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Opening 三十世紀より愛を込めて《Side 佐藤太郎》

 ぼくは、これといった特徴もない。人混みに紛れれば、あっという間に見失ってしまう、地味な人間だ。  どこまでも「普通」という言葉が似合う男。  仕事でミスをすれば上司に叱られ、先輩から野次を飛ばされながらアドバイスをもらい、後輩に世間でいうところの一般常識や業務内容を教える。同僚たちと、ときには競争し、ときには業績を上げるために協力しあう。  たまの休みには旧友たちと他愛のない会話を酒の(さかな)に朝まで飲み明かす。  そんな平穏な日々を過ごしている。  世の中にはそれを「つまらない人生」だと一蹴する人たちもいる。  ぼく自身、小さい子どもの頃は、「普通」の生活を送る大人にだけはなりたくないと思っていた。  朝起きたら、ご飯を食べて学校へ行く。退屈な授業を受け、給食を食べて家へ帰ったら宿題。夕飯をとって寝る。  同じことを繰り返すだけの日々はただ、ただおもしろみにかけ、窮屈で仕方なかった。いつだって刺激に飢えて、興奮できるものに何でもすぐ飛びついた。それでもどこか満たされない。暇さえあれば非日常的な世界を夢想し、退屈な毎日を抜け出す方法ばかり考えていた。  だから彼らとの出会いは、まさに青天の(へき)(れき)だったんだ。  ふたりがいた三年間は、ずっとハラハラドキドキの連続だった。今、この瞬間を生きているんだと実感できたのは、生まれて初めてのことだった。  あのときの経験は今でも大切な宝物だ。同時に、失ったものも数え切れないくらいある。  何も知らない大人たちにとって彼らの存在は、子どもたちを危険な目にあわせる世にも恐ろしい災厄でしかなかった。  十八の青いぼくは彼らのよき理解者であり、彼らの立場に寄り添っていた。  でも今年で五十九。人の子の親となり、もうすぐ孫も生まれる。半世紀以上も生きていれば、当時の大人たちの気持ちが痛いほど理解できる。  生物である限り、ときの流れに逆らえない。それが、なんだか少し悲しいし、さびしいなと思う。  でも……もし神様が、一度だけ時間を巻き戻す機会を与えくれて、「あのふたりと関わらなければ、もっと明るい未来がおまえを待っている」と教えてくれても、ぼくは断固として首を横に振るだろう。  澄み渡った雲ひとつない空を見上げた。  ねえ、(より)(ひと)くん、(あや)()くん。ぼくらは今でもきみたちを、きみたちと過ごした日々を覚えているよ。みんな、ふたりの幸せを心の底から願っているんだ。  だから、どうかぼくたちのことを……忘れないで。

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