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第1話 守られない約束
目が覚めると、隣に恋人の桜庭俊輔 が眠っている。
長い前髪が閉じた目に掛かり、顔の全貌は見えない。
カーテンの隙間から光が差し込み、朝の訪れを知らせていた。
喉の渇きを感じながらも、その寝顔をしばらく眺めて過ごす。
一見、幸せそうな光景。
実際には、高瀬航 が一人で過ごした発情期が明けた直後だった。
これまでに何度、番になるチャンスを逃したのだろう。
発情期に入った時は必ず連絡を入れているにも関わらず、その一週間の間に俊輔が来てくれたことはない。
「ごめん。間に合わなかった」目を覚ました俊輔が、開口一番、謝罪する。
航はふるふると頭を横に振った。
「来てくれただけで嬉しいよ」
無理矢理な笑顔を作ってみても、俊輔と目は合わない。
彼は社会人で航はまだ大学生。タイミングが合わないのは仕方ないことだと自分に言い聞かせても、虚しさは消化されず、悲しみは日々募っていく。
倦怠期なんていいものではなかった。
事実上、二人の関係は既に終わっているのだ。
それでも決定的な一言を避けているのは、『番になろう』と交わした約束を、心のどこかで信じていたかったのかもしれない。
「仕事は大丈夫だった?」
「あぁ、なんとか有休使えるように頑張ってたんだけど、トラブルがあって。結局、週末まで時間作れなかった」
「そっか……。ごめんね、僕のせいで無理させちゃったんだよね。朝ごはん食べる」
まだ力の入らない体を起こそうとする。
俊輔は「いや、大丈夫だから」手をひらひらと振り、それを断った。
「お前、もう動けそうだし帰って寝直すわ」
大きな欠伸をしながら言う。
「ごめん。もっと早くに発情期終わったって連絡するべきだったよね」
いや、本当はまだ喋るのも怠い。自分自身の食欲さえ湧かない。けれど仕事が終わって駆けつけてくれた俊輔を労わなくては、機嫌を損ねてしまう。
「まぁ、そっちも疲れて寝たいのは分かるけどさ。『大丈夫』の一言があれば、こっちは後に回せた仕事もあったわけ。学生だから仕方ないかもしれないけど、今度からは気をつけて」
既に機嫌は悪かった。航のマンションに来るだけでも余分な労力だと、遠回しに、しかしはっきりと告げられたような気持ちになる。
いくら航から気を遣っても、俊輔からの気遣いは得られなかった。
『今度』……その言葉が引っかかる。
次の発情期にも、この関係は続いているのだろうか。
黙り込み、俯く航を見ようともせず、遂には触れることもなく俊輔は帰っていった。
横たわったまま、躊躇いなく閉められたドアを見詰める。
小脇に抱えている俊輔の服からは、もう殆ど匂いは消えていた。
「今度こそ、諦めないとな」
発情期が明けたとはいえ週末。もしかすると一緒に過ごせるかも……そんな淡い期待も打ち砕かれた。
仰向けになり、ぼんやりと過去を振り返る。
───いつからダメになっていったんだっけ。
お互い大学生の頃はうまくいっていた。けれど二人が出会った時、航は一回生で俊輔は既に四回生になっていた。
恋人になってから俊輔が卒業するまでの期間は、たったの五ヶ月程度。
番になる約束をしたのは俊輔が大学を去る直前だった。
俊輔の卒業後、航の発情期は十回はあったはずである。なのに最後に体を重ねたのがいつだったかさえ思い出せない。
航はまだ後一年は大学へ通う。
その間に俊輔はもっと仕事が忙しくなるかもしれないし、人脈も広がるだろう。
そうなった時、航の存在が俊輔の支えになっているとは到底思えなかった。
「いい加減、目を覚さなきゃ」
今日、マンションへ来たのだって本心で航を心配したからではない。
『一応は顔を出した』という既成事実を作るためだけだ。ベッドにある自分の服にさえ気付かなかった。興味もないようだった。
「捨てよう。どうせもう、役にも立たない」
ベッドのシーツも枕カバーも、全部まとめてゴミ袋に詰め込む。思い出も俊輔への気持ちも全部捩じ込んでキツく縛った。
一人の発情期にもすっかり慣れてしまった。慣れたというよりも諦めの方が大きいのだが……。
航が発情期の間、俊輔も一人だったとは考え難い。
他に一緒に過ごす人がいてもおかしくない。
もしそうであれば、今の自分たちの関係は何なのか。恋人とも言えない、体の関係もない。
連絡も頻繁に取ることはない。返事の来ないメッセージを、航から一方的に送信しているだけだ。
考えれば簡単な話だった。
航が引けば、俊輔を解放してあげられる。番になるのを夢見て、アルファに固執していたのは自分の方だ。
「全く、情けないオメガだよ僕は」
自嘲しつつ、週末の間に思い切り泣いた。
スマホを取り出し俊輔の連絡先を削除する。二度と頼れなくするために。
画面をタップする指が震えた。
「これ以上頼っちゃダメだ。俊輔くんを自由にしてあげないと」
その名前が消えたスマホはなんだか空っぽになったように感じる。
まだ、写真は消せそうにない。
週末に、俊輔からの連絡は一度も来なかった。
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