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第2話 ノルベルト:告白なんて柄じゃない
持つべきものはよき友だ。
生まれ育った王都の屋敷で目覚めた朝、ノルベルトは何でも話せる親友がいることのありがたみをしみじみと噛みしめていた。直前になって休暇を一日早めるという自分の判断にも満足していた。
最初カイルに休暇の予定を知らせたときは、今日の早朝発って王都に昼に着くつもりだった。だが、カイルがイドリスの都合をたずねてくれた結果、数年ぶりに三人で会えることになって、ノルベルトは悩んだのだ。
イドリス――彼は十代のノルベルトにとって、カイルと並んでもっとも親しい友であり、同時に初恋の相手でもあった。
王立学院の高等部に進学した最初の日にノルベルトはイドリスに出会った。いまでもその瞬間を思い出すことができる。柳の木のようにしなやかに伸びた背中にまっすぐな金色の髪がたれかかり、柳の葉の緑に輝く眸がノルベルトを見返した様子は、まるで愛読していた古典詩の妖精のようだった。
実際、妖精に魅入られるようにその瞬間ノルベルトはイドリスに恋をした。しかしその想いを口に出すことはなかった。ついに迎えた卒業の日、別れ際にイドリスがみせた儚い笑顔も、ノルベルトはありありと思い出すことができる。
「オレなら大丈夫だよ、ノルベルト。またな」
あの日もノルベルトはイドリスに想いを告げることができなかった。その後、ノルベルトが士官候補生の厳しい訓練を受けているあいだにイドリスは大学を中退し、行方がわからなくなってしまった。
カイルを通じてそれを知ったとき、ノルベルトはどれだけ後悔したことか。高等部のときもイドリスが困難に直面していることは薄々察していた。ノルベルトはカイルと共に、何度かイドリスの異母兄が画策した愚かしい虐めを事前に食い止めることはやった。だが、力のない十代にできることはそのくらいだった。
イドリスの行方を捜すために、ノルベルトは貴族のあいだで名を知られている祖父に力添えを願ったこともある。そこまでしたにもかかわらず、大学を中退して数年間、イドリスの行方は杳として知れなかった。カイルが王城の文官になって、イドリスと再会したと伝えてくれたとき、ノルベルトは心からほっとしたが、そのころには自分の気持ちを伝えることにすっかり臆病になってしまっていた。
イドリスに敬遠されてしまうよりは、親しい友人という枠の中でつながりを持っていたかったのである。だから季節ごとの手紙も、その範囲を超えないよう、注意深く書いた。最終的に送られる手紙のために何枚の下書きを作ったか、ノルベルトはカイルにも話したことはなかった――昨夜までは。
ノルベルトとしては、イドリスに対面して挙動不審になることが心配だったから、カイルに軽く伝えておきたかったのだ。ずっとイドリスが好きだったと告げるとカイルは最初こそ驚いた顔をしたものの、ノルベルトの話に黙って耳を傾けてくれた。数年越しの気持ちを口に出せたせいか、ノルベルトの気分は軽くなり(ビールの効果もあったにちがいない)話は「軽く」では終わらなかった。
もっとも居酒屋を出るころ――いや、中盤以降の記憶はあやふやだ。ノルベルトは士官候補生時代から、飲んだ翌日にほとんど残らないタイプである。つまり二日酔いにもならなければ記憶もあまり残らない。
とはいえ、カイルのさぐるような目はぼんやり思い出せる。
「そこまで煮詰まってるなら、この機会に何か伝えるっていうのは?」
「やめてくれ。俺は告白なんて柄じゃない。それに高等部の頃も、イドリスが困っている時に何もしてやれなかったし……」
「いや、学生時代は学生時代だろ。ノルベルトはもう立派な騎士様なんだし、ひさしぶりに会っていきなり告白ってのはないけど、昔からの友達ってだけじゃない関係をさ……」
「カイル、おまえはなんていい奴なんだ!」
「お、おい、やめろって!」
そのあとどうなったか? ノルベルトは枕に頭をのせたまま考えた。ろくに思い出せないが、今はとてもすっきりした気分だ。きっと最後まで楽しく飲めたのだろう。
「お坊ちゃま、おはようございます。昨夜はずいぶん遅いお帰りでしたな」
部屋のドアがあき、侍従がさっとカーテンをひきあけた。
地方勤務で鍛えられた騎士も、子供のころから仕えている「爺や」にとっては「坊や」である。ノルベルトは苦笑いしながらいった。
「アルフレッド、前の休暇で戻った時にその呼び方をやめるように頼んだだろう?」
「何をおっしゃいますか。アルフレッドの目が黒いうちは、お坊ちゃまはお坊ちゃまです。朝食はお召し上がりになりますね?」
「ああ」
