2 / 8

第二話「ラッキーカラーは白」

 食パンをトースターにセットし、スクランブルエッグを作る。コップに野菜ジュースを注ぎ、テーブルに並べた。  そのタイミングで、スマホがメッセージの着信を知らせる。 『おはよう、マサムネ。寒いけど、気を付けて学校へ行ってね』  長期出張で留守にしている母からだ。バリバリ働き、女手一つで俺を育ててくれたキャリアウーマンなのだ。 『おはよう。そちらも頑張って』  即返事をする。俺の幼少期からのモットーは、母に心配をかけないこと。きっと母にはたくさんの心配ごとがある。その一つに自分がならないことを、日々心掛けている。 『卒業式前日には帰るから』 『OK』とスタンプで返信した。 「いただきます」  俺はトーストにバターをたっぷりと塗り、ガブリと噛みついた。  毎朝、正確な時刻表示を見るためにテレビをつけているが、音は無音にしている。好きなアーティストの曲をスマホで聴きながら朝食を食べるのが、定番なのだ。  でも今朝は、少しだけ事情が違う。  朝七時半になったところで、情報番組の音量を上げた。 「CMのあとは、タコミンの朝の占いコーナーです」  昨日初めてこの占いを見た。  高校一年の春に、カズミチと見に行ったアニメ映画『大海原海中対戦』続編の話題が気になり、番組を見ていた流れだった。 『悔やんでいる過去の出来事を修復するチャンス!ラッキーカラーは青。ラッキープレイスは図書館』  山羊座の俺はタコミンに言われた通り、青い折り畳み傘を持って図書館へ行った。このところずっと、何かのきっかけを欲していたのだ。  信じられないことに、そこにはカズミチがいて、傘を貸してやることができたのだ。  ごく短い会話だったが、言葉を交わしたのは二年半ぶりだった。  俺は中学の卒業式で、ずっと仲の良かったカズミチに交際を申し込んだ。それは俺たちにとってごく自然な成り行きだった。 「仲良し」から「付き合う」に発展した結果、キスもしたし、身体を触り合ったりもした。互いに大好きだからこそ、とてもとても幸せな時間を過ごした。  けれどそれを壊したのは俺だった。別れた、いや無かったことにしたのは、高校一年七月のことだった。  CMが開け、タコミンが画面に現れる。 「二月十八日火曜日、朝の占いだタコ。今日の第一位は……」  手を止めてテレビを見てしまう自分が、女子中学生みたいで少し恥ずかしい。 「第三位は山羊座のアナタ。借りたものはできるだけ早く返そう!ラッキーカラーは白。ラッキーアイテムは小さな贈り物。喜んでもらえるタコ」  別に俺は占いを信じ始めたわけではない。それでも、タコミンに言われたことをしっかりと頭の片隅に置いた。  乾燥機からふわふわに乾いたコバルトブルーのハンドタオルを取り出す。  どうやってカズミチに返そうか考えながら、登校の支度をする。いつもより少しだけ気分が上がった。  もし俺が「また付き合いたい」とカズミチに告げたら、何と言うだろうか。さすがに、あまりに自分勝手だと怒るかもしれない。  ハンドタオルと一緒に渡したいと「白くて小さな贈り物」を考えてみたが、なにも思いつかないまま、学校へ到着した。  玄関ロビーで、軽音楽部の部長に呼び止められる。 「おはよう、マサムネ。これ、渡しておく」  QRコードが印刷してある名刺サイズの白い紙を、三枚渡された。 「なにこれ?」 「説明したじゃん、忘れたのかよ。この前の卒業ライブを動画投稿サイトに限定公開でアップロードするから、親とか友達に、QRコードから見てもらえるって」 「あぁ、そのQRコード。サンキュ」 「こんなタイミングであれだけど、マサムネが軽音楽部入ってくれて、うれしかったぜ」 「なんだよ、いきなり」 「いや、高一の春に誘ったときは興味ないって言ってたからさ」 「あぁ。そうだったな」 「とにかく、スタイルが良くてイケメンなマサムネのお陰で、軽音楽部のライブ集客は安泰だったってわけ」 「そこは、歌の上手いマサムネのお陰で、とか言えよ」 「いや、歌は俺のほうが上だから」  部長とするくだらない会話からも、卒業間近な雰囲気をひしひしと感じた。  学校にいると、カズミチの姿はあまり視界に入らない。もちろんA組とF組でクラスが違うせいでもあるが、彼が気を使って、俺との距離を置いてくれているからだ。  結局、青いハンドタオルを返却するタイミングもないまま、下校の時刻を迎えてしまった。  上履きを脱ぎ、革靴に履き替えようと靴箱を開ける。  そこには俺の青い折り畳み傘が、丁寧に畳まれて入っていた。 (カズミチ……)  自分の傘なのに、とても大切なもののように感じて、そっと取り出す。同時に何かがストンと下に落ちた。  拾い上げると、ホッカイロだった。傘と一緒に、カズミチが入れてくれたのだ。  よくみると、パッケージに緑のマジックで『ありがとう』と書いてあった。久しぶりに見るカズミチの字だった。  俺はちょうど通りかかった知り合いに、声を掛ける。 「F組って、もう帰ったよな?」 「あぁ、ちょっと前に帰ってたぜ」  俺は、折り畳み傘とホッカイロをカバンに仕舞い、正門へと急ぐ。そして駅へ続く通学路を走り始めた。  ハッハッと白い息を吐きながら、同じ制服を着た者たちを、一人、また一人と追い抜いていく。冷たい空気のせいで顔と耳が痛い。  カズミチがいたら後ろ姿だって、俺はちゃんと気が付くだろう。華奢で首が長くて、やわらない髪の毛がフワフワとしているのだ。けれど、いない。まだ、追いつかない。もうすぐ駅についてしまうのに、姿はない。  駅の南口で立ち止まって、周囲をキョロキョロと見渡す。  運動部ではないから、こんな風に走ることに慣れてなくて、呼吸が大きく乱れている。  そのとき白いマフラーが、視界の片隅にチラリと入った。白。今日の俺のラッキーカラー。  確信は持てないのに、そちらに向かって、俺は再び走り始めていた。  普段は行かない駅の北口に回り込んだところで、はっきりとその後ろ姿が見えた。白いマフラーを巻いているのは、やはりカズミチだった。 (どこへ行くのだろう?)  カズミチは、北口を出てすぐの公園へと入っていった。俺は一定の距離を保って後ろをついていく。  大きな池の畔のベンチに、カズミチは腰掛けた。  こんな寒いのに、一人でこんなところに来るなんて、どうしたのだろう。ちょこんと座るその姿が、ひどく寂しそうに見えてしまう。  駆け寄って、抱きしめてやりたい。「どうした?」って訊いてやりたい。手を握って温めてやりたい。でも自分にその資格があるとは思えない。  突然、背後からうなり声がした。 「ウー、ワンワン、ウー、ワンワンワン」  振り返れば、真っ白い大きな犬が俺に向かって吠えている。飼い主は「コラ、吠えちゃダメ」と犬を叱っているが、ストーカーの真似事をした俺を咎めるように、犬は吠え続けた。 「え?マ、マサムネくん?」  ベンチからカズミチが立ち上がって、こちらを見ていた。ずるい俺は咄嗟に、偶然出会ったフリをする。 「カズミチ?また会ったな。偶然だな。あぁ、そうだ。傘とホッカイロありがとな。受け取ったから」  やましいことがあるとき、人は饒舌に喋ってしまう。 「あ、うん。昨日は傘、助かったから」 「そっか、よかった」  白い犬は飼い主に引っ張られるように、公園の奥へと移動していった。池の畔には俺たち以外の気配はない。 