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01.御片を振る舞われることのできる男は成人した子持ちの既婚男性のみで、コン〇ームを着けることは不敬

『祭りの夜の御片振舞(おかたふるま)いとは、媚薬入りお神酒をいただいた少年神職が島の男衆に中出しされるまで魔羅(まら)を受け入れる神儀である。』  離島のこの村には、島民のよりどころである小さな神社がある。  この神社はいつから存在しているのか知れないが、その歴史は古く神代の時代まで遡るとか。  古碑に記された主祭神の名も解読できない状態ではあるが、そこには代々仕える神職の家があった。  この神社の例大祭ともいえる祭りが年に一度執り行われるが、その祭りの名を『御片振舞(おかたふるま)い』といった。  この祭りは村外にその存在を秘された秘祭だ。  祭りは三晩続く。  祭り期間は日の入りから日の出までの夜の間に、この村唯一の神職が家々を回りその家の主の魔羅(ペニス)御片(アナル)で受け入れる。  つまり神職はアナルセックスを受け入れ、村の男衆に中出しされるのだ。  三晩の間、祭りに参加できない子どもたちは神社の集会所に集められ泊る。  女たちは祭りの夜は自宅から出てはいけないしきたりなので、邪魔をせぬよう息をひそめ見守っている。  この島の神職にとって、一年のうち最も大事な役目がこの『御片振舞(おかたふるま)い』だ。  神職の家に最初に生まれた男子は、初めての御片振舞(おかたふるま)いの儀式のために十歳になると傍系の親族(大抵の場合は父親の兄弟のうち成人済の年若いもの)から手ほどきを受ける。  ただしこの時は尻穴の拡張と開発のみが行われ、初めての御片振舞(おかたふるま)いの儀式までは未通(処女)でなくてはならない。  この手ほどきの際、神職の家系に古くから伝わる媚薬を入れた御神酒が使われているので、最初の数年間は手ほどきを受けている間の記憶はないことが多いという。  父親から代替わりをし正式な神職になれるのは、御片振舞(おかたふるま)いを無事に終わらせることのできた男子のみである。  祭事の際にも禊の儀式のあと媚薬入りの御神酒を呷り、ここから数時間は神職のトランス状態が続く。  神職は一晩で五軒の家々を周り、三晩で十五軒。  媚薬でキメセク状態になった御片(おかた)が淫語を喚いてちん媚びすれば、その身に神が降りているのだと家の者には喜ばれる。  二日目以降は昼の間は陽の元へ出てはいけなくて、御片(おかた)を休め身を清める。  けれどその間も神職の腹は疼いて疼いて、神聖なその身は早く魔羅(まら)の慈悲を欲しがる性奴隷と化していく。  日が暮れるとまた家々を周るが、その頃の神職は犬の魔羅すら欲しがるような状態なので木箱に入れられ運ばれる。  祭りの最後には村の外の住人(この夜のために島に滞在してもらっている隣村の代表)に御片(おかた)を振舞い、全ての祭事が終わる。  御片(おかた)を振る舞われることのできる男は成人した子持ちの既婚男性のみで、コンドームを着けることは不敬にあたるので必ず生姦でなければならず、中出しを遂げなければ終われない。  そうして祭りの終わった翌日、村人が後夜祭で炎を囲み酒を酌み交わす頃に、神職の太ももの内側へ刺青の線が入れられる。  これは真っすぐに伸びた青い線で、長さは一寸半(四~五センチほど)。  これは祭りの度に刻まれるので一年ごとに増えていき、五年で綺麗な『正』の字ができる。  六年目以降はまた新しい『正』の字を書き始め、これが神職の暦を表した。  御片(おかた)を務める神職だが、後継を生ませるために二十歳(はたち)までには妻を娶る。  当代の神職はまだ十六歳で未婚だが、十八になったら許嫁と正式な結納を交わすことになっていた。  妻には必ず男子を生ませねばならなく、その子が十歳を迎えれば神職を継がせることもできるが、子が二十歳(はたち)を迎えるまでは先延ばしにする猶予も与えられている。  神職の家に嫁いだ嫁は男子を生むまでは村の人間から蔑まれるため必死で子づくりをするのだが、婚姻前から既に夫である神職のメス化が進んでいるのか歴代もなかなか子を成せないことが多かったようだ。  妻との性交時に夫側へ強い快楽を与えてやらねば折角子を成しても女子ばかりが生まれてると昔から言われているので、女子が二人続いた後は親族にゴム付き性交で妻を抱かせ、夫の方も村の若衆(この場合は二十歳以上の男衆のうち年少から五人)の魔羅(まら)を夫の雄膣に挿入する『誘い竿』で前立腺から射精を促し、妻の絶頂に併せて夫が妻の膣内に射精することで男子の子作りが成功するのだという。  このとき子作りに有効とされるアナルマッサージを妻の床入り前に入念に行うが、子種の無駄撃ちは防ぐため寸止めを繰り返す。  あくまでトコロテンイキを防ぐだけで、メスイキは雄の持つ陽の気を削ぐため絶対避けるとのこと。  先代神職(当代の父親)は、息子が生まれるまでこの(つがい)寝取りトコロテン種付けを二十回も繰り返しやっと授かった。  