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第2話 番候補は親友α
休みが終わり一週間ぶりに大学へ行くと、友人である夏川岳斗 が労ってくれた。
「航 発情期お疲れ様。これ、好きだろ 今日から復帰かなって思って買っといた」
「ありがとう。甘いの欲しかったんだ」
手渡されたのはコンビニのスウィーツ。航が今、一番ハマっているものだった。
甘さがじんわりと体に染み渡る。
「生き返る~」唸るように言う。
「爺さんかよ」岳斗は思わず声を上げて笑った。
「だって発情期の間は食欲もなくて」
「……航さ、ちょっと頸見せて」
唐突に岳斗が航の首元を覗き込む。
あ、バレたと思った。
「なぁ、また来なかったのかよ。恋人の桜庭さん……だっけ? 番になる約束してるんだろ?」
「仕事が忙しかったって。どうしても都合がつかなかったみたいで」
「今の会社なんて融通利くはずだけどな」
不服そうに愚痴る岳斗に、息苦しさを感じる。
本当は俊輔に心配して欲しいのに、視線すら合わせてもらえない。
航の欲している労いの言葉も、気の利かせ方も、岳斗が完璧なまでに与えてくれる。比べてはいけないが、どうしても頭の中で俊輔を卑下してしまう自分がいる。嘘でもいいから、このくらいのセリフを言って欲しいものだと、心の中でため息を吐く。
「あのさ、僕、俊輔くんと番うの諦めることにした」
意を決して報告すると、岳斗は瞠目として航と向き合った。
「本気?」
こくりと頷いて返す。
「本当は前から気付いてたのに、気付かないふりをして現実から逃げてた。僕たちはとっくの昔に終わっていたんだ」
「それって……新しいアルファを探すってこと?」
「どうだろう。そんな簡単に都合よく相手が見つかるとは思えないよ。出会いたいって思って出会えるものでもないしね。特に僕は男のオメガだから難しいんじゃないかな」
諦めではなく現実を語る。
本気で相手を探すなら、婚活パーティーにでも行くしかないが、その勇気も航にはない。
それでも発情期に助けてもくれないアルファに固執するよりは、一人の方が幾分かマシのように思える。
岳斗に作り笑いを向けると、こちらをじっと見据えている。
何か気に触ることを言ったかと身構えていると、いきなり髪を掻き乱す勢いで撫でられた。
「航~~ 強くなったな!」感動しながら言う。
「何それ」つい可笑しくて笑ってしまった。
「実はさ、ずっと心配してたんだよ。一年以上も恋人の発情期に現れないアルファなんて、考えられないだろ。でも航が好きなら仕方ないのかなって思うと何も言えなくてさ。自分でケジメつけたなら、これからは安心かな」
岳斗がそれほどまでに思っていてくれているとは思いがけない。
「そんな風に考えてくれてたんだ」
「当たり前だろ。親友じゃん」
ニカっと白い歯を見せて笑う。航もつられて笑った。
取り繕うようなメッセージも、顔色を伺いながら交わす会話も、虚しい発情期とも決別し、それを喜んでくれる人がいる。
「ありがとう。もう僕は番なんていらない」
決意表明をすると、岳斗は身を乗り出して「それはダメだ」と叫ぶように言う。
「ど、どうしたの急に」
「桜庭さんと決別したのは正解だと思う。でも番のいないオメガがどれだけ危険なのか、自分が一番よく知ってるだろ? 航はただでさえオメガ性が強いし、発情期のスパンも安定していない。でも番がいれば色々と楽になれるじゃん」
「でも僕のために相手が何かを犠牲にしなくちゃいけないなら、僕の存在は重荷にしかならない。どうせいつかは、ダメになる」
「……ならないよ。俺となら」
「えっ」
予想もしてなかった言葉に、航は目を瞠る。
岳斗は航にぐいと顔を寄せ、話を続けた。
「航の発情期が近づく度、頼ってくれるのが俺ならいいのにって思ってた。でも航は毎回『今度こそ番になる』って期待してて……入り込む隙もなかった。けど……けどさ」
岳斗の言葉に呆然としてしまい、言葉を失う。
アルファとは知っていた。しかしこれまで航に対して恋愛感情があるなど、僅かな素振りも見せなかった。それは航がずっと恋人を捨てきれなかったからと言うのか。
「なぁ、航。俺を番候補にしてくれない?」
真剣な眼差しから、冗談ではないと伝わってくる。
「ちょっと待ってよ。いつからそんな風に考えてたの?」
「実は大学に入学して出会った瞬間から、航が運命の番だって気付いてた」
「僕と、岳斗が……運命の番」
「そうだよ」優しく、儚げに微笑む。
「まさか……、そんな……、どうして」
困惑する航に、岳斗は「運命よりも好きな人を選ぶ人生だって間違いではないから、見守っていた。でも俺もチャンスを逃す気はない」とはっきり言った。
「航が嫌がることはしたくない。ただ、これからの付き合いかたは変えてほしいけどね」
「う……ん……」
思わず頷いてしまう。
「それって番候補として認めてくれるってこと?」
「そんな……オメガがアルファを認めるとか、許されないよ」
「なんでオメガに決定権はないみたいな言い方? そんなの、お互いの気持ちが大切じゃん。改めて、番候補としてよろしく」
岳斗に促され握手を交わす。
岳斗は、航の発情期が明けた時に頸の噛み痕がなければ、今度こそ番候補を申し出ようと決心していたのだと頬を染める。
「すげー緊張した」
破顔した笑顔に、可愛いなんて思ってしまう。
その後はいつも通りに接してくれたが、どこか甘く感じるのはきっと気のせいではない。ずっと足がふわふわと浮いているような、心がむずむすとこそばゆいような、変な感じがする。
岳斗と過ごしている間は俊輔のことも考えずに済んだ。
次第に航自身の気持ちにも変化が訪れ、マンションで使っている物も少しずつ新しいものに買い変えていき、俊輔の気配を徐々に消していく。気持ちが晴れ晴れとし、生まれ変わったように思えた。
「これ、良かったら使って」
岳斗が自分の服を差し出す。有り難く受け取ってマンションに置いた。
寝る時に抱きしめると、これまでにないほどの安眠が待ち受けていた。これも運命の番の効果なのかと考えてしまうほどだ。
楽しいのは今だけかもしれないという不安とは、常に背中合わせである。それでも岳斗には素直に甘えられるし、気兼ねなく頼れる相手がいるのは有り難い。
それどころか、岳斗は航からお願いするたびに嬉しそうに引き受けてくれる。俊輔では考えられないリアクションに、航の方が戸惑ってしまうこともしばしばあった。
岳斗と二人で過ごす時間はあっという間に流れていく。友達以上、恋人未満。そんな関係は都市伝説のような気がしていたが、今の岳斗との関係はまさにこれだった。それも航の気持ち次第でいつだって恋人になれるのだ。
これまで以上に二人きりの時間が増え、岳斗に惹かれていくのを自覚している。ずっと見守ってくれていた岳斗に『好きになった』と、どんなタイミングで言えばいいのか。それだけの問題になっていた。
そんな楽しい時間に終止符が打たれたのは、二ヶ月以上が過ぎた時だった。
いつものように岳斗と遊んでマンションへ帰ると、ドアの前に誰かが立っているのに気がつく。
「航」低い声で呼ばれ記憶が呼び戻される。
目の前に立っていたのは、俊輔だった。
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