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第1話 カイル:すべては頭痛のせいだった

 すべては頭痛のせいだった。  頭痛の原因は二日酔いで、二日酔いになるほど飲んでしまったのはノルベルトの数年ごしの恋バナ(片想い)を聴いたからで、その結果目覚まし時計が三度鳴るまで寝坊した僕は今、僕が決めた待ち合わせ場所であるグランドセントラル駅への道を全速力で走っている。  僕は王城勤務の文官で、外見も中身も短距離走向きではなく、持久走も遠慮したいタイプだ。グランドセントラル駅へ向かう通りは混雑して、走っていくのは障害物走も同様だが、今日の待ち合わせをセッティングしたのはこの僕だ。少なくともノルベルトより遅くなるわけにはいかない。だから僕は走っている。息が切れて苦しい。  あ、ひょっとして、ノルベルトも二日酔いで遅れるんじゃ……一瞬だけそう思ったが、あいつは地方勤務でしごかれてる騎士だし、それにイドリスは時間通りに来るだろうから、やっぱり遅れるわけにはいかない。  それにしても、今日の待ち合わせをセッティングした時はばっちりだと思ったのに、昨夜からどうも行き違いが多い。そもそもノルベルトが昨日のうちに王都に着くなんて僕は思っていなかったし、あんなに長々と恋バナを聞かされることになるとも思っていなかった。  しかもノルベルトの片想いの相手は、聞いて驚くなかれ、今日ひさしぶりに会うイドリスだというのだ。僕とノルベルトと三人でつるんでいた高等部の時から、ずっと好きだったのだと。  なんだよそれ、聞いてないよ。高等部時代のノルベルトは人気者でモテ男だったが、イドリスにそんな素振りはまったくみせていなかったはず。今になってそんなことをいわれても――  昨夜本人にいえなかった文句が頭の中でぐるぐる回る。ハァハァ息をつきながら、僕はやっと駅前の交差点に立ち止まった。  向かい側にはグランドセントラル駅の建物がそびえている。正面広場へ目を向けたとき、思わずアッと声が出た。 「しまった、待ち合わせの時計塔――あれ、去年建て直されたんだっけ!」    *  待ち合わせの目的は|魔術劇場《マギシアター》鑑賞である。その名の通り、本職の魔術師たちが魔術で演出を行う劇場で、昨年春に王都にオープンし、大人気となっているのだ。  この劇場では物語の舞台となる街が劇場の中に再現されている。役者も観客も上演中はその街を歩き回り、建物や街路を好きなように覗いてまわることができる。つまり自分もその物語にエキストラとして登場できる、没入型の上演が行われるというわけ。  作りこんだ環境に魔術の演出が加わって、この芝居は本当に物語の中に入りこんだ気分になるという。おまけに観客自身がときに俳優の演技にまきこまれて、物語の中で重要な役割を果たすこともあるというのだから、話題にならないはずがない。  現在の演目は「王妃の薔薇」――百年前の王都で、怪盗が盗んだ王妃の宝石を取り戻そうとする騎士が主人公の物語で、半年以上のロングラン上演になっている。王城でも話題で、あまり芝居に興味のない文官の僕も気になるほどの大ヒットになっていた。  もともとこの方面に詳しいノルベルトは興味をもつだろうと手紙で知らせたら、次の休暇で王都に帰るから一緒に観ようと返事が来た。上官から「王都住まいの妻が『王妃の薔薇』に夢中すぎて困る」と聞かされていて、ずっと観たかったのだという。僕自身は芝居などめったに行かないのだが、会えるのは一年に一度がやっとの友達に誘われたとなれば話は別だ。  ノルベルトとは王立学院の高等部時代からの友達である。彼はひいおじいさんの代からの騎士の家系の出身だが、大学を出て文官になった僕よりずっと文化教養に造詣の深い男だ。しかし高等部のあとは父親同様に士官候補生となり、現在は地方師団に勤務している。  そんなノルベルトの手紙には続けてこう書いてあった。 『ところでイドリスの都合はどうだろう?』  イドリス。そうだ、彼も誘わなければ。  イドリスもノルベルトと同様、高等部のころいつも一緒にいた友達だ。卒業後は僕と同じく王立大学に進学したのだが、一年目の終わりに突然退学して、それからしばらく疎遠になっていた。しかし僕が王城に勤めはじめたあとでたまたま再会し、今はノルベルトと同様、季節ごとに手紙をやりとりする関係に戻っている。  イドリスが大学を退学した理由は知らないが、成績に問題はなかったはずだから、家庭の事情があったのだと思う。彼は伯爵家の妾腹の出で、高等部のころは異母兄とその取り巻きが時おり思い出したように嫌がらせをしていたからだ。  もっともイドリスは儚げな美少年(当時)の外見からは想像できないほど勇ましく――というより口が悪く、由緒正しい騎士の家系のノルベルトが唖然とするような罵り言葉で彼らを追い返していた。