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第4話 イドリス:会えばあの頃と変わらない
王都の繁華街からほど近い路地の奥。このあたりには劇場や飲食店など、この地区で働く者が暮らす間借り家がひしめきあっている。窓から吊るされた洗濯物がはためき、赤ん坊の泣き声にまじって猫が鳴く。酔っぱらいが迷いこむ深夜はときに物騒な出来事もおきる、そんな地区だ。
イドリスとその連れは古い木の扉の前で足を止めた。
「いまだに慣れないな、この入口には」
イドリスより頭半分背の高い連れは口もとをゆるめた。
「そうか?」
イドリスは扉を押し開け、無造作にくぐった。
「だってこっち側からは想像もできないじゃないか。向こう側がこんなところに繋がってるなんてさ……」
そのとたん空気が変わる。埃っぽい都会の風はふたりの背後で閉じた扉に締め出され、さわやかな森の香りが鼻をくすぐる。イドリスは寄木細工の床の上で靴を脱ぎすてた。
もし二人と共にここへ入って来た者がいたら、あっけにとられて周囲を見回しただろう。そこは小さな間借り屋ではなかった。一方の壁には大きな暖炉があり、反対側の壁には書架とデスクが並んで、残りの壁はどっしりしたつづれ織りのカーテンで覆われていた。暖炉の前には絨毯が敷かれ、クッションがばらまかれている。
この家のドアは王都の路地にあるが、家そのものがあるのは別の場所、とある静かな田舎なのだ。
「ま、怪盗ジャックの隠れ家らしいとは思うよ」
イドリスはくすっと笑った。部屋の主はコートを脱ぎながら顔をしかめる。
「その名で呼ぶのはよせ。今日は驚いたぞ」
「しょうがないだろ、サキ。オレも知らなかったんだって」
サキ――マギシアターで怪盗ジャックを演じている魔術師――は、上着を椅子の背にかけてイドリスに向き直った。
サキは王都でも随一の力を持つ魔術師で、何年も王家のために働いてきたが、この一年は休養と称して引きこもっている(少なくとも王家にはそう説明している)。ところが実際は知りあいの魔術師に助力をこわれ、マギシアターで俳優業をやっているのだった。
ちなみにマギシアターは王家にこき使われることに嫌気がさした魔術師の大家が身分を隠して設立したものである。
「友達は元気だったか?」
「うん。サキも会っただろ?」
「……いつ?」
「あれ、気づいてなかった? 劇場だとバラバラになっちゃうからなオレ以外は大活躍だ。ノルベルトは騎士役のバディになっていたし、カイルは人質にされてた」
「騎士役のバディと人質?――ああ」
サキはうなずいたが、どこか上の空だ。上着を脱がせようとしているのに気づいて、イドリスは自分から脱いだ。ふたりきりで過ごせるのは土曜の夜から日曜の午前中までだから、サキは気が急いている。吐息がイドリスの頬にかかる。ふたりは立ったままそっと唇をあわせた。
出会ったのは何年も前、サキが王家のために日夜働いていたころだ。当時のイドリスはのっぴきならない理由で大学を中退し、先の見えない生活を送っていた。ところがひょんなことからサキと知りあって、いくつかの事件に巻き込まれて……今に至る。
軽い口づけを繰り返しているあいだに、サキの手がイドリスのシャツをめくりあげる。魔術師の長い指が器用に動いて、邪魔なボタンを外していく。
素肌がさらされると同時に、ついばむような口づけが急に深いものになる。舌が絡んでクチュクチュと水音が鳴る。サキの指に腰をなぞられて、イドリスは無意識に背中をふるわせた。
「んっ……」
魔術師の舌がそれ自体生き物のように動いて、イドリスの顎から首筋、耳をたどっていく。長い指に胸の尖りを片方ずつ弄られると、立ったまま愛撫されていることにがまんできなくなって、イドリスはサキのベルトに手をかけた。するとそれを待っていたようにサキはイドリスのシャツをひきはがし、下着に手をかけて引き下ろした。
「あっ……あんっ」