現代では妻側の排卵のタイミングを図ることができるため、月ごとに決められた晩に輪番制の『誘い竿』を夫婦の寝室へ迎え排卵予定日前後三晩で行うとのこと。  先代神職には当代神職にあたる息子以外に子どもは居ない。  先代は息子が十歳になる年に代替わりを拒否したため、息子は十歳のころから村の男衆からその成長を今か今かと見守られ、十六の年にやっとその時が来たという状況だったそうだ。  神職家系に生まれる息子は、どんな平凡な女の胎からでも美しく生まれるという。  息子は父親の子どもの頃に生き写しのようで、村人はこれも神の加護だというようだ。  中でも神職を継ぐ男子の乳首は肥大化し男にしては大きい。  乳輪周りまでふっくらとしているパフィーニップルは感度が良く、男衆に舐めしゃぶらずにはいられない気持ちにさせる。  尻はもっちりと大きく、雄膣は誰に聞いても名器であり、女の膣の具合を超える。  陰嚢は標準だがペニスは大きい。  ただし御片振舞(おかたふるま)いを重ねるほど神職自身のペニスは小さくなっていき、十年も経てばペニスにしては子どものように小さく、クリトリスにしては大き過ぎるペニクリ化していく。  これは十歳から常用している媚薬に女性ホルモンを活性化させメス化を進める成分もあるためらしい。(そのせいで子を成すことが困難になることもあるようだ)  個人によってはいくらか乳房の発達が見られることもあるそうだが、当代神職にはそこまでの変化はなかったようだ。  神職は御片振舞(おかたふるま)いの夜以外に妻以外との性交を禁じられているので、アナルセックスに耽るのも祭りの三晩だけ。  それ以外は尻穴や雄膣が疼いても魔羅(まら)を受け入れることはできない。  その代わり、氏子から奉納された『奉納魔羅(まら)』(住所氏名願い事が書かれた張り型)を雄膣に押し込む『御片(おかた)納めの儀式』などで慰める。  つまり、ディルドアナニーだ。  この儀式を神職は最低でも三日に一度は納める。  本来は五穀豊穣、子宝祈願の儀式である。  特に最近はこの村の珍しい風習に観光客が増えてきているので、奉納魔羅(まら)の数も増えて御片(おかた)納めは忙しい。  通常は御片(おかた)納めを終えた奉納魔羅はお焚き上げするのだけど、時折お気に入りの奉納魔羅を見つけた神職は何度も何度も同じ奉納魔羅を繰り返し使ってしまうこともあったようだ。  この魔羅の型は納めた者自身の魔羅(ペニス)の形を模している。  当代の神職が十八になったある日のことだった。  お気に入りの奉納魔羅(まら)に書かれた住所を、神職はとうとう訪ねたのだという。  しかし書かれた名前の主に会ったら、見た目からして生理的嫌悪を覚えるような中年男(既婚者)だったことに神職は後悔したが、相手は美しい少年神職をひと目で気に入ってしまったらしくまんまと家の中に引き入れられ酒を飲まされ神職は犯された。  それでも結果的に、その男のペニスは奉納魔羅(まら)を更に神職好みの肉棒にした理想の魔羅の持ち主で、嫌悪を覚えながらも神職の淫乱な身体は家族不在の男宅で一晩中ペニスを貪り、余所者の精液で御片(おかた)を穢しまくって尚悦びに打ち震えた。  罪悪感を覚えながらも年に二度はその醜男のところへ通う神職のことを、男はどこの誰だか知らない。  ただ気まぐれに男好きする身体をした美しい男が訪ねてきては、痴女のようにいやらしくちん媚びされ、そそられるまま抱いてやっていただけなのだろう。  神職が男のところを訪ねるのは年に二度の神職同士の集まりに出席する折で、島民の誰ももちろん妻になる許嫁も知らない逢瀬。  美しい少年神職は醜い中年男の魔羅(まら)の上でヘコヘコと夢中で腰を振り続ける。  当代神職も子が生まれ十歳になったら神職を退き、その後は男と失踪するつもりだった。  残りの人生は妻にも子どもにも相手にされなく過ごしていた醜い男の魔羅(まら)のために、女の姿をして暮らそうと準備していた。  手記には、男が望めば女ホルの服用や外科的手術で完全に女の姿になったっていいとすら書かれていた。  ただし受け入れるのは御片(おかた)と呼ばれた尻穴でだけ。  この尻穴は十歳の頃より育てられ女の女陰ように縦に割れ、前立腺(オスまんこ)S字結腸(オスポルチオ)でのメスの快楽(アクメ)に満ちて何物にも変え難いのだと言う。  そうでなくとも神職のペニスはザーメンを飛ばすことは出来ても、性交の際にも女の膣に挿入したかしていないか分からないほど矮小化し、敏感なクリトリス程度の役割しか果たせないだろう。  そんな卑小な雄がデカ魔羅(まら)を持つ二十歳以上も年上の男に雄として求められる訳がない。  それでも今はまだ神に仕える身。  島の男衆はそろそろ浮き足だって、若く美しい神職を見る目を血走らせ始めている。  継ぐ男のいない世帯ではこの祭りのためだけに、所帯を持つ街から島へ戻ってくる若者も居る。  翌月には、今年もまた祭りと神事がとりおこなわれるのだった。

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