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5.始末書バディ ⑥
フェンヴァーンのセーフハウスは人間界のいわゆる飲み屋街が連なる繁華街の側にある。10階建ての都会的なマンションで、その8階の一角が彼の部屋になっていた。
エスカレーターなど使わなくても、境界転移があれば部屋へすぐに迎えるというのに、近くのスーパーでいくつかの酒と翌朝の朝食を買って二人並んでマンションまで歩く。会話はない。
エントランスは、背後の路地の湿気と熱を完全に遮断し、わずかな照明の光と大理石の床が、静かで清潔な空気を漂わせている。
エレベーターホールを抜け、二人は仕事帰りの友人の風情で密室へと滑り込む。ドアが閉まると、重く、親密な沈黙が落ちた。
本当なら、すぐにでも抱き合いたい。
そう思うけれどもその密室は硝子張りで眼下にギラついたネオンの光が見える。ちらっとフェンヴァーンはユーリを見る。ユーリもフェンヴァーンをちらりと見て、ふいっと視線を外へとそらした。
カチリ、と階数を表す数字が上がるたび、二人の間に漂う空気は濃度を増していく。フェンヴァーンのスーツの柔らかな生地が、わずかにユーリの腕に触れる。その微かな接触さえ、電流のように身体を走る。ユーリの胸元から香る微かな誘因香が、フェンヴァーンの冷静さを揺さぶった。
チン、と「8」階のランプが点灯し、扉が開く。まっすぐに続く静かな廊下をフェンヴァーンが先に進み、ユーリは後についた。
欲望の最終カウントダウン。
互いの内側で、理性と本能が綱引きをしていた。あと一歩、もう一歩、扉一枚を越えれば、宴が始まる。その予感に血が滾る。
バタン。
玄関の扉が閉まった直後、二人の世界から雑音が消えた。息苦しいほどの熱が、二人の間に立ち込める。
コンビニの袋が落ちて、玄関ポーチにごつっと缶の音がする。
引き寄せられた身体は、硬い壁に追い詰められるように密着し、ユーリは逃げ場を失った。条件反射でまた体が硬くなったが、フェンヴァーンがその顔を覆うように深く口づけてくる。その巧みさにだんだんと融かされて、その勢いのままスーツがしわだらけになるのも構わずに無茶苦茶に体をすり合わせる。互いの熱を求め合う行為はすでに言葉を必要としていない。玄関という、一歩先が日常であるはずの空間は、今や抑えきれない情動を爆発させる密室と化していた。
「フェン……フェニー…………食事を、先に……しよう」
「食事? そんなもの……」
フェンヴァーンの足元にユーリが跪く。目の前にあるスラックスのジッパーを下げて、彼は興奮に蒸れる茂みの中へ下着の隙間から鼻先を潜らせた。
少し体温の低い腔内。その粘膜に包まれ、フェンヴァーンは腰が砕ける。
「いい……あっ……ん……あぁ……っ……イイ」
電気一つつけない薄暗い玄関先でも、狼の目は跪いて奉仕するユーリのとろんとした上目遣いとぴくぴくと痙攣してその存在を誇示する彼の中心を見ていた。
玄関先に甘い誘因香が満ちてくる。
「飲んで……」
拘置牢では碌に抜くこともできなかった濃い白濁が遠慮なくユーリの綺麗な口の中へ注ぎ込まれる。飲み込むたびに揺れるユーリの喉が煽情的で、フェンヴァーンはいつも自分がされているように喉から彼の形の良い顎にかけて軽く指先の腹で撫でた。
美しい人。
彼の中を今、自分のモノが汚している。その優越感がフェンヴァーンの背筋をぞくぞくと駆け上がる。射精感が止まらなかった。
「っ……ん」
唇を残滓で艶めかせてユーリが萎えたフェンヴァーンを解放する。
「俺のを舐めて、興奮したの? かわいい。吸血鬼って、こんな情熱的なんだ。知らなかったよ」
「それは……君と繋がってるからで」
「血の盟約とやらで? それとも……体で?」
「どちらも」
いつもは白くて無表情な顔を恥ずかしそうに真っ赤にしてユーリはその場に脱力する。エレベーターの中から香っていた甘い匂いがますます強くなっていた。
フェンヴァーンはユーリを軽々と抱き上げる。またユーリは一瞬だけ身を固くする。しかしフェンヴァーンが淫熱で茹だってしまった頬や額、唇に軽いキスをとしてやるとすぐにとろりと力が抜けた。
「食事には下ごしらえが必要じゃない? このままベッドルームまで運んであげるから、ボタンは自分で外してくれる?」
髪に、額に、瞼に、鼻に、頬に、唇に、とにかく彼のかわいいと思える場所にキスの雨を与えながらフェンヴァーンが言うと、ユーリは自らネクタイを解き、スーツやベスト、シャツのボタンをゆるゆると外し始める。