朝食の席はノルベルトひとりだった。カイルと夜更けまで飲んだのもあり、いつもよりは朝寝をきめこんだが、正午の待ち合わせには十分余裕がある。軽く鍛錬する時間もとれるだろう。
「今日はお出かけと伺っておりますが」
「正午にカイルたちと待ち合わせている。夕食は外ですませるつもりだ。父上と母上は?」
「ただいま温室におられます。お昼はいかがいたしましょう?」
「軽くつまむ程度でいい。食べたら温室に行こう」
「それがようございますね。ご学友との再会もありましょうが、旦那様も奥様も昨夜は遅くまで起きていらっしゃったのですよ?」
「わかってるって」
小言モードに入りかけたアルフレッドをやりすごし、ノルベルトは朝食をすませた。
待ち合わせには時間通りに行くつもりだったが、無意識に気が急いていたようだ。グランドセントラル駅舎の西の端でノルベルトが家紋のついた馬車から下りたとき、正午にはまだ余裕があった。
週末の駅舎はたくさんの人でごった返している。広場に向き直ると、風景は前回の休暇のときとくらべ、様変わりしていた。
昨日列車が到着したときも大規模な改築に気づいていたのだが、すぐ乗合馬車で移動してしまったから、ゆっくり様子をみるのは今日がはじめてである。
「待ち合わせは時計塔――」
ノルベルトはつぶやいた。しかし学生時代、広場の中央に鎮座していた鐘楼つきの塔は影もかたちもなくなっている。
「……ずいぶん変わったな」
ノルベルトはため息をつき、イドリスの長い金髪が古いレンガの壁の前でなびく様子を思い浮かべたが、感傷にふけったのはほんのわずかな時間である。
顔をあげるとすぐそこに立派な時計塔があった。きわめて壮麗な建築で、てっぺんに巨大な時計が据え付けられている。正午まであと五分というところだ。
ノルベルトは時計塔の下へ歩くと、グランドセントラル駅の正面側に立った。足取りは落ちついているものの、内心は真逆だった。もうすぐイドリスに会えると思ったせいか、緊張で体がこわばってくる。腕を組んで立ち、駅を出入りする人々に視線をやる。駅からあらわれる人の中に、金の長髪と緑の眸のイドリスをいち早くみつけられるのではないか。
最初は何と声をかけよう。「ひさしぶりだな」――これではあまりにもありきたりだ。「元気そうだ」――いや、実際に顔をみるまでそんなこといえるか?「会いたかった」――数年ぶりに会う親友への第一声じゃない。「あいかわらずきれいだ」――ダメだダメだ、そんなことはいえない!
悩んでいるあいだに数分が過ぎ去り、時計が正午を告げた。ノルベルトはハッと我に返り、姿勢を正して周囲に目を凝らした。
カイルもイドリスも見当たらない。まさか予定が変更になったとか――?
と、そのとき広場の人々をかき分けるようにして見覚えのある姿が駆け寄ってきた。
「ハッ、ハッ、ハァ、ハァ、ノル……ノルベルト……よ、よかった……」
「カイル!」
「ハァ、ご、ごめん、寝坊……寝坊して……ゲホゲホッ」
昨日は文官服姿だったカイルも今日は私服である。ひどく顔色が悪い上に立ち止まったとたん咳きこみはじめたから、ノルベルトはあわてた。
「大丈夫か? 具合が悪いのか?」
「ち、ちが……全力疾走したから、それで――ぐ、ぐぇええ」
「しっかりしろ!」
「だ、大丈夫……ていうかノルベルト、ぜんぜん平気なんだね……」
ノルベルトはきょとんとした。
「何が?」
「だって昨日あんなに――ゲホゲホッ、ふ、ふつかよいとか……」
カイルは顔をあげてノルベルトをみつめ、首をふった。
「いや、いい。わかった。えっと、それでとにかく、よかった、ここにいて。えっと今は何時――」
カイルは時計塔を見上げた。
「もう過ぎてる! イドリスを探さないと」
ノルベルトは怪訝な顔でカイルを見返した。
「探す? たしかにまだ来ていないようだが、遅れているだけならすこし待てば――」
カイルは早口でさえぎった。「ちがうんだノルベルト! 僕がヘマやって、忘れていたんだ。時計塔はもうひとつあるんだよ!」
「もうひとつ?」
「あっちに!」
カイルは広場の反対側を指さした。ノルベルトは目をみはった。まったく同じ形の時計塔がある。
「ごめん、王城勤めだとこのあたりたまにしか来ないからすっかり忘れてて――イドリス、あっちにいるかもしれない。僕ちょっと見てくるから」
今度カイルをさえぎったのはノルベルトの方だった。
「いや、俺が行こう」
「ダメだよ!」カイルは怒ったような剣幕でいいかえした。「イドリスはちょっと遅れてるだけで、こっちの時計塔に来るかもしれないだろ? だからノルベルトは待ってて。向こうにいたら連れてくる」
「でも俺の方が早いし、カイルは息切れしてるじゃないか」
「悪かったな、僕は運動不足なんだ! いいから待ってて! イドリス、どっちから来るかわからないからよく見てて!」
