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01.兄のお嫁さんが出産し床上げを迎えるまで、俺がお嫁さんの変わりに兄のセxクスの相手をする
本家の嫁が身籠ったら、その夫の兄弟が妾 として奉仕する。
――というのが、村に古くから伝わる決まりごとだと俺が知ったのは15の歳だった。
俺の長兄 和清 のお嫁さんの懐妊が分かった時、街の高校に通うため居候していた分家から俺は呼び戻された。
これからの8ヶ月間は、本家から学校に通うように厳命される。
市内の駅までの30分の距離の送迎をしてもらえれば通えない訳じゃなかったけど部活は辞めざるを得なくて、まだ1年の1学期って入ったばかりだった俺はとてもがっかりしていた。
でも仕方ない。
本家の人間も分家の人間も、御当主さまである祖母には誰も逆らえない。
呼び戻された週末2日と都合休をとった3日間の併せて5日で、俺の身体は和清兄 の末の弟から妾 に書き換えられた。
なにも知らなかった俺にその習わしを説明したのは父の末の弟で、父の兄弟の中でも俺たち兄弟にとっては幼い頃から身近な存在。
今は所帯を持って分家を構えている穏やかな人。
確か父とはひと回り(12歳)離れているが、叔父自身も俺の母が長兄を身籠った時から俺が生まれるまでの10年近く妾 の役目を請け負ってきたのだいう。
叔父が初めて妾 の仕事をしたのは、父が25歳で叔父が13歳だから俺より歳下の時だ。
その役目は代々、10歳以上の男兄弟 の中で1番年下の者が担っていくそうだ。
俺が説得されている間、同席していた母は何も言わなかったがずっと嬉しそうにニコニコしていた。
妾 の奉仕――つまり、いま妊娠6週目を迎える和清兄 のお嫁さんが出産し床上げを迎えるまでのおよそ8ヶ月の間は、俺がお嫁さんの変わりに和清兄のセックスの相手をする……ということだった。
兄弟で!? しかも男同士なのに!?
訳がわからず混乱する俺だったがそれから3日間親戚連中にこんこんと諭されたり、酒や睡眠薬を飲まされた身体で和清兄 を受け入れられる身体になるよう慣らされるような陵辱をうけると、半ば洗脳に近い状態で和清兄との初夜を迎えた。
御当主さまである祖母と、俺の両親、次期当主は父だけどいずれその跡を継ぐことになる和清兄 とその奥さんの住むのが本家の母屋。
その母屋と渡り廊下で繋がった『離れ』に敷かれた真新しい布団とシーツ。
教えられたケツの支度をして、ローションで濡れたケツが疼くのを感じながら和清兄を待つ間の俺はものすごく緊張していた。
和清兄 は俺の9つ上の24歳だから、俺が小学生の時には一旦家を出て下宿先から大学に通っていた。
そもそも本家の跡継ぎが弟の面倒を見ることなどないから、それまでも接触はそう多い方でもなかった。
それでも遠い日の記憶には優しい兄 さまの姿があって、俺はこの兄さまが嫌いな訳ではない。
むしろ他の兄たちよりもずっと好きだったし、その精悍な顔立ちを自分の青白い顔と比べては憧れてさえいた。
和清兄 が結婚したのは1年前。
結婚を機に本家へ戻って来た和清兄は、やはり優しい人だった。
俺は高校受験を控えていたから自室に篭ることが多かったけど、また毎日のように和清兄と顔を合わせることができたことを嬉しく思っていたんだ。
義姉という新しい家族と同居することになったのは思春期の俺にとって気まずかったけど、俺も今年の春には分家のお世話になることになって新生活を迎え、その頃には寂しくも感じるようになっていた。
そんな和清兄 と4ヶ月ぶりに顔を合わせたのが、離れの布団の上。
久しぶりに顔を見た和清兄と今からセックスするのだという状況に、この時もまだ俺は混乱していた。
この時にはもう、
『本家の男として、末弟としてきちんと役目を果たさねば』
と理解してはいたけれど、慣らされはしてもまだ挿入は未経験だったし、セックスなど女の子ともしたことがなかった。
全て兄 さまの思うままに、最初は身を任せればいいと叔父から言い含められていたから従うつもりで黙っていたのもある。
「慶治 、世話をかけるがこれからよろしく」
和清兄 の優しい声に泣きそうになりながらうなずいた俺は彼にされるまま着ていた浴衣を脱がされて、それから朝方まで長い時間を使って一晩中抱かれた。