じゅ、ちゅと音を立てて唇を交わしながら廊下を歩く。そんなに長い距離ではない。それでも気持ちと興奮だけが先走って、二人にはずいぶんと長く感じられた。
ベッドに投げ出されたユーリはしどけなく横たわる。スラックスのウエストは緩み、はだけた衣類の隙間から濃密な甘い香りが部屋中に溢れ出した。
フェンヴァーンは膝を使って体重をかけないように注意を払い上からのしかかる。その中心は、さっき達したというのにもう勃ちあがり、ユーリの上等なスーツのスラックスに先が触れて染みをつけた。
フェンヴァーンはジャケットをベッドの下に脱ぎ置いて、首元のネクタイを緩めた。
「たまんないな。つい半年くらい前までは「ああ」「うん」「はい」「そう」「待て」「ダメ」くらいしか声を聞いたことがなかったのに」
「君が……人間だと、思ってたから」
「俺が?」
「越境人が、それも獣種が人間社会のただ中にセーフハウスを持って、人間の女を食殺していないなんて信じられなかった」
フェンヴァーンは目を瞬かせる。
確かにセーフハウスを人間世界に、それもこんな人間の生活圏に近いところへ持つものはいない。
一方でフェンヴァーンはその場所をあてがわれた時から、別段それほどに食欲の誘惑に悩まされたことがなかった。
「別におかしいことじゃない。俺達人狼族ってのは社会性の高い血族だ。仲間には優しく、そうでない者には限りなく残酷に。それを幼いころから教えられるからさ」
そうやって成人するまではみんなが「優しい仲間」だった。
自分が白銀人狼だったために、成人すると同時に「限りなく残酷に扱われる対象の獲物」になるなんて、思いもよらなかった。
きっとそのせいだろう。
フェンヴァーンは自分中にある優しさの理由をそう理解した。
「セーフハウスが人間世界にあるなら、その周りの人間は仲間だろ? 彼らとの協力がなければスーパーの特売情報も、ゴミ出しのルールも、上手い酒や夕食の一品のおすそ分けにもありつけない。彼らに彼らの大切にする仲間がいるなら、俺はその仲間の範囲を尊重する。そうやって暮らしてただけだよ」
フェンヴァーンはユーリの頬にキスしてから彼の耳元へ囁くように尋ねた。
「ユーリは人間が嫌い?」
「嫌いじゃない。ただ彼らにとって私が毒だから」
「毒?」
「君を従僕にするまで、私は従僕を持ったことがなくてね。持たないと吸血鬼の特殊技能である『誘惑』の制御ができない」
それどころか真祖としての強大な神格のために、精神的な不安定さから『誘惑』は『魅了』へと勝手に変化してしまう。『誘惑』程度なら物理的に離れれば効果は消えるかもしれないが、『魅了』となれば呪いである。いつまでも対象を冒し続けやがて死に至らしめる可能性もあった。
「別に必ず血を飲まなきゃ生きていけないわけでもないのに手当たり次第に人間を魅惑して、その体を、命を捧げさせ、失わせてしまうことになる。なのに無意識だからって節操なく能力を発動してたんじゃ、問題だろう?」
「ああ~だからあのスタイルだったわけね」
長い前髪にダサい格好。話す言葉はそっけなく、表情は乏しくて、完全にコミュニティ障害気味の陰キャなオタクである。誰も好き好んで彼に声をかけようとはしなかった。
そうやって擬態して自分の危険から人間を遠ざけていたのだ。
ちゅっとユーリの額に頬にフェンヴァーンはキスをする。ユーリはくすぐったそうに肩を少々すくめて、片目をひそめた。
「優しいね、ユーリ」
「執行官になるのに、人間に絡んだ醜聞は少ない方がいいからだ」
フェンヴァーンからの賞賛へのお礼に、ユーリは彼の唇に軽く口づける。暫くは軽いキスの応酬を繰り返した。
興奮で軽く息が上がってくる。フェンヴァーンははっはっと荒い息を吐きながら、ユーリに尋ねた。
「いつから俺をその相棒にしようと?」
「数か月前、埠頭で囮捜査した時から」
ユーリからフェンヴァーンの首に腕を伸ばし、引き寄せてキスをする。気遣って体重をかけまいとしていたフェンヴァーンの腕がバランスを崩して力を失い。ユーリにのしかかる。興奮して存在を主張してた二人の中心がぐりぐりと互いに触れ合って、ますます体の熱が上がる。舌を絡めあう深いキスは埠頭での夜を思い出させ、さらに濃密になった。
めったに汗をかかないはずの吸血鬼の白い首筋から、つつーっと熱い汗が一筋流れる。ベッドにしみわたるユーリの甘い香りにフェンヴァーンは眩暈すら覚えた。