カイルはなかば叫ぶようにいって広場の反対側へ走っていった。中肉中背の姿はすぐ人混みにまぎれてみえなくなる。ノルベルトはそわそわしながら周囲にイドリスの姿を探した。彼の長い金髪は人混みの中では目立つはずだ。学生時代もそうだった――
じりじりしながら待っているあいだに時計の針がカチリと進む。ノルベルトは足を踏みかえ、時計塔の方へやってくる人に目をこらす。この場所を待ち合わせに使っているのは自分たちだけではないようだが、あの輝く金髪を持つ人間はひとりもいない。
またカチリと時計の針が動いた。
ノルベルトは時計塔の下をゆっくり離れはじめた。イドリスは駅からあらわれるとは限らないと、急に思い至ったのである。大通りの方から来るとすれば、どっちの時計塔を目指すにせよ、広場の中央あたり、大通り寄りにいた方がみつけやすいのではないか。カイルが向こうの時計塔からこっちへ戻ってくるときも、自分が中央にいた方が距離と時間の節約になる。だいたい、この国にはイドリスのような金髪の人間は少ないから、遠目にもわかるはず。
注意深く周囲を見回しながら広場の中央へ出ると、時計の針はまた進んで、そろそろ正午を十五分すぎる。イドリスの姿は見当たらないし、黒髪で中肉中背のカイルは他の人々にすぐ紛れてしまう。気は焦るが目的の姿はやはり見当たらない。
ノルベルトはため息をこらえ、また時計塔の方へ戻った。今度は塔の周囲をぐるっと一周、また一周。と、カイルがそこにいた。
「ノルベルト! どこ行ってたのさ、やっとイドリスに会えたと思ったら……」
ノルベルトは目をぱちくりさせた。
「イドリス?」
ノルベルトのすぐ横で長身のすらりとした男が帽子を脱いだ。
「オレだよノルベルト」
ノルベルトは息を飲んだ。金色の前髪の下で柳の葉の緑が輝いている。
「イドリス! か、か、か……」
「か?」
イドリスはきょとんとした顔つきになる。
「髪の……毛……」
「ああ、ひさしぶりだもんな。髪はずいぶん前に切っちゃってさ」
イドリスはノルベルトに向かって屈託ない表情で笑った。
「時計塔も今はふたつだろ? どっちかなぁと大通りで迷ってたんだけど、あっちでカイルに会って。昨日王都に来たんだって?」
「あ、ああ……」
「昨日の夜ならオレも空いてたのに」
「そ、そうなのか?」
「イドリス! ノルベルト!」
カイルがまたすごい剣幕で叫んだ。
「早くいかないと! 話は歩きながら、いや、走って! 入場時間前に切符買って並ばなくちゃ!」
「え、行くところ決まってるのか?」
イドリスが呑気な声でいったが、カイルはすでに小走りである。広場の人混みを縫っていくのをイドリスがついていき、ノルベルトも大股で横に並んだ。カイルはあいかわらず息を切らしていて、ノルベルトは心配になった。これじゃまるで新兵訓練だ。大通りから看板がつらなる繁華街へカイルが曲がったとたん、イドリスが立ち止まった。
「カイル、こっちか?」
「こっちこっち! 早く!」
カイルの目指す方向にマギシアターがあった。劇場をみるのは初めてだが、巨大な看板ですぐそれとわかる上、ノルベルトたちと同じようにそっちをめざす人々がいるのだ。
ようやく劇場の前にたどりつくと、カイルはチケット売り場の列に飛びつくようにならび、早く来いと指をふりたてる。
「マギシアター? これ見るのか?」
イドリスの声に、カイルは財布をにぎりしめてふりかえった。
「……えっ……僕、手紙に書いたよね?」
「いや、書いてなかったと……思うけど……」
カイルの顔が白くなった。
「え? ほんと?」
「あ――いや、いいんだけどさ」
「ご、ごめん……ノルベルトがこっちに来るって聞いたときからそのつもりで……手紙に書いたつもりになってた……」
「気にすんなって。オレも一度入ってみたかったし」
ああ、イドリスはこういう人間だ――と、ノルベルトはふたりの会話を聞きながらしみじみしていた。イドリスの口調は十代の頃と変わらない。こんな彼が俺は――
「ノルベルト、チケット買わなくちゃ!」
カイルの声にノルベルトはハッとわれにかえった。窓口で係員が三人をみている。
「チケット?」とイドリスがいった。
「あ……」カイルの声が尻すぼみになる。
「イドリス、チケットひとり60タールなんだけど……」
ノルベルトは思わず「俺が三人分出す」というところだった。だが、カイルはすでに財布をあけていたし、イドリスはポケットから無造作に紙幣を取り出している。
「へえ、けっこうするんだな」
イドリスの声はいたって呑気だった。
「ご、ごめん……」
「気にすんなって」
イドリスがカイルの肩をぽんと叩くのを、ノルベルトは少々羨ましい気持ちでみつめていた。
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