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第1話
市場は今日も大にぎわいだ。新鮮な野菜や果物、肉や卵をはじめ服や雑貨、花や本に至るまで、ここではなんでも手に入る。
王城のある国の中心地からは少し離れているけれど、北部地域ではそれなりに大きな町だ。地元の人だけでなく大勢の旅人たちも観光がてら、この市場に立ち寄ったりする。
人波の中、誰かとぶつかって転んでしまったりしないように、マルは十分気をつけながらよちよちと歩いている。
体長が人の膝にも達しない小さな体のマルにとって、いつも混雑している市場でのお使いはなかなかに大変だ。ぼんやりしていると蹴飛ばされて、真ん丸な体がコロコロとどこまでも転がっていってしまう。
さて、そうなると一大事だ。真っ白い羽が泥だらけになって、帰ったらすぐにザブンとお風呂に入らなければならなくなる。おまけに、布で巻いて首に結んでもらったお使い用のお金だって、そこらじゅうに散らばってしまうかもしれない。
お使いのときは、マルも仲間たちのように空を飛べればいいなと思う。翼を広げてふわっと宙に浮かぶことができたなら、ご用のあるお店までそれこそひとっ飛びだろうから。
でもマルは、こうして市場の様子を眺めながらのんびり歩くのが大好きだった。たくさんの人が笑顔で買い物をしているのを見ると、なんとなく幸せのおすそわけをもらったような気持ちになるからだ。
真ん丸で珍妙な体のマルを指差して大笑いしたり、ちらっと見ただけで避けたり眉をひそめたりする人も中にはいるけれど、顔見知りの人は皆優しく声をかけてくれる。
「おっマル、お使いか? がんばってるな!」
「気をつけて行きなよ! あんたはちっこいんだから」
そう誰かに笑顔を向けられるたびに、マルは「あい!」と元気よく返事をして、心の中で一人一人にお返しするのだ。
(ありがとうございます! 皆さんにとっても、今日がよい日になりますように)
「おい、そこの白い……丸い鳥!」
後ろからいきなり呼びかけられた。自分のことだとすぐにわかった。
「あい!」
マルはいつものようにきちんと返事をし、くるんと振り返る。ところが勢いをつけすぎて、ぐるっと三百六十度回転したあげく、足を滑らせすてんと尻もちをついてしまった。
アハハと笑い声が届き、足音が近づいた次の瞬間、両手がそっと体に触れてきた。
「なかなかいい反応じゃないか。どうやらおまえには人を楽しませる才能があるな」
両手――男の人の指の長い手だ――はマルをふわっと持ち上げ、声の主のほうを向かせて優しく地面に置いてくれた。
「あの、ありがとうございます!」
マルは恥ずかしさにあたふたしながら、親切な手の持ち主をもじもじと見上げる。
「いや、急に声をかけたから驚いたんだろう。悪かった」
すらりと背の高いその人はわざわざしゃがみ、マルと視線を近くしてからニコッと笑いかけてきた。
(わぁ、なんて素敵な人だろう……!)
マルは小さな黒い目をくりくりさせて、じっとその人を見つめてしまう。
太陽の光のようなキラキラした金の髪と、真っ青な瞳。スッと通った鼻筋と、優しげで形のいい唇。男性らしさとともに優雅な華やかさもあって、ずっと見ていたいと思ってしまう綺麗な顔。
市場にはたくさんの人がいるけれど、こんなに美しい人を見たのはマルは初めてだ。
そして顔だけではない。着ているものも、周りを歩いている人たちとは違っている。きりっと決まった凜々しい服はお城を守る衛兵様のようで、腰に差した長い剣もかっこいい。
(びっくり……お話の中に出てくる天使様みたい……)
体がポッポとほてり、ドキドキも速くなってくる。なんだか時間が止まってしまったような不思議な感じの中、マルはぼうっとその人に見惚れてしまっていた。
「なんだ? そんなに見つめるなよ。照れるだろう」
ハハッと彼がまた笑った。
「あっ、ご、ごめんなさい!」
マルは小さな翼をパタパタッとさせて、どぎまぎと俯いた。
知らない人を無作法に見つめてしまうなんて、本当に失礼なことをしてしまった。自分のようなおかしな鳥にジロジロ見られて、嫌な気持ちにならなかったかなと心配になり、そっと相手を窺い見る。
幸いその人は気を悪くした様子もなく、楽しげに目を細めマルを見返している。
「謝らなくていい。なかなか礼儀正しい鳥だな。なぁ、鳥、でいいんだよな? おまえは」
「あい。マルは鳥なのです」