「君を、私のものにしたかった。初めて、そんな風に想った」
「どこに印を?」
フェンヴァーンは尋ねた。
公選弁務士はバビロンへの移動があまりにも唐突であったことから、ユーリが血の盟約を施していると言っていた。それがあれば吸血鬼は自らの神格を貸し与える代償に、維持聖府などの公官庁内の結界にとらわれていない限り、いついかなる時でも、どのような防護策をとろうとも印をつけた従僕を自らの元へ召喚することが可能なのだと。
彼女はフェンヴァーンとユーリを共同正犯とし、その上で血の盟約の印のために自分の意思以外の力であの場に召喚された従犯であったと不可抗力を訴えるつもりだった。
しかしそれではユーリを一方的に悪者に仕立ててしまう。悪いのは明らかに襲ってきた相手の方であったとフェンヴァーンは思っていたから、その主張を受け入れなかった。
「首筋とか項とか、腋、足の付け根、尾てい骨から尻なんかを探してたが、結局見つからなかったと言っていた」
「普通の吸血鬼なら確かにそういう目立つ場所か、一番血の流れが多そうな場所だろうな。あれは主である吸血鬼の餌として血の道を通すと同時に、戦利品に対する刻印だから」
「なに、血の道って?」
「刻印を通じて離れていても従僕の血を得るんだ」
「へえ……歩く非常食糧か?」
「そんなところだな。印が太い血管に近いほど多量の力を得る。でも、私はただそんなものとしてだけの従僕が欲しかったわけじゃない」
ユーリはフェンヴァーンの口の中へ唇を忍ばせ、はむっと彼の長い舌を唇で挟んで引き出し、舌先でその裏筋を悪戯に舐めた。
その刺激でフェンヴァーンはかつてユーリに舌をちくりと噛まれたことを思い出す。始末書を一緒に書いた時だ。
ユーリはフェンヴァーンの喉元に顔をすり寄せた。
「私がほしかったのは同志であり共犯者だ。テロリスト を相手にするんだ。誘惑に惑わされた程度の生半可な下心なんかではなく、強靱な鉄の意志で恐怖を乗り越え互いに命をベットできるような相棒 。それが私にはどうしても必要だった」
「俺の背景を知ってて言ってるのか?」
「君が銀狼だとわかってすぐにバビロンの事件の件は調べた。私の師匠が担当した話だったし、なによりあのバビロンの件はソロモン法の運用について一石を投じた重要な案件だ。銀の契約に関わる者ならだれでも話は聞いたことがある」
「保護プログラムはまだ有効だそうだが、今後あんたにその余波がかかるかもしれない」
「一族と対立しているというのなら私とて同じ事だ。だからこそ、君を選んだ。君 は吸血鬼の天敵だからな」
「あんたは吸血鬼族の族長で、真祖だったな」
「片割れだ。私とカロエは二人で一つ。実際には真祖一人分の三分の二ほどしかない」
フェンヴァーンは彼が銀の武器の精製を成した理由も、スライムが戦いて手を引いた理由も理解した。本人は完全でないことを謙遜したが、血の盟約で貸し与えられた神格は強大過ぎた。
ユーリはひやっとした手でフェンヴァーンの頬に触れ、首筋をなぞり、緩んだネクタイをするりと外して、鎖骨に触れる。そのあとで、ゆっくりと同じ道順を唇で触れていった。
「同意がなかったことは謝る」
「いいよ。俺はそのおかげで生き残ったわけだし」
「我慢ができなかった」
そう言いながらユーリはフェンヴァーンのシャツのボタンを一つ一つ外していった。
「あんたでも、我慢ができないなんてことがあるんだな」
「君は私をBottom にしてるからって勘違いしているようだが、私は君が思うほど貞淑で慎ましい淑女 じゃない」
シャツのボタンを最後まで外した手が、腹筋をなぞり、そのまま熱を籠もらせた欲望の証にするりと沿う。温度差でフェンヴァーンは小さく喘いだ。
「君と同じ雄だ。ほしいと思ったものに対してはり本気の狩りを仕掛けるものだよ。冷静に狡猾に、素知らぬふりで巧妙に……今日だって、局長室で何でもないふりをするのは大変だったんだ」
ユーリはごにょごにょと言って、フェンヴァーンに触れる手をいたずらに動かす。くすぐったさと気持ちよさでフェンヴァーンはなまめかしく眉根を寄せて身悶えた。
実は、普段とは見慣れないスーツ姿を見たとき、この場で卒倒して二度目の死を迎えるかもしれないとユーリは正直に思った。それくらい、正装したフェンヴァーンは素晴らしかった。
その上で長く禁欲生活を強いられたために全身から野性味のある色気 が熱い視線から垂れ流される。流れる先はあからさまな再会の喜びを伴ってユーリに一直線だった。
