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〈1〉この世界の姫にはじめまして-1
ここがBLゲームの世界だと俺が自覚したのは、学園に入学してからだった。
なんか見覚えがあるなとぼんやり思っていたら、とある人物を目撃して、俺は唖 然 としたのだ。
「……あの人は……」
俺はあの人物を知っている。
会話すらしたことがない以前に今が初対面だけれども、俺は彼を知っているのだ。それこそ、前世から。
彼は、BLゲームの主人公だ。そしてここは、そのゲームの世界なんだ。
一度思い出せば、一気に記憶が蘇 る。
それは前世の記憶。腐女子の姉がハマっていたBLゲーム。
お相手のキャラクターからの歯の浮くような台詞にキャーキャー言う姉を不思議な目で見ていた記憶がある。
そんな不思議な世界に、俺は転生していたらしい。
「……まぁ、俺はモブだろうけど……」
俺のようなキャラクターは脇役にも居なかったし、なにより、こんな〝嫌われ者〟がゲームの主要メンバーになるはずもない。
そう、俺は嫌われていた。理由は正直わからない。
ただ、周りから話しかけられることは皆無で、こちらから話しかけても目をそらされたり、酷いときは話途中で逃げられる。
賑 わっていた教室に俺が入るとわざとらしく静まり返ることも珍しくないし、遠くからこちらを見ながらヒソヒソと会話をされるのもよくある事だった。
悲しかったし、つらかったけれど、理由がわからなければどうしようもなかった。
とにかく周りを不快にしないよう、俺はできる限り存在感を消した。
食事は人気の無い所で取り、休み時間は図書室の隅で本を読む。
人と関わらなければ人が不快に思うこともないし、なにより自分の心を守れた。
そして今日、学園生活という新たな一歩にちょっとだけ期待していたわけだが、それはすぐに打ち砕かれたのだ。
「……」
学園に一歩踏み出したその瞬間から、また理由のわからない視線がまとわりつく。
一定の距離を置かれ、露骨にヒソヒソと話をされて、俺は早々に諦めの気持ちがわいた。
きっと俺は存在そのものが嫌われているのだろう。まだ話したこともない人たちからここまで距離を置かれるのだから。
諦めてしまえば少し心が楽になった。無駄な期待は持たずに今まで通り人と関わらなければいいのだ。
そう自分に言い聞かせ、貼り出されたクラス分け表を確認して一人で教室へと向かう。
周りでは同じ教室になった新入生たちが「よろしく!」「こちらこそ!」なんて楽しげな会話がなされているが、自分がその輪に加わることはない。
着いた教室は、教室というより講義室といった雰囲気だった。固定された長テーブルが階段状に設置されている。
人はまだまばらで、初対面同士のぎこちない会話が所々でなされていた。
そこで、あの主人公と対面して、冒頭に至るわけである。
「……」
主人公をいつまでも見つめているわけにもいかず、俺は視線をそらして教室を見渡す。
数人からぱっと目をそらされたのは気にせずどこに座るかを考えて、自由席なのをいいことに一番後ろの窓際に腰掛けた。
ここがゲームの世界とわかったところで、俺がシナリオに関わることはないのだから。
さぁ今日から人目を気にし、目立たないように、まるで空気のごとく存在感を消して、息を潜めた新生活がはじまるのだ。
そんな、全くワクワクしない気分のまま窓の外を眺めていたら──
「あの……」
──と、隣から声が聞こえた。
自分が話しかけられているはずがないと思いつつもそろりと顔を向ければ、ばっちりと声の主と目が合ってしまう。
「えっと……僕は夢 乃 アリス。よろしく」
「……」
言葉が出ない。だってまさか自分が話しかけられるなんて思わないだろう。
しかも、しかもだ。
しかも、主人公に話しかけられるなんて──
「──……あっ、ごめん。よろしく」
俺が驚きで固まっていたら、主人公、もとい夢乃アリスが不安そうな表情になり、慌てて返事をする。
すると大輪の花が咲くように笑顔を綻ばせて、嬉 しそうに隣に座ったもんだからギョッとした。
えっ、そこに座るの? 何で?