ひざまずいたサキの舌がへそから股間へと下りていく。欲望の尖端から茎のなかばまですぼめた唇に吸いつかれると、腰が前に揺れるのを止められない。なのに爆発する寸前で舌は離れて、今度は別の場所を弄りはじめる。
「サキ、オレも……あっ、だめっ……ぁ、おねがい……」
「おねがい?」
「そこ弄られるの……立ったままじゃ……やっ、あんっ」
「どこを舐めてほしい?」
サキは声がいい。深く味わいのある声音で、いつも心地よく耳に響く。これはマギシアターで俳優業を乞われた理由のひとつだ。
でもこんなときはむしろ悪魔の囁きだとイドリスは思う。いうことをきかずにはいられなくなるからだ。
「イドリス、ほら」
「もっと……奥の」
「奥って?」
「そんなのいわせないで……あっ、やぁっ」
「ふうん」
「お、お尻の……奥ぅ……」
ほとんど涙ぐみながらつぶやいたとたん、絨毯の上に崩れるのをゆるされる。イドリスはうつぶせで尻を突き出して、サキの舌と指を受け入れる。焦らされるのがもどかしくて、こんなときはもっと乱暴に扱ってほしいと思うくらいだ。
乱暴に弄ばれた経験は何度かある。サキは親友たちにも話せなかったイドリスの秘密を知っているが、けっしてそんなことはしない。そのかわりイドリスが降参するまで、イドリスの方から欲しいというまで責め立てる。こうして絨毯の上で弄ばれるのは前戯にすぎないというのに。
イドリスはたまらず腰をふってねだり、やっとサキは服を脱ぎはじめた。刺青に覆われた熱い体がのしかかって、奥まで自分を満たしてくれるのをイドリスは待ちかまえる。ひさしぶりに会った親友の誘いを断ったことには多少の罪悪感があったが、今はサキとこうする時間の方が貴重なのだ。
*
日曜の朝のイドリスは、絨毯ではなくベッドの上で、裸のサキにすっぽり抱えられて目覚める。寝起きの欲望をおたがいに感じつつも、他愛ない話をする平和なひととき。これも今のイドリスにとって、週に一度の貴重な時間だった。
「昨日会った友達とは、いつから?」
サキはイドリスの髪を撫でながら耳もとでささやく。
「王立学院の高等部からだよ。前に話さなかった?」
「覚えていない」
「しょうがない人だ」
「おまえ以外の人間にはあまり興味がないんだ」
イドリスは吹き出した。
「ふたりともいいやつなんだ。オレは急に行方をくらませて、しばらく連絡もとってなかったのに。あんたに会ったころの話だけど」
サキは無言でイドリスの耳を指でなぞった。
「今はカイルは王城の文官で、ノルベルトは本物の騎士だ。あんなにちゃんとした二人が今も友達でいてくれるの、ほんとに嬉しいよ。ノルベルトなんてずっと会っていなかったのに、顔をみたらすぐあの頃と変わらない雰囲気になって……会えて嬉しかった」
サキは黙ったまま、今度は指をイドリスのうなじから肩甲骨にすべらせていく。イドリスは昨日のことをもう一度思い出していた。カイルは高等部のときと同じように何についても一生懸命だったし、ノルベルトは堂々として立ちはだかる問題を苦にしない。高等部のときはすごくモテていたが、きっと今もそうだろう。恋人もいるにちがいない。次に会った時に聞いてみようか。
「なんか、不思議な感じがしたな。友達ってしばらく離れていてもずっと友達でいられるものなんだって……」
「よかったな。私も嬉しい」
「オレにいい友達がいることが?」
「ああ。大事なことだ」
サキの手が胸の方にまわり、敏感な部分をそっと刺激しはじめる。イドリスは恋人の愛撫に身をまかせながら、昨夜別れた時の親友たちに思いをはせた。ノルベルトとカイルはあのあと二人で飲みに行ったのだろうか。次に会う時はゆっくり飲み明かせるところへ行きたい。もっといろいろな話ができる。今の仕事や、サキのことも……。
失恋の予感に怯えるノルベルトのためにカイルが二日連続二日酔いの朝を迎えたことを、イドリスは知る由もなかった。
(おわり)
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