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第27話

 夕方の四時にタカハシが来た。  タカハシは週に二回バイトをしていて、それのない日は学校から直接面会に来てくれる。  彼の顔を見るなり里親の話を切り出したかったのだけれど、いざ彼を前にするとぼくの脳味噌は思考よりも先に感覚が立ってしまって、しばらく彼にじっくりと見惚れてしまう。  それから軽やかな微笑を浮かべる彼独特の飄然とした雰囲気にしばらく惚れ惚れとして、次には抱き合って全ての感覚で彼を味わいたくなるのだ。  つまり、彼にメロメロになっちゃうわけだ。  彼が丸椅子に腰かけると、ベッドから降りて向き合い、その腿に跨って座る。その間もタカハシは包み込むようなまなざしをしてぼくを見つめてくる。その熱を秘めた視線に、ぼくの顔はほんのりと温度をあげる。  顎をタカハシの肩に乗せると二人の体が密着して、無事収まったって感じがする。  そのままぴたりとくっつきあっていると、彼の体温が肌に伝い、ぼくの体がぬくもってくる。タカハシはぼくより基礎体温が一度は高いに違いない。  すっかりお気に入りの体勢だけれど、こうすると一分も経たないうちにエッチしたくなって困る。 「佳樹、この一週間で少し重くなったな」  いいムードの中でタカハシが低く呟いた。 「えっ?」  ぼくはひどく驚いて飛びのいた。思わず腰がひょこりとあがる。 「本当? 嫌だな。ぶくぶく太りたくない」  青褪めながら言った。それでタカハシがハハっと笑う。 「大丈夫、まだまだ足らないよ。でも病院の食事が体に合っているんだな、よかった」 「週末に退院できそうって言われたんだ」 「そうか。待ち遠しい」  深みのあるその響きが、ぼくの脳をじんわりと火照らす。  タカハシがぼくをかかえながらゆらゆらと揺らし始めた。ときどきこうしてくれる。子供をあやす父親みたいに。それとも、お兄さんかな。実際ぼくたちには五歳児と三歳児くらいの体格差がある。そしてその差にぼくはうっとりとする。守られている、という甘い倒錯に体が蕩けそうになる。 「でも明日、大部屋に移されるんだよ…嫌だな。あんたとセックスできなくなる」 「してないだろ。一度しか」 「さびしいな…」  揺られながら呟いた。 「下のロビーに行こう。暗いし、人が少ないから」 「そうだね」  あそこでならイチャつくくらいはできるか。そうね。キスくらいなら。  ぼくは話さなきゃならないことをいつ切り出そうか悩んでいたけれど、ここで思いきって口にした。 「本当にあんたんとこに行っていいの?」  突然でなんのことか分からなかったのだろう。タカハシがきょとんとする。 「里子として、さ?」  咄嗟に体の揺れが止まった。思い出したようにまた揺れ始める。 「そのことか。なにか、話に進展があった?」 「うん。塚原さんと中本さんから。ここから直接、里子に行ってもいいって。でも申請してくれたのが二組あったって。あんたと、工藤だって」 「へえ…そうか。工藤も」 「でもぼく、できることならあんたんとこがいいよ、やっぱり」  肩に顔を埋めた。こここそ、タカハシこそ、ぼくにとってどこよりも安心できる場所だから。 「だったら来い。俺もそうして欲しい」  まっすぐな気持ちがぼくの心に浸透する。浸透して時を忘れさせる。ずっと、こうしていたい…。 「でも、なんで里親申請したってすぐに教えてくれなかったんだよ。ぼく、今日初めて聞いて、びっくりしたんだよ?」  恨み口調になった。だってこんなサプライズ、心臓に悪い。 「申請が通るかどうか分からなかったから。ぬか喜びさせたら、可哀想だと思って」  穏やかに言い返す。さすがにぼくが喜ぶってことはお見通しだったってわけね。