら何様だ。
先生が消えると、タカハシはポーカーフェイスから困った笑顔に変える。
「しつけの悪いお姫様だな、佳樹は」
そのしつけの悪いぼくをとことん甘やかすみたいに優しく言って、枕もとの椅子に座る。ぼくはムスっとして答えた。
「だって、すごい嫌な目でタカハシのこと見たじゃない。癪に障ったんだよ、ぼく…」
言い終わらぬうちに、タカハシがぼくの腕を引き寄せてキスをくれる。ぼくの唇を繰り返し啄み始める。
「あ――? こうしたかったよ、ぼく…。あんたを、ずっと待ってたの…」
幸福に酔いしれる。すぐに勃起してしまう。タカハシも勃ってくれているだろうか――――?
手でまさぐるようにしてタカハシへと伸ばした。そこはかたく勃っていた。
「嬉しい…勃ってくれてるの、嬉しい――」
ぼくの言葉を笑い、深いキスで被い塞ごうとする。ぼくが唇を引いたからキスが止まった。
「イかせて。口と手でいい?」
やったことないけど。
「うまくできるかどうか、分からないけど…」
タカハシがうろたえた表情になる。なに。初めてじゃないくせに。
「別にいい。我慢できるから」
素っ気ない返事だった。キスはあんなに盛りあがったのに、とぼくはしょぼくれてしまう。
「そんな顔をするな」
タカハシが苦笑する。
「襲いたくなるだろ」
言葉尻をとって言い返した。
「じゃあ襲ってよ。ぼく、あんたをイかせたいんだよ」
「そんなことより、いまは体を治すのが先決だ」
落ち着きはらった言いかたをする。それでぼくはもっと肩を落とした。タカハシがぼくの股間に手を伸ばしてくるから、ぎょっとして身を引いた。
「それとも、イかせて欲しいの? だったら、それこそ口でやるけど?」
タカハシの手は難なくパジャマに滑り込んで、ぼくのペニスへと到達してしまう。
「えっ…? いや…、そんなつもりじゃ、なくて、」
焦りつつ、その手を握って止めた。でも頭のどこかでは後学のためにまずやってもらうのが先なんじゃないか、などという不埒な考えがちらつく。
きまり悪くパンツから彼の手を取り出して、ぼくは小さく溜め息をついた。
枕の下に隠してあった彼のスマホを手渡す。画面がすぐにオンにならないのを見て、タカハシが怪訝そうな声をあげた。
「あれ? バッテリー、もう切れちゃった?」
「いや…。ぼくが、電源切った」
「そう。ああ。そうだ、これ、忘れないうちに」
胸ポケットからぼくの腕時計を取り出す。
「あ…、ありがとう!」
嬉しくて両手で受け取った。タカハシの体温で温まった時計がぼくの腕に収まる。そのぬくもりになんともいえず胸がきゅんとした。
タカハシがスマホを枕元に置く。
「これは今夜も貸していくよ。充電器、持ってきたから。コンセント借りちまえ。ゲーム、できただろ?」
いえ。じつはそれどころじゃなかったのです。
そうも答えにくくて、タカハシの顔をそっと覗った。別に裏の考えなんてなさそうな、何食わぬ顔をしている。
でもタカハシだから。
ぼくより何枚もうわてなのだもの、この人は。
あのメールの数々をぼくに知らせたいなにかの企みでもあったのかもしれない…などと、思考の雲行きがあやしくなる。こんなことを考えるなんて、やっぱりタカハシのことを信じきれてないんだろう、ぼくは。
「いっぱいメール届いてたよ。見てやらなくていいの? あんたを好きなヤツらからなんだろ?」
やきもちが声にならないように気を付けた。一瞬、なんのことかとタカハシがきょとんとする。
「ああ。そうか」
しばらくたって、間の抜けた声を出す。あれ。わざとじゃないのかな。
タカハシって意外と天然なところがあるのかもしれない、まめなわりに。
「気にするな。みんな断る」
屈託なく言う。その軽々とした宣言に、ぼくは再度、不信感が込みあげた。
「そんなことできる?」
「ああ」
あまりに呆気なく断言するので、ぼくはスマホの向こうにいる子たちにまでヘンな同情をしてしまう。そのうちにぼくもこんなふうにあっけらかんと断りを入れられそうだな。なんだか怖いよ。