俺の頭はクエスチョンマークで占められる。だって先程まで中央あたりの席に座っていたじゃないか。
わざわざ席を移した理由もわからないし、何より俺の隣に来るのも不可解だ。
俺の記憶が正しければ、ゲームでは中央付近の席に座った主人公がいろいろなクラスメイトから話しかけられるシーンから始まっていたはずだ。そこで第一主要キャラクターと出会うのだから。
けれど、ホッとしている自分もいた。誰も俺の隣には座ってくれないだろうと思っていたから。
夢乃は隣に座ってからも、ぎこちなくもポツリポツリと俺に話しかける。
人との会話にすっかり不慣れになってしまっていた俺は咄 嗟 に言葉が出なくて、うなずいたり首を振る反応しか返せない。
それでも、怒るでもなく笑ってくれている夢乃はとても優しいのだろう。
襟足まである柔らかな色合いのサラサラの茶髪と、色素の薄い瞳。身長は俺よりはちょっとだけ高いのかもしれないが、平均よりやや低め。
BLゲームの主人公なだけあって、可愛らしくも整った顔立ちをしている。
基本的に受けサイドだったようだが、攻略ルートによっては攻めになることもあった。しかしそのルートはマイナーで不人気だったと姉が言っていた気がする。
受けだとか攻めだとかそんな言葉を知っている自分がなんだかおかしかった。今更だが俺はだいぶ姉に毒されていたようだ。
夢乃アリス、この世界の主人公。
女の子のような名前だが男である。というか男子校なので男しかいない。
他には猫 野 チェシーとか帽 子 野 マットとか変わった名前のキャラクターが居た。
何となく察しはつくと思うが、主要人物の名前は皆超有名童話を元に文字られている。
ちなみに俺の名前は木戸 ルイ。
その有名童話にはかすりもしない名前である。
黒髪黒目のどこにでもいる平凡な見た目で、脇役にも出てこないモブ。おまけに嫌われ者。
そんな俺に話しかけてくれる夢乃の優しさについ顔が緩むと、夢乃から顔をそらされた。そんなに変な顔になっていただろうか。
ちょっと傷ついていたら、夢乃の呟 きが耳に入る。
「……違う……僕はゲイじゃない……」
何を言っているんだろうと首をかしげて、ハッとした。このセリフを知っていたからだ。
基本ノンケの主人公が攻略キャラクターから迫られたり口説かれたり、または自分がそんなキャラクターたちに胸が高まったりして戸惑う時に言うセリフだ。
ということは、もう口説かれている? え、早くない?
見ていたゲームの展開を思い出すが、一番早くから接触のある同級生のキャラクターでさえ、そんなに早くからは主人公に手を出さなかった。
確かゲーム内の紹介をするような学園の説明が担任教師からあって、その後に本格的な物語が始まるのだ。だからまだ接触はないはずなのだが……
「……」
しかし、考えてみればここはもうゲームの世界ではなく現実世界である。
周りの人物たちはキャラクターではなく、心を持った一人の人間。
あくまでゲームの世界観が土台になっているだけで、全てゲーム通りに進むはずがないじゃないか。
夢乃はこれだけ可愛くて優しい人物なのだ。主要人物だけでなく他の人たちも放っておかないだろう。彼にもいろいろと苦悩はあると思うが幸せになってもらいたいものである。
未だ顔を赤らめて悩む夢乃の隣で彼の幸福を願い、想像もしていなかった出会いでこれからの学生生活にほんの少しだけワクワクした。
入学式後、クラスメイトの簡単な自己紹介、明日からの授業のことや学則など諸々の説明が担任教師からあって、この日は終わった。
ちなみにこの担任教師もゲームで出てきたキャラクターだ。確か名前は帽子野マット。
金髪に近い茶髪は短く、タレ目で優しげな笑顔がよく似合う。
イケメンで優しくて頼りになる、しかし個性的な生徒たちに振り回されて損な役回りに当たりやすい苦労キャラだった。
学校が終われば、部活見学などを希望しない限り後は寮に帰るだけである。
夢乃と少し仲良くなれたように感じたが、それでも同級生以上、友達未満という関係なのだろう。
彼は俺と違ってあちこちから声をかけられていたので、結局話せたのは初対面のその時だけだった。
この学園は全寮制で、生徒たちは二人部屋を与えられる。