「隣、座っていいか?」 「えっ、いいの?」  逆にカズミチが聞いてくる。二人でいるところを人に見られるかもしれないのに、いいのか?という意味だろう。  俺はそれには返事をせず、カズミチの隣に座る。 「こんな池があるなんて三年間知らなかった」 「僕は、この場所によく来てたよ。このベンチで本を読んだり、風景をスケッチしたり、散歩途中の犬を撫でさせてもらったりしてた」 「一人で?」  口にしてから酷い質問をしたことに気が付いた。俺が突然カズミチを拒絶したりしなかったら、彼は全く違う高校三年間を過ごしていただろう。  今日に限らず、ここで一人、寂しげに池を見ているカズミチを思い浮かべたら、せつない気持ちでいっぱいになった。けれど同時に、そう感じる自分のエゴにもうんざりとする。 「この場所、静かで一人で過ごすのに最適だよ。時々は、アキラくんも一緒だったし」 「アキラも?」 「うん。ここ、季節の移り変わりがよくわかるんだ。桜も咲くし、蝉もうるさく鳴くし、色々な色に紅葉もする。池にはたくさん鳥もくるし、絵を描くモチーフとして最適」 「そっか」  以前のように、ごく自然に会話している状況に、心が弾んだ。  けれど、ウォーキング中の老夫婦がお喋りしながら近づいてくるのが見えると、カズミチは急にソワソワとする。 「僕、もう行くね」  また気を使わせてしまった。  俺は慌ててカバンから、青いハンドタオルを取り出した。 「これ、ありがとな。使わせてもらった」  コクリと頷いて、嬉しそうに受け取ってくれた。その笑顔に、タコミンの声が蘇る。 『ラッキーアイテムは小さな贈り物』  結局何も用意できなかった……。いや、まて。 「そうだ、カズミチ、これもらってくれ」 「ん?QRコード?」 「この前の卒業ライブの動画。限定公開されてるのが、ここから見られるから」 「えっ!ホント!すごくうれしい。見てみたかったんだ。ありがとう」  カズミチはQRコードの白い紙をブレザーのポケットに大事そうに仕舞い、「じゃあね」と駅へ走って行ってしまう。  ちょうどそのとき、俺の目の前を通った老夫婦が好奇な目で、走り去ったカズミチと俺を見比べていた。  俺は、腹にぐっと力を入れ、堂々とした態度を心掛ける。  わざとゆったりした仕草でベンチに座り直し、足を組む。そして、もらったカイロを丁寧に開封し両手で包み込んだ。  温まってくるのを待ちながら、カズミチが見ていただろう景色を、同じ角度から眺めた。 —  夜。自分でもQRコードを読み込み、限定動画を見てみた。  放送部の二年生がカメラマンとして入ってくれていたので、かなりいい感じの動画に仕上がっている。これなら、カズミチも楽しんでくれるだろう。  文化祭のときも、新入生歓迎ライブのときも、この前の卒業ライブも、カズミチは会場に入らず、体育館の外で、音漏れだけを聴いてくれていたらしい。  それはアキラが、俺を責めるような口調で、教えてくれたことだ。  俺と、カズミチと、アキラは中学校が同じで、中学一年から三人で仲が良かった。  俺とカズミチの関係について全てを知っているのは、アキラだけだ。彼は、俺の味方だし、カズミチの味方なのだ。  しかし、そう思っていたアキラから、先日メッセージをもらった。 『卒業まであと二週間。カズミチとの関係を修復する気はあるのか?無いのなら、俺がカズミチに告白するぞ。マサムネは、それでもいいのか?』  俺を奮起させるためのメッセージなのか、本当にそんなことを思っているのか、分からない。  ただ、関西の大学へ進学するアキラは、卒業式の翌日には東京を離れ、大阪の叔母さんの家での下宿を始めるらしい。

ともだちにシェアしよう!