「ねえ、タカハシ。初めて両想いになったなんて、嘘なんだろ。こんなにモテるのにさ、ぼくとが初めてのわけ、ないじゃん?」
重く感じられたくないから、できるだけなんでもないふうを装った。タカハシもなんでもないふうに言い返す。
「ほんとだ。嘘じゃない」
「なら、これまで好きな人はいなかったの?」
続けた質問には、咄嗟に口ごもる。
あ。いたんだ。
第六感というやつで、ぼくは気付く。
「本当にあんたって、好きでもないやつらとセックスしてたんだな」
思わず棘のある台詞が飛び出てきて、自分でドキッとした。
タカハシも気付いたんだろう、さっとぼくを見遣る。自分の浅ましさになんともいえない恥ずかしさがこみあげて、ぼくは謝った。
「ごめん。余計なこと言って」
せっかく来てくれて一緒にいるのに。嫌味なこと言っちゃった。
「いや…」
タカハシの手が伸びてきて、ぼくの髪に触れた。俯いているぼくの前髪をそっとかきあげる。ほんとに、やさし…。
「もしかして、妬いてくれてる?」
タカハシが静かに言う。ぼくは泣きそうな気持ちで頷いた。
ほらね。タカハシのが何枚もうわてなんだよ。お見通しなの。ぼくの気持ちなんて。
「そりゃ、妬くよ。昨夜も、それで電源を切ったんだよ?」
「そうなのか」
「みんな、すごく親しそうなメールを遣してるんだもの」
でもこれじゃ盗み見したことがバレちゃうな。
「妬くほどのことじゃ、ないんだけどな」
「でもぼくはつい最近まであんたと親しくなかったんだから。出遅れている感じがするんだ、すごく」
「それは、お互いさまだけど――――じゃ、正直に言うけどさ。佳樹」
呼ばれたようだったから顔をあげた。
「俺はずっと中村さんが好きだったんだよ」
…へ?
ナカムラさん?
ナカムラさん。ナカムラさん。どこのナカムラさんだろう。ぼくの知っている人のような口ぶりだけど…。とても大事なことを打ち明けてくれたようなのに、ぼくの理解が追いつかない。
「ホームの、さ」
目を白黒させているぼくに、タカハシが畳みかける。
「えっ?」
思わず飛びのいていた。中村さんってあの、女性ホルモン過多気味の?
「ええっ?」
「そんなに、驚くかな」
「そっ、そりゃ、驚くよ!」
いきなりなにが飛びだしたのかと思ったら。まさかあのオネエっぽい人が、タカハシの好きな相手だったなんて。
ポーカーフェイスだか飄々とした顔だか、タカハシはいつもの捉えがたい表情で淡々と続ける。
「ずっと好きだったんだよな。もう二年くらい。でさ、じつは高一の冬に、俺、告白してるんだ、あの人に」
「エエッッッ?」
またまた勝手に声が飛び出す。もう頭はパニックだ。
ぼくは懸命に中村さんの顔を思い出そうとした。けれど黒パンとメタルな黒Tシャツと長髪は思い出せても、肝心な顔のパーツが出てこない。ついこの間会ったばかりなのに、まるでのっぺらぼうみたいになっている。
「まあ、あんな感じの人だし。男だからって手ひどく拒絶はされないだろうと思ったんだけど、あっさりフラれたよ。あの人、もう決まった男がいて一緒に暮らしているんだってさ。あの調子で軽くあしらわれちまった。しかたないよな、六歳も年下の高校生じゃ、太刀打ちできないぜ。でも、それからもずっと諦めきれなくて。どうせかなわない恋なんだからって、自棄になっていろんなやつとセフレになって遊んでたんだけど。…まあ、こんなこと聞かされたところで佳樹にとってはそれこそ体のいい言い訳にしか聞こえないだろう。現に俺だって、セックスで気持ちよくなっていたんだしな」
自嘲気味に言葉を切る。ぼくは唖然としてタカハシを見つめるしかなかった。でも、フラれたのはキツかったろう、すごく。
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