ぼくは笑い出したくなった。 「あんたは大人だね」  そう、おとな。  ガキなぼくから見たら一歳差とは思えないくらいに。  よく気がついて、穏やかで、落ち着きがあって。そして頼もしくて。そのすべてがぼくを恍惚とさせ、耽溺させる。  ぼくたちは抱き合って揺れながら、その心地よさに酔うようにぽつりぽつりと言葉を交していた。 「申請、おばあさんに頼んでくれたの?」 「うん。俺じゃ未成年でダメだから」 「そっか。嬉しい。ありがとう、タカハシ」  本当に天にも昇るくらいに嬉しい。  首筋に回した腕に力を込めて、ぎゅっと抱きしめた。いい匂い。男の匂いがする。なんかこういうのいいなと思ってしまう。オネエ道も極まれり。それも、タカハシのそばだってんなら悪くない。 「あんたんところに行ったら、一緒に暮らせるんだね」  なんて幸せだろう。 「そりゃあな」  御身承る、みたいな調子でタカハシが答える。 「ぼく、あんたのあの家に、ただいまって言って帰っていいんだね?」 「そうだよ、佳樹」  優しく答えてくれる。 「嬉しい」 「うん。俺も」  もう、まるで天国だよ。  浮かんだ涙をタカハシのシャツにこすり付けて拭いた。甘えるようにゴシゴシと。 「でもさ、邪魔じゃない?」 「え?」 「だってさ、ぼくがいたらもうあんた、可愛い子を部屋に連れ込めなくなるよ? ぼくって独占欲強いから、そんなヤツら、追い出しちゃうんだから」  タカハシが小さく笑う。 「もう二度と連れ込まないよ」 「それ、ホントかな?」 「ほんとだって」  タカハシの首筋にキスしながら顔を埋めた。  うん。信じちゃおう。その言葉を。  しばらくしてタカハシがついと体を離して、ぼくの顔をしみじみと眺める。じっくりと見て呟いた。 「可愛い顔してるよな、佳樹は。本当に」  心なしか誇らしげに。それでぼくは顔から火が噴きそうになる。エ~?そんなこと言われたらぁ~って感じで、調子こいて笑い出したくなる。 「全然、可愛くないよ」  でもそんなことは照れくさいから、むすっとして答えた。 「可愛い。すごく美人だ」  真顔で言う。だから、恥ずかしいってば。 「ずっと好きだよ、佳樹」  タカハシが甘く囁いた。 「ずっとって、いつまで?」 「一生。永遠に」  最高の言葉を貰っても、言い返してしまう。 「嘘ばっかり。きっとそのうちぼくを捨てるよ、あんた。ぼくがおじさんになるまでもなく。ぼくより可愛くて美人な男の子があんたに言いよったら、すぐに」 「なんだ。ひどい言われようだな」  喉を鳴らして笑う。 「笑いこっちゃないよ。ぼくがオカマのオジサンになってもさ、ぼくを好きでいられると思うの? そのころあんたはちょいワル親父みたいにますますかっこよくなっててさ、ぼくはきっとただのオネエだよ、オネエ。マツコ・デラックスみたいなさ」  それで少しの間、タカハシが考え込む。 「…そうなっても好きでいられると思うよ。でも、あんなふうになるかな、佳樹が」  本気になって首を傾げる。そしてもう、それがそれこそ可愛く見えてしまって困る。  まったく。  しょうがない人。  だってぼくを惹きつけて離さないのだもの。  ぼくはタカハシの肩に顎を乗せて、またゆらゆらと揺らしてもらった。  なんだか拾われた猫にでもなった気分で、どこまでも気持ちよく。  タカハシの体に凭れかかって幸福に酔いしれる。  …あ?  ぼくは、ついと頭を持ちあげた。  そろそろ看護婦が検温に来るな。こんなとこを見られちゃあ、ちとまずいかな。 (…まあ――いっか)  どうせ今日はあのピンクの看護婦だし、なんて。  比較的のんびりかまえながら、タカハシの首筋に頬を擦りつけた。  

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