「名前はマルか。名のとおり、見事なくらい真ん丸で真っ白じゃないか。祭りのときに軒先に吊るすポンポン飾りじゃないのか?」
「いいえ、マルはポンポン飾りではないのです。鳥に間違いないのです」
生真面目に答えると、アハハとまた笑われてしまった。三度目だ。
マルは人によく笑われる。マルのように変な鳥はどこを探してもいないからだ。真ん丸い体は真っ白で、ふわふわの羽毛でおおわれている。先のほうが少しだけグレーがかっている小さな翼と尾羽はまったく目立たず、正面から見ると本当にただの丸いボールだ。
けれど、目の前の人の笑い方はほかの人とは違っていた。細められた目は温かな光をたたえていて全然嫌な感じがしない。マルを馬鹿にして笑っているのではないのがわかる。
「ザック、聞いたか? 鳥で間違いないそうだ」
「珍しい変種ですね」
抑揚のない低い声がすぐ近くで聞こえ、マルはひゃっと固まってしまう。
お日様のような人から一歩下がったところに、その人はずっと立っていたらしい。黒い髪と黒い目、それに服まで影のような黒なのでまったく気づかなかった。
「おまえ……この子を見てコメントはそれだけか? ほかに感想はないのか」
「一体どんな感想を?」
「可愛いだろうが! 触ってみたいとか抱いてみたいとか、あるだろう、もっと!」
「別にありませんが」
表情豊かで口もよく動く明るい人と、顔がまったく動かない影の人とのリズムのいい掛け合いが面白くて、マルは思わずうふふと笑ってしまう。
「おっ、笑った。なるほど、笑うと体がふるふるするのか。まいった、この愛らしさはもはや国宝級だな。おい、そう思わないか?」
「先を急ぎませんと」
黒い服の人の冷ややかなひと言に、素敵な人はマルに向かって伸ばしかけた手を名残惜しそうに引く。
「ああ、失礼したな。おまえの愛らしさがわからないこの朴念仁を許してやってくれ。ところでしゃべれるということは、おまえは守り鳥なのか?」
「あい! マルはお守り鳥なのです」
誇らしげに胸を張って答える。真ん丸で小さくて、仲間たちと見た目がまったく違っていても、マルは正真正銘のお守り鳥だ。
「なるほど。それで、主人はどこだ? 姿が見えないようだが……」
と、美しい人はマルの周囲に視線を巡らせる。
「いいえ、あの、ご主人様はまだいないのです。マルはお守り鳥のお店で、いろいろとお手伝いをさせていただいています」
だろうな、と言いたげに影の人が二度ほど頷くが、目の前の人は「それは意外だな」と本気で驚いた様子で目を見開いた。
「店というのはダンの店か? 守り鳥の店では北部一で、いい店だと評判を聞いているぞ」
「あいっ。とてもよいお店なのです。いい子そろえてますので、どうぞごひいきに」
いつも店主のダンが言っているのを真似てペコリと頭を下げると、すぐに明るい笑い声が弾けた。またしても笑われてしまった。
「これは驚いたな。可愛い上に商売上手だ」
いい子だな、とふわふわ頭を撫でられて、マルの羽毛はほんのりとピンクに染まる。恥ずかしくなったり照れたりすると、いつもそんなふうに色が変わってしまうのだ。
「おっ、もしや撫でられるのが嬉しいのか? いい色になったじゃないか。よしよし」
「いい加減そろそろ……」
「ああ、わかっている。まったくせっかちなヤツだ」
影の人に急かされて素敵な人は顔をしかめると、残念そうにマルから手を離し立ち上がる。そして、ニッコリと眩いほどの笑顔を向けてきた。
「悪かったな、呼び止めて。おまえの後ろ姿が愛らしくて、声をかけずにはいられなかったんだ。用事の途中だろう? 気をつけて行けよ」
「あい、ありがとうございます。旦那様方も、どうかお気をつけて」
マルはもう一度丁寧にお辞儀をしてから、またよちよちと歩き出す。二人の視線を背中に感じて、ちょっと緊張してしまう。
見てみろ、あの丸い背中と小さい尾羽、究極の愛らしさだぞ、などという親切な人の声が届いてきて、マルの羽色はさらにピンクがかってくる。お礼の代わりにひょこっと尾羽を振ってみせたら、楽しそうな笑い声がまた聞こえた。
自分のようなおかしな鳥を愛らしいと思ってくれるなんて、彼は相当変わった人なのかもしれない。でも、正直嬉しい。
こんなに何度も『愛らしい』と言われることなどもうないかもしれないから、今日はマルにとって一生の記念日だ。偶然出会えた優しい人のおかげで、マルの足取りは自然と軽やかになった。
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