心も、体も、血の道もすべてが太い縁のパイプで繋がっている関係性で、それを拒絶できるはずもない。しかしそこには局長以下上役や同僚がいる。個人的な関係性に意識を向けている場ではない。仕事中だと何度も言い聞かせて無表情 を必死で装う。おかげで随分と鉄の理性がすり減ってしまった。
「君は……気づいていないかもしれないが…………君と、その……繋がった、せいで、感情がダイレクトに流れてくる、んだ」
そのおかげでユーリは随分とこの世界にも暖かく、穏やかで、輝いた世界があるのだと知ることができた。それは長い年月の中で感性が死を迎えがちな吸血鬼族にとっては喜ばしいことだ。反面、幼い頃から悲惨な生活しかしてこずに、そんな世界を受け取ってこなかったから、戸惑ってもいた。
特にフェンヴァーンのストレートで慈しみ深い愛情表現はユーリには刺激が強すぎた。
「知ってる」
フェンヴァーンは少し体を浮かせて、首筋やはだけた素肌に唇で、舌で触れながら、上目遣いににやりと笑った。
「あんたほどじゃないけど、あんたがどれだけ俺とシたいって思ってるか」
繋がっていようといなかろうと、ユーリの匂いがもう気持ちを隠せていなかった。
白い肌を舌でべしょべしょにしてから、そっとフェンヴァーンは甘めに噛んでみる。
「は、ぁ……っ……ん」
ユーリはその刺激に身悶える。その様子を注意深く観察しながら、フェンヴァーンはゆっくりゆっくりと顎に力を込めていく。しかしその歯が薄い皮膚を突き破るために微かに沈んだ段階でそれ以上力を入れる事ができなくなった。
「フェンヴァー……ん?」
不満げな様子で見下ろすフェンヴァーンをユーリが気怠げに見上げた。
「噛めない理由も、盟約のせい?」
「そう、だな。主人に対する危害一切ができなくなる」
「だから前の時も俺の顎が紙一重でかみ合わなかったわけね。残念。あんたは俺に印をつけたのに、俺はあんたに俺のモノだって印はつけられないのか」
と言いながらフェンヴァーンはぴんと立ち上がった胸の突起を口に含み、白い肌ごと強く吸い付いた。
「あ……あ……ん……ひぃ……ん」
ユーリが背を反らし、切なく啼いたあと、そこにははっきりと赤い鬱血が残った。
「これはいいんだ?」
ユーリは真っ赤な顔をして黙って応えない。そのかわり彼の寛いだ股の間にじわりと染みが広がり、強く押し上げられた下着がビクビクと震えていた。
それを見下ろすフェンヴァーンは口いっぱいにあふれて唇を濡らす食欲の証をじゅるりと長い舌で舐めた。
「質 がだめなら量 で我慢するよ。だけどメインディッシュのおかわりは覚悟してて」
フェンヴァーンはそう宣言してユーリのはだけたスーツ姿を力尽くで剥き開く。
「あ……っん」
裸体を外気に晒されたユーリが喘ぐ。
フェンヴァーンはその体が寒さに固くなる前に、恭しく彼の白い肌に唇を寄せて、そのまま淫靡な『食事』を始めた。
「満足したか?」
数時間後。
腰の感覚をなくしてまったく動けなくなったフェンヴァーンの上から、腰の上にまたがったユーリが尋ねる。
ユーリの白い肌には無数の鬱血があったが、それと同じくらいにフェンヴァーンのたくましい体には吸血鬼の噛み痕が数筋の血の跡を流して残されていた。
「これは仕返しか?」
「腹が減った」
「玄関先で腹ごなししたんじゃないのか?」
「つまみ食いをすると食欲にブーストがかかるタイプなんだよ、私は」
「大食いだな」
ユーリはフェンヴァーンにちゅっとキスをして胸の上に倒れ込むようにして身を寄せる。フェンヴァーンが重たく感じる腕を背に回して抱きしめると、その温かさにユーリはすぐに眠たくなってうとうとし始めた。
「ああ。明日からまずは初仕事として始末書を書かないと」
「提出先は?」
「境界管理局 審判課」
「了解」
「君は、きもちいいな、フェンヴァーン。このまま、少し……眠らせて」
ユーリはそう言ってすぐに寝息を立てはじめる。
彼の『下の口』はまだ長々とした狼の吐精を貪欲に飲み込んでいる最中だったが、朝日の白い光が透けて淡い影を落とす金の睫毛のついた瞼が開く様子はなかった。
その背を気怠げにトントンと叩いて、フェンヴァーンはかわいらしい寝顔にちゅっとキスをおとす。
「お休み。ユーリ」
そう言って身動きのとれない体のまま、フェンヴァーンは大きくため息をついた。
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