平凡な僕はずっと、そんなイドリスにほのかな憧れを抱いていたものだ。  憧れといっても恋心ではなくて、仮に自分が同じ立場だったら、おとなしく従ってしまうにちがいないと思うがゆえの純粋な感情だった。だからイドリスが大学を退学したときは心配もしたし、王都で元気に暮らしているとわかったときは嬉しかった。  というわけで、そのあと僕はイドリスにも手紙を書いた。二週間後の土曜日、ノルベルトが休暇で王都へ来るから会わないか。都合がつくならグランドセントラル駅の例の場所で待ち合わせよう、と。  例の場所とはグランドセントラル駅の時計塔の下だ。王立学院の高等部時代、僕ら三人のあいだで定番の待ち合わせ場所で、十七歳のとある真夜中、イドリスが家出寸前の事態になったときにも、三人で落ちあったりしたものだった。  時刻は正午でいいだろう。ノルベルトが乘る列車は正午前につくし、グランドセントラル駅は繁華街のすぐ近くで、マギシアターまでは徒歩十五分ほど。王城で聞いたところ|昼公演《マチネ》の入場時間は一時。正午に落ちあえば、チケットを買う時間を考えても十分間に合う。  イドリスからは三日後に返事が届いた。彼の筆跡は高等部のころと変わらない。尖った個性的なスタイルである。 『三人で集まるのはずいぶんひさしぶりだな。土曜の昼間は空いているから正午に駅に行くよ。カイルにもノルベルトにもずっと会えなかったから、すごく楽しみだ』  よし!  僕はイドリスも来ることになったとノルベルトに返事を書き、待ち合わせ場所を伝えた。     *  ところで王城の文官といえば、能力次第で出世も可能な、華やかな職業と思われるかもしれない。だが実際は――少なくとも僕が働いている部署はそんなところではない。毎日の仕事は基本的に、書類の作成と書類のチェックと地味な交渉の繰り返しで、心浮き立つようなことはほぼ存在しない仕事である。そのせいか同僚の中には地味な仕事の反動のように、夜や週末に遊びまわる連中もいる。  でも僕はあいにくそんな性格ではなくて、休日は閉じこもって趣味の本を読んですごすくらい。出不精で、ひとりでにぎやかな場所へ遊びに行くのも苦手だ。それもあって、人でにぎわう週末に気のおけない友達と――それもすごくひさしぶりに――出かけることを、ほんとうに楽しみにしていた。  だから昨日仕事を終えたあと、王城の前で待っていたノルベルトに出くわしたときも、意外さよりも嬉しさが先に立ったのはいうまでもない。 「ノルベルト! 到着は明日じゃなかったのか?」  ノルベルトは最後にあった時よりも顔つきや体つきが精悍になっていた。高等部のときも長身で肩幅が広く、ひょろひょろの僕にとっては羨ましい体型だったが、騎士団で日々鍛えられているのだろう。 「そのつもりだったが、一日早めたんだ。その……実は、カイルに話しておきたいことがあって」 「なんだよ、そんなにあらたまって。告白でもするのか」  僕は純粋に冗談のつもりでいったのだが、居酒屋の片隅ではじまったノルベルトのまわりくどい打ち明け話は、結局のところそれだった。  といっても、僕はそれだけなら絶対に驚かなかったと断言する。ノルベルトは昔から良い意味で目立つ男で、告白してくる相手には事欠かなかった。しかし相手の熱量と裏腹に本人の対応はあっさりしていて、本気の恋なんて無縁のクールなやつだったのだ。  そんなノルベルトの恋バナは、僕にとってめったに聞けない娯楽も同様のはず――ただし相手がイドリスでなければ。  ガタイのいい騎士が目をうるませながら「振られて友達でいられなくなるのが怖くて……」と語るさまを想像してほしい。もう飲むしかないじゃないか。 「おやじさん、ジョッキのおかわり!」 「へいよっ」 「カイル、聞いてるか?」 「聞いてるよ。それで?」 「ひさしぶりに会えると思ったとたん、どうしたらいいかわからなくなって……」 「ジョッキもう二杯!」 「かしこまり~」  僕らは深夜まで居酒屋の卓を空のジョッキで埋め尽くしてから別れた。ノルベルトは祖父の代から続く王都の屋敷へ、僕は文官の宿舎へ。その結果がこのていたらくだ。  僕はグランドセントラル駅前の広場で立ち尽くす。ここは王都のターミナル駅、地方からの長距離列車が毎日発着し、いつもたくさんの人々が行き交っている。  かつては広場の中央に時計塔が立っていた。てっぺんに大火事を知らせる鐘楼がついた、古めかしいものだ。しかしつい一年前、駅から馬車にのる旅客の利便をはかるために、広場は拡張され、時計塔も改築されたのだ。  今は広場の東の端に壮麗な時計塔が立っている。そして西の端にも、そっくりの形をした時計塔が立っている―― 「ノルベルト、イドリス! どっちにいるんだ!」

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