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第1章 終わりから始まる物語3
車椅子を動かし、やっとこちらへ顔を向けたカイトは怒ったような困惑したような顔をして俺を見据えた。夜空を思わせる黒い瞳に、じっと見つめられるだけで顔が熱くなり、胸が高鳴る。
「うぬぼれんなよ、カイト。俺は野菜を届けに来たついでに、おまえの様子を見ただけだ」
「だったらシスターメアリーに野菜を渡す目的を果たしたんだから、さっさと家へ帰ったり、子どもたちと遊んであげればいいでしょ」
「もちろん、そうするよ。神父様に、おまえの様子を訊こうとしたら、おまえがいた。それだけだ」
「じゃあ早く行きなよ。僕は、もうしばらく、ここにいるから」
そうしてカイトは車椅子を動かし、湖の周りをゆっくりと進んだ。
「何してんだよ?」
「今日は天気もいいし、そよ風も気持ちいい。だから景色を眺めているんだ。第一、どこへ行こうと僕の勝手だろ。きみに指図されるいわれはない」
トゲのある言い方にムッとして「かわいげのねえやつ」と悪態をつく。「なんで突然、冷たい態度をとるようになったんだよ。おまえを怒らせたり、気に障ることをしたのなら、ちゃんと言ってくれ。じゃねえと、わけがわかんねえよ。それとも、そうやって俺をじょじょに遠ざけるつもりなの?」
一瞬、カイトは車椅子のタイヤを動かす手を止めた。
「……僕は、きみの友だちじゃないし、家族でもない。そもそも仲直りする仲じゃないだろ」
「逃げるのかよ」
カイトは顔を目線を俺のほうにやり、鼻で笑った。
「逃げる? バカを言わないで。逃げたいのは、きみのほうだろ」と図星を突かれる。「きみは、この狭くて窮屈な世界を出たいと思ってる。代わり映えのない日常は退屈で、でも、ひとりじゃ何もできない。理由もなしに、ここを飛び出す勇気もないから足の不自由なぼくを町医者に連れていく口実がほしいんだ。僕を利用しないでくれよ」
そこまで言われてしまうと俺の足は縫いつけられたかのように地面から動かなくなってしまった。
どんどんカイトが遠ざかっていく。追いかけて「違う」って言いたいのに体が異様に重くて動かない。畑仕事の疲れが出たのだろうか?
――本当は、こんなふうに話をしたかったわけじゃない。
今日こそ、ちゃんと俺の気持ちを伝えたかったんだ。遊びでも、興味本心でもない。「本気でカイトのことが好きだ」って。
それなのに、どうしてうまくいかないんだろう?
畑を耕しながら汗を拭い、何度も、何度も頭の中で考えた言葉が出てこない。
唇を噛みしめ、かろうじて動かせる上半身を無理やり動かし、足元にあった平べったい小石を拾って、湖へ投げた。
小石はポンポンとリズムよく飛んでいく。野うさぎが山の中を飛び跳ねるみたいに水面を走り、最後には水底へ姿を消した。
俺は静かに波紋を作る湖の水面を見つめた。波紋が消えた後も、どうしてか目が離せなくて静かに鏡のような湖を眺める。
沈んだ気持ちでいると小さく鼻を鳴らす音が、かすかに聞こえた。
湖からカイトの背中へと目線を移す。
カイトは肩を小刻みに震わせ、背中を丸めていた。車椅子のタイヤを握っておらず、口もとに手をあてている。
衝動に駆られるまま俺は彼のもとへ駆け寄った。
「カイト!」
肩を大きく揺らしたかと思うとカイトは、慌ててタイヤを回す。
「おい、待てよ!」
俺はカイトの行き先を阻むように飛び出した。
するとカイトは顔色を青くして急ハンドルを切る。そのせいで車椅子が大きく横へ傾いた。
「危ねえ!」
両手をのばし、自分より一回りは小さい幼なじみの身体をキャッチする。
ガシャン! とけたたましい音を立てて車椅子が倒れた。
「カイト、おい、大丈夫か? 怪我はねえよな!?」
腕の中の存在の安否を確かめていると、子どものようにボロボロ涙をこぼしてカイトは泣きじゃくった。
「なんでだよ? なんでぼくを助けたりするんだ、ヒロ!」
「当たり前だろ。おまえにもしものことがあったら、俺は……」
言葉を紡ごうとすると、のどが詰まったかのように声が出ない。目線をさまよわせていれば、カイトが俺を押しのけ、地面を這 って車椅子を起こそうとする。
何も言えない自分にむしゃくしゃしながら立ち上がり、カラカラと片輪が回っている車椅子を起こした。タイヤはパンクしていないし、金属部品に歪みや異常がなくてよかったと安堵の息をつく。
「運がいいな、カイト。車椅子、ぶっ壊れてねえぞ。まあ、壊れたとしても俺が直すけどな」
「……ごめん、ありがとう」
礼を告げるカイトの表情は、黒い前髪に隠れてよく見えない。それでも彼が以前のように口をきいてくれて、ほっとする。
「親方がいてくれたら、こんなことを心配しないで済んだのに……本当、僕は疫病神だね」と七年前から突然、動かなくなってしまった足を撫でさすった。
心因性のショックによるものだろうと神父様は判断した。「カイトの心の傷が治れば、足もふたたび動くようになるだろう。ときが解決してくれるのを待つしかない」と仰ったのだ。
そうして今もカイトの下半身は動かないままだ。
「疫病神なわけねえだろ。バカな連中の言葉を真に受けて、どうする?」
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