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第2話 石の砂浜

 コテージは赤い三角屋根で、壁は真っ白に塗られていた。すぐ横の石段を下りた先が小さな砂浜になっている。  コテージの前の道をすこし歩くと小さな宿や熊族の漁師の家があって、庭先で獲れたばかりの魚や貝を売っていた。さらにずっと先へ道を行くと、とても広くて、どこまでも続いているような砂浜があった。ここには波のあいだで遊んでいる人や、砂浜にパラソルを広げている人たちがいた。  でもコテージの前の浜へ下りるのは俺たちだけだった。砧のいったとおり、ここにいるあいだはこの浜をひとり占めできるらしい。  到着して最初の晩は、波の音がすぐ近くに聞こえてくるせいか、俺はいつまでも落ちつかなかった。コテージの一階には小さな台所と浴室と大きな窓のある部屋があり、二階の屋根裏にベッドがある。  ここにも丸い窓があって、砧は外をのぞきながら「船みたいだな」といった。船の窓って丸いのか、と俺は素直に感心したが、あとになって、砧のいう〈船〉は海に浮かんでいる船ではなく、月人の宙船のことかもしれないと思った。  何日も一緒にいるせいか、俺はこのごろ、砧が月から来たってことを忘れそうになる。  丸い窓のすぐ先には月光に照らされた海がある。波は昼間よりずっと近かった。潮が満ちているんだ、と砧がいった。音がこんなに近いのもそのせいだろうか。  ベッドに寝そべった俺の上に砧がのしかかる。窓から差しこむ月の光しかなくて、俺には砧の顔がはっきりみえない。でもきっと、優しい顔をしているにちがいない。  これまでと同じように、砧は舌と指で俺をとろとろにしてから、ゆっくり入ってくる。上にかぶさった砧の唇が俺の胸の痣をなぞったとき、突然体の奥が溶けるみたいに柔らかくなったのがわかった。 「あ……」  小さく声をあげてしまったから、砧はハッとしたように動きをとめた。 「やめないで」  俺はあわてていった。 「ちがうんだ、あの……俺……へん……あっ」  今日はこれまでの、裂けるような痛みがない。それどころか、砧が俺の中をいっぱいにしたまま俺を揺さぶったとき、痛みじゃない、体の奥が跳ねるみたいな衝撃がやってきて、俺はぎゅっと目をつぶった。砧が動くたびに俺の中がびくんびくんってなって、あっと思ったときには、俺は触られてもないのにイッてしまってた。 「砧、俺……俺、どうなって……」 「淫紋が三つになったからな」 「いんもん……?」 「胸の花びらだ……」  砧はため息をつくみたいに俺の名前を呼んで、胸の痣を唇でなぞりながらそっと腰をもちあげた。一度俺から出て、もう一度──二本あるペニスのもう一本、さっきより大きいものが俺の中に入ってくる。  たぶんこれまで俺は、砧が二回目に入ってくるとき、意識を飛ばしてしまってた。でも今日はちがった──すごくきつかったけど痛くなくて、むしろ砧がちょっとずつ入ってくるたび、俺の中が砧のかたちに広がっていくみたいな気がした。 「ゴーシェナイト……」  砧は俺の名前を呼んだけど、俺はこたえられなかった。かわりに砧の背中をぎゅっとつかんだ。きっと半分、夢をみているような気分だったのかもしれない。俺は砧とおなじ船に乗ってるんだから、振り落とされないようにしなくちゃ、なんて思ったのだ。  気がつくと丸い窓から差しこむのは月の弱い光ではなくて、まぶしい日の光に変わっていた。俺は砧の胸に顔をくっつけて、砂浜にうちよせる波の音を聞いていた。  きらきら輝く海を横にみながら、開けた道を砧と歩く。それだけで楽しい気持ちになるのはどうしてなんだろう。  熊族の漁師にとれたての魚や貝を焼いてもらい、砧とならんで、道端のベンチに座って食べた。町を離れたせいか、珍しいものみたいにじいっとみられることも、俺はあまり気にならなくなっていた。  紙の皿にのせた焼きたての貝はとても熱くて、食べ終わるころにはふたりとも、手が汁でべとべとになった。でも砧は嬉しそうな顔で指を舐めて「潮の味だ」という。  すこし離れたベンチでは、獣の種族のグループが魚が焼けるのを待っていた。いま、この海岸でのんびりしている獣族は、戦争がおわって休暇に入った軍人が多いらしい。  ぼうっと海を眺めていると、そのベンチから男がひとり立ち上がって、俺たちの方へやってきた。縞のように色合いが変わる髪は猪族のものだ。砧の前までやってきて、軍隊式の敬礼をする。 「やっぱり、砧先生ですね! 俺はコロハです。覚えていらっしゃいますか? 先生にマサラ隊長を診ていただいたときに……」  砧は驚いたように目をみひらいた。 「ああ、これは奇遇だな。覚えているよ。休暇中かい? 上官の調子はどうだ?」 「帰省して休養していますが、先生の薬がよく効いたといってました。先生も休暇でいらっしゃったのですか?」 「ああ」  猪族のコロハは砧の隣にいる俺を不審そうな目でちらっとみた。 「そちらの鷲族の方は、お連れで?」 「ああ。