義姉の懐妊が分かってからひと月あまり、夫婦性活は控えていたのだという兄 さまの精力は凄かった。
最初は優しげな印象の通りゆっくりと時間をかけ俺の身体と性感を開いてくれた兄さまだったが、一度俺の中で達したあとは少し手荒なほど激しく責められた。
元々この習わしを知っていた兄 さまは、大学時代から男性とも性的な関係を持っていたらしい。
結婚相手は今のお嫁さんにあたるお嬢さんが親同士の決めた許嫁として早くから居たから、それまでまでは男性相手に恋愛をしていたようだ。
だってよそに子どもをこさえてしまってはいけないから、本家の跡継ぎというものは昔からそういうものなのだという。
そもそもこの妾 の役目を末弟が担う慣習だって、女の妾 を作って何処の馬の骨とも知れない血を混ぜることのないよう血統を守るためなのだから。
つまり男の身体を喜ばせることは、本家の跡継ぎなら当然のように知っていたってこと。
最初の夜から激しく責められた俺でも、その加虐性さえ感じるような衝撃を上回る快楽に兄 さまとの性行為の虜になった。
お許しがもらえれば、自ら兄さまのおちんぽの上へ跨るほどに。
「兄のちんぽは気持ちイイのか?」
訊かれ、
「気持ちイイです! 兄 さまのおちんぽで俺の弟まんこが気持ちよくなってしまいます!」
俺は恥ずかしい言葉さえ叫んで、狂乱しながら射精して果てる。
最初の三晩は毎夜抱かれて、離れから出歩くことなんて出来ないほど体力も気力も消耗していた。
4日目になってようやく登校できて、帰宅してからは和清兄 が廊下を渡って来るのを今か今かとドキドキ待ち構えていた。
義姉の床上げまでは、和清兄 とその嫁さんである義姉の住む本家の離れの部屋で、俺は和清兄の気の向く限りは夜な夜なセックスを受け入れる生活を送る。
それでも学校には通えるから、兄弟とのセックスを受け入れながら何も知らない友人との日常生活も送らなければならないってこと。
和清兄 には毎晩来てもらえる訳じゃなかったけど、1日か、多くても2日空けることはあってもそれ以上は俺を待たせることなく渡って来てくれた。
俺は今まで和清兄が相手して来た男たちの誰より若かったし、女のように抱かれながら、
「兄 さま♡ 兄さま♡」
と甘える歳離れた弟を犯すという背徳は兄 さまの中の雄を奮い立たせるものだったらしい。
そして俺を抱いた次の朝、祖母と両親と少し腹の目立って来た義姉に、昨夜たっぷりと可愛がってやった幼妻のような末弟を交えた食卓で朝食をとるのが兄 さまの愉悦なのだという。
◇
2月の終わり、出産を終えた義姉が市内にある実家から床上げを終え戻ってきた。
お宮参りを見守り、俺のお役目は終了する。
義姉からも「ご苦労さまでした」と祝いの餅を持たされて、俺は再び分家へと戻り普通の高校生活へ戻った。
当然のように和清兄 に抱かれることはなくなった俺は、夏の帰省まで本家に帰ることもない。
高校の先輩とお付き合いすることになったけど、女性とのセックスに失敗してすぐにお別れしてしまった。
それから男の先輩と付き合うようになって、彼とセックスをするようにはなっても和清兄 とのセックスとは違いどこか物足りなかった。
俺はずっと雄膣の奥に切なさを抱きしめていた。
和清兄 はその当主になるにふさわしいデカマラと言えるおちんぽがご立派だったのもあったけど、その辺の高校生にはないような雄の色気を持っていたのだと思う。
精力も絶倫で、ピストンされる時の腰の強さも凄かった。
兄 さまのおちんぽの当たる場所はどこも余すことなく気持ち良くて、俺の雄膣は何度も何度も媚び続けていた。
それに、年の離れた弟の俺を前にして発情を隠しもしない剥き出しの雄みも、たまらないものがある。
弟まんこを出して見せるよう迫られると、抵抗なんてできない。
自分から良く見てもらえるように、邪魔なお尻の肉を掴み両脇へ引っ張るよう開いて、突き出した尻穴を見ていただく。
息が当たるほどの至近距離まで近づけられた顔にマジマジと見られて、俺の尻の穴はヒクヒクと期待し性器 であることを自覚していく。
本家の長男だからこそ持ち合わせる迫力だったのかも知れない。
相手を傅 かせるあのカリスマ性は、俺にはないものだ。
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