俺は教室に居ても迷惑になるだけだろうから早々に寮に行くことにした。
コンクリート造りの白い寮は、見た目は校舎と変わらない。
天井も一般のマンションほど高くなく、二段ベッドがギリギリ入る高さだ。
風呂は基本的に大浴場を使うことになっているが、部屋にも狭いながらシャワー室がある。
俺はもっぱらシャワー室を使うことになるだろう。大勢がリラックスしている場に紛れ込む勇気はない。
そんな部屋で荷物の整理をしていたら、ルームメイトだろう生徒が帰ってきた。
「──……あの、今日から同じ部屋みたい。よろしく」
「……えっ? あ、あぁその、よ、よろしくぅ……」
ルームメイトからはドアを開けた途端ギョッとしたように凝視される。そんな彼に俺が声をかけると、我に返って顔をそらされ、歯切れの悪い返事が返ってきた。
そして荷物を置くと、すぐに部屋を出て行ってしまったのだ。予想はしていた反応だがやっぱり傷つく。
しかしこれからプライベートな時間を共に過ごす仲になるのだ。少しずつコミュニケーションを重ねれば普通に話せる関係ぐらいにはなれるかもしれない。
そう自分を励ましていたが、そんな希望は早々に儚 くも消え去ったのだ。
「──……どういうことですか?」
「だからな、木戸は一人部屋がもらえるんだってさ。良かっただろ? 一人の方がのびのびできるしな」
ノック後に入ってきた帽子野先生に、突然一人部屋への移動を告げられたからだ。
「まぁいろいろ決まりがあるんだよ。持ってやるから荷物まとめてくれるか? せっかく整理してた所で悪いな」
「……はい」
このタイミングで部屋の移動ということは、先程のルームメイトが苦情を訴えたのだろうか。
被害妄想かもしれないがあながち間違っていないように思えて、沈む気持ちのまま出していた荷物をバッグに戻す。
重いボストンバッグを帽子野先生が持ってくれて明るい口調で話しかけてくれるが、気分が晴れることはなかった。
案内された部屋は角部屋で、先程の二人部屋と同じ広さだった。
荷物を運んでくれた帽子野先生に礼をして頭を上げたら、じっと彼から見つめられて首をかしげる。
あまり人と目が合わないから、こういう時にどうすればいいのかわからない。
「……まぁあれだ、何か困ったことがあればいつでも俺を頼れよ? 別に困ったことがなくても俺のところに来ていいからな。待ってるよ」
そう言いながら頭を撫 でられて、不意の優しさに泣きそうになった。少なくともこの人は味方でいてくれるようだ。
それに、夢乃という会話のできるクラスメイトもできた。初日にしては上々じゃないか。
沈んでいた気持ちを振り払うように顔をあげ「ありがとうございます」と再度礼を言う。
すると先生は頭を撫でていた手で髪をグチャグチャにかき混ぜて笑った。
「無理すんなよ?」
去っていく背中を見送り、改めて荷物を整理する。先生の言う通り一人部屋のほうが気楽でいいじゃないか。
これだけ周りから嫌われているのだ。無理してルームメイトと関わってもお互いストレスが溜まるだけだろう。これは幸運だったと思うべきなのだ。
またまたそう言い聞かせて売店で買っていた調理パンを食べ、明日はもっといい日になることを願いながらシャワーを浴びた。
* * *
「おーい木戸くーん!」
次の日、さっそくボッチで登校していた俺の名を呼ぶ明るい声。
「おっはよーさん!」
俺が振り返るより早く背後から肩を組まれ、底抜けに明るい笑顔を向けられ驚いた。
「お、おはよう……」
声をかけてもらえて嬉しいはずなのに、どうしても驚きの方が勝ってしまう。だから俺の口からは戸惑いを隠せない声しか出なかった。
それでも彼は気にする様子もなく俺の肩を組んだまま教室へと向かう。
大きな体に赤茶の短い髪、瞳は濃い茶色で人懐っこい笑顔が似合う。彼は──
「俺同じクラスなんだけど覚えてる?」
「うん……猫野君、だよね?」
──猫野チェシー。ゲームの主要メンバーなので当然覚えてる。フルネームで言える。
ただそこまで答えたら気持ち悪がられそうなので言わなかったが。
そんな俺の答えを聞いて猫野は目を丸くした。
あれ、名前だけでも覚えてるの気持ち悪かったかな?
「えっ、マジで覚えててくれたんだ!? うわっ、めっちゃ嬉しいんだけどっ!」
「わゎっ」
俺がまた戸惑っていたら思いっきり抱きつかれて、大きな体に俺の体はすっぽり包まれてしまった。
周りの視線が痛い。いつも以上に睨 まれている気がする。
猫野チェシー、テニス部のエース。
高身長のスポーツマンらしい爽やかな青年だが、ちょっとチャラい。
主人公や俺とも同じクラスで、さっそく主人公を口説いた容疑がかけられている。主に俺から。
だって、誰にでも人懐っこくて、俺なんかにもこんなにフレンドリーに接してくれるのだ。あんなに可愛い夢乃がクラスに居たら彼が話しかけないわけがない。
初日の夢乃の戸惑いがちな呟きは、猫野からさっそく迫られていたからじゃないかと結論づけたわけである。
そんな考えを巡らせてる最中でも、周りの痛いほどの視線をひしひしと感じていた。
猫野は自分が人気者なのを自覚して欲しい。こんな嫌われ者に抱きついちゃいけません。
「俺さ、下の名前チェシーってんだけど、呼びにくいからチエでいいぜ。俺も木戸くんのことルイちゃんって呼ぶからさ」
「え、うん……チエ、くん」
「チエでいいっての! ほらもう一回! リピートアフターミー! チ・エ!」
「ち、チエ……」
「ん~いい子だルイちゃん! もう俺ら友達な! まずは友達から……」
すごい、グイグイ来る。食い気味に来る。友達百人目指してる? こりゃ主人公さっそく口説くわ。
そんなテンションのまま教室まで着いた。
猫野と友達になれたのはちょっと、いやだいぶ嬉しいのだけど、周りの視線が痛いままだった。
しかしここで猫野を振り切ろうものなら、さらに視線は怖いものになるだろう。せっかく人気者が声をかけてくれてるのに何様だって視線になるのはわかりきってる。
「おっはよーアリスちゃん!」
「おはよう猫野、下の名前で呼ばないでくれる?」
「おはよう夢乃くん……」
「おはようルイ! 僕の事はアリスって呼んでよ!」
「すっげぇ変わり身だな!」
教室に入ってさっそく夢乃へ挨拶ができたが、彼はすぐ、猫野と共に他のクラスメイトたちに捕まってしまう。さすがは人気者。
俺は邪魔にならないよう昨日と同じ端の席に腰掛けた。
猫野ともちょっと仲良くなれた気がしたが、やはりその後話しかけられはしなかった。しょせん俺はモブだから仕方がないだろう。
隣に夢乃が座ってくれることもなく、端っこで静かに授業を受けては気まぐれに窓の外を眺める時間が過ぎる。
そしてついに来てしまった。ボッチには恐怖の時間。
昼休みだ。
教室でこのままひっそり買ってきたパンを食べようかと思ったが、ここに居るだけで周りに迷惑な気もする。なのでパンとお茶を持って、俺は人目のない場所を探した。
食堂なんて行けるはずもなく、寮は時間外に忘れ物を取りに入るだけでも管理人に届け出を出さないといけない。
なので屋上とか空いてないかなと思い階段を上ったが、残念ながら『関係者以外立入禁止』の札と共に施錠されていて出られなかった。
その代わりと言ってはなんだが階段の踊り場は誰も来る気配が無かったので、これは穴場とばかりに腰掛けて昼食を摂ることにした。
ちょっと埃 っぽいけれど人目が無いって素晴らしい。
しかし食べ終わると窓しかない階段では暇になってしまう。何で昼休みは四十五分もあるんだろうか。
「……図書室ぐらいなら行ってもいいかな」
ずっとここに居るのも時間の無駄なので、俺は図書室を探すことにした。隅の席で読書をするぐらいなら許されるだろう。
きっとこれからも同じようにひっそり時間を潰す生活となるのだ。
そう考えると少し寂しいが、せっかく学生時代を満喫している人たちの迷惑になる訳にはいかない。
こっそりひっそり過ごして、たまに主人公たちの進展を覗 き見るぐらいはいいだろうか。
午後も誰からも話しかけられず、かろうじて夢乃と猫野にさようならの挨拶だけを交わしてその日は終わったのだった。
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