彼はゴーシェナイト、植物──薬草の専門家だ」  え? いったい何をいってるんだ?  俺はぎょっとしたが、砧はそしらぬ顔でつづけた。 「ゴーシェナイトとは戦争がはじまる前からの知り合いだ。上官の手当てに使った薬も、彼の協力があったから手に入ったようなものだ」  なんだよそれ! 俺はますますうろたえたが、コロハはさっと姿勢を正して、俺の方に向きなおった。 「コロハと申します。知らなかったとはいえ、大変失礼しました。どうもありがとうございます!」 「あ……いえ、その……」  深々と頭をさげられ、俺はおろおろしたが、砧は俺の肩を抱いてコロハに笑顔をみせている。 「我々も休暇中なんだ。町にいると何かと用事が入ってしまうだろう? ゴーシェナイトとしばらくのんびり過ごすつもりだよ」 「なるほど。承知しました。我々もお邪魔にならないようにいたします!」  コロハは走って仲間のいるベンチへ戻っていった。風に乗って話し声がとぎれとぎれに聞こえてくる。「砧先生のお知り合い」とか「薬草が」といった言葉が耳に入る。 「砧、あんなこといって大丈夫なのか?」  俺は顔をしかめているのに、砧は何が面白いのか、ニヤニヤしながらいった。 「何をいってる。ほんとうのことじゃないか。この七年間、夏のあいだずっと、俺にいろいろ教えてくれただろう?」 「砧を手伝っていただけじゃないか。俺、何かの専門家とかじゃないし」  俺は疑い深そうな目つきだったにちがいない。砧はくすくす笑って、俺の髪を撫でた。 「自分がどれだけのことを知っているか、わかっていないんだな。俺はほんとうにこの七年、おまえに助けられてきたんだ。そのうちわかる」  その晩も砧に抱かれた。胸の痣は四つになって、半円を描いている。  俺の体はきっと変わったのだ。砧が入ってきてもちっとも痛くなかったし、中をゆっくりこすられると、気持ちよくて頭の芯が真っ白になる。しかもそのたびに、体の奥に熱みたいなものが溜まっていく感じがするのだ。このまま砧に抱かれていたら、いつか俺は爆発するんじゃないかって思うほど。  もちろん、俺は爆発しなかった。五つになった胸の痣をみると〈花〉という呼び名の意味がわかるような気がする。あと二枚花びらがそろえば、輪がつながって完全になる。  こんなに楽しい毎日でいいのかな。  次の日の正午、ふと思いついてそういったら、砧は一瞬だけ、腹を立てたみたいな顔になった。俺はびっくりしたけど、砧はすぐ表情をゆるめて俺の髪を撫でた。 「ゴーシェナイト、楽しくて何が悪いんだ?」 「でもさ……」  俺たちは流木に腰をかけていた。今日は車に乗って、すこし遠い浜まで探検にきていた。熊族の漁師に、このあたりでは珍しい場所だから見に行ったらどうかとすすめられたのだ。  たしかにここは他の砂浜とぜんぜんちがっていて、爪の先ほどの大きさの、真っ白の小石で埋まっていた。サンダルで踏んだら石は砕けて真っ白の細かな砂になった。海も、他の浜からみるよりずっと濃く透きとおった青緑色だ。  白い砂の上を波がうちよせてくると、俺の胸の中にぐっとこみあげてくるものがある。ところがなぜそんな気持ちになるのか、自分が感じているものが何なのか、ぜんぜん言葉にできなくて、それがやけにもどかしい。今日はとくに強くそう思う。  昨夜砧に抱かれたあと、俺の胸の痣は六つになった。あとひとつで、俺と砧はつがいになる。ひょっとしたら、俺はそれを意識しすぎているのかもしれない。 「俺、ときどき自分が嫌になるんだ。砧に海へ連れてきてもらって、これまでまったく知らなかった、すごくきれいな景色をみているのに、俺はつまらないことしかいえない」 「あのな、言葉にできなくてもいいんだ、ゴーシェナイト。おまえはここを美しいと思っているんだろう?」 「うん。そうだけど……なあ、月はどうなんだ? 月にも海や砂浜があるのか?」  砧はなぜかハッとしたようだった。 「砧?」 「……月に海はないんだ。ゴーシェナイト」 「え、じゃあ砧も、地上にくるまで海をみたことがなかったのか?」 「ああ、そうだよ」 「じゃあ、俺とおなじだな」 「そうさ」  俺たちはちょっと黙った。波が何度かうちよせて引いていくのをみてから、俺はまた聞いた。 「月に海がないなら、砂浜もないのか?」 「砂はあるが、月の砂は地上のものとはかなりちがうものだ。そのかわり月には月水晶の鉱山がある」 「ああ、そうだったな。月水晶があるからこんなにすごい眼鏡が作れるんだもんな。海がなくても、月はすごくきれいなところにちがいないよ。砧がいたところだから」  ざあっと波がきて、去っていく。  砧は黙って海をみていたが、ふと思いついたようにいった。 「ゴーシェナイト、せっかくだからもうすこし先へ行ってみないか。しばらく走ると岬があって、灯台もあるそうだ」  俺はうんといったけど、あまりちゃんと聞いていなかった気がする。もうすぐ砧の〈花〉になる──そのことで頭がいっぱいだったから。

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