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第二話-3
近くのカフェチェーンに入り、ノートパソコンを開く。
地大の仕事はゲイキャバのキャストだけではない。知り合いから預かっている仕事や、メールに届いているファイルを確認して、頼んだホットカフェラテを飲んだ。あたたかいミルクが項の辺りを包む感覚と、カフェインが脳をきゅっと引き締める感覚が同時にして地大は好きだ。
隣の席で、休憩中らしいスーツ姿の若い男女が歓談している。
「この前、同窓会行って懐かしくなってさ。今度ごはん行こうってなったんだけど、向こうが出してくる店がランク違うの」
「ああ、あるよねー。金銭感覚の違い。でも、高いって言い出しづらくて合わせちゃうやつ」
「そそ。住む世界が違うって言うの? あぁ、もうバカやってた学生じゃないんだぁって」
仕事をしながら、耳はついつい気だるい会話を盗み聞きしてしまう。
確かに、望は実家の会社でバリバリ働いて、この先のキャリアも約束されているだろう。小学生の頃は気付かなかったが、そもそも生活水準が全く異なることが、マンションからして一目瞭然だ。
それが、たまたま再会した小学生の頃の友達というだけなら、はいさよならで問題ない。地大の場合は恋だ。ずっと記憶の端に引っかかっていた思慕。それを改めて自覚してしまった。想いと理性に引き裂かれそうだ。
地大としては離れがたいが、望のことを考えれば迷惑になることは必至だった。望は輝かしい未来が待っている御曹司だ。その人生のためにはならないだろう。
「おれ、どこで道まちがえたんだろ?」
「え、間違えなければ同じとこいたの?」
「……いや、ムリだわ。スペックが違うもん」
隣から聞こえる声に勝手に鬱屈としながら、地大はキーボードを叩く。
依頼されていたSNSの文案を送ると、すぐに了承のメッセージが届いた。
望のように大きな会社での仕事ではない。影響を与える人数も、金額も、規模も歴然とした差がある。比べることさえ笑ってしまうほどに。
それでも、これが地大の仕事だったし、自負がないわけではなかった。依頼主が小さなカフェバーの店長であっても「ありがとうございます!」と礼を言われればやりがいを感じる。
見上げると、空が夕暮れ前の淡い薄水色に染まっていた。夏至に向けて日が長くなっているが、もう夕方だ。
泊まる場所のことを考えながらスマホを立ち上げると、通知が入っていた。
望だ。着信履歴が二件。
ロックを解除して確認すると、仕事をしている最中だった。消音にしていたので気付かなかった。
ショートメッセージにも通知マークがついている。
小さな期待の芽が、顔を出す。
地大は躊躇う指で、アプリのアイコンをタップした。
先頭に今日送信した電話番号が載っている。
『気付いたら、連絡ください』
はあ、と地大は大きなため息を吐いた。
期待の芽はのび、大きくなって理性を絡めとろうとしている。
小学生の頃の望が蘇った。
地大くんはすごい、かっこいい、と瞳を輝かせてくれた望の姿だ。
──オレは、あの頃みたいに、望に笑ってもらえるんだろうか。一緒にいて楽しいと思ってもらえるんだろうか。
恋慕としての好きはもらえないでもいい。しかし、友人としての好きさえ消えてしまわないかという恐れはあった。あれから、生活も、価値観も、二人をとりまく様々な要素が違いすぎる。
『気付いたら、連絡ください』
代わり映えのないフォントが、そうメッセージを刻む。
身体の内側に、まだ昨日の熱が小さく燻っていた。
火種がはぜる。
この気持ちを消すまいと、ぱちりとはぜる。
──地大くん、ぼくね……。
茜色の教室、そこで微笑んだ望に惹き込まれた。恋をした。
──地大くんを怒る先生たちだって、やっつけられるよ。
目を細めて、幸せそうに告げた、少年だった望に。仄暗く輝く瞳で微笑む望に。
──だから、地大くんは自分のこときらいにならないで。
地大は心を掴まれて、理解される快感を知った。
* * *
ガラガラガラ
キャリーケースとスポーツバッグ、そして背中のリュックサックには、地大の生活必需品が詰まっている。
あれから、『ガニメーデ』に戻って、散らかしていた私物を全て引き上げた。
ガラスと木と金属でできた扉の前で、地大は深呼吸をする。
意を決して、あたたかなライトで照らされたエントランスに入ると、迷わずインターホンの前に進んで、番号を押した。出てくる時に何号室かは把握している。
ピーンポーン
通話が繋がるまでの沈黙が、ひどく長く感じられた。
八時を回っている。この時間ならば、おそらくもう帰宅しているだろう。
ブツッと小さなノイズがする。
「待ってて!」
地大が用意していた言葉を発する前に、スピーカーから望の叫ぶ声が聞こえた。またブツッと切れる音がする。
地大は静かなエントランスで待った。居心地はよくなかったが、幸い通り過ぎる住民はいなかった。
一、二分といったところか。オートロックの奥から、部屋着の望が飛び出してきた。
そのままの勢いで、地大の前まで歩み出ると、まっすぐに頭を下げる。
「昨日は、本当にごめんなさい」
真剣な望の謝罪に、地大は違うと声を出す。
「望っ」
それでも、地大の反論を認めないというように、望は言葉を続ける。
「つい、で許されることじゃないけど、とにかく謝らせてください」
地面を覗き込むように頭を沈めた姿勢では、望がどんな表情かわからない。硬い口調と焦燥感すらおぼえる声音は、真面目さだけではなく、地大に対する思いやりも滲んでいた。決して形式だけのものではなく、気持ちの表れだとわかる。
違う。あれは、オレが誘ったからでもある。そんなに謝らないで。
口に出したい言葉はたくさんあった。それは望に伝えるべきものでもあった。
けれど、地大の期待は、別の形で顕現する。
「じゃ、泊めて」
「え?」
「あ、ちが、そうじゃなくて……」
慌てて顔を上げた望に、地大は自分の口から出た言葉を今さら認識した。この言葉を言おうとは想定していたが、それはいくつもの段階を越えた先で、今じゃない。
「えーと……だから!」
動転の言葉は、静まり返ったエントランスに反響する。
地大の混乱で、反対に平静心を取り戻したのか、望は小さくふきだすと、柔らかく微笑んだ。
「とにかく中へどうぞ」
浮ついた声で告げ、望は鍵でオートロックを開けた。
家主がいるというだけで、昼のがらんとした姿とは大違いだ。半日ぶりに帰ってきた望の家に抱く最初の感想は、それだった。
荷物を入れ、リビングで座って向かい合う。
あぐらをかいて、地大は望の正面で話し出した。
「昨日のことは、オレから仕掛けたからさ。望は悪くないっつか」
「いや、それでも、やりすぎました。本当にすみません」
「そんなマジメに謝んなって。……オレも、ごめん。酔ってたとはいえ、幼なじみにフェラとか」
望が真摯な謝罪をすればするほど、地大の心は浮かばれない。恋情からの誘惑に言い訳をすると、望には同じ気持ちがないのだと思い知らされる気がする。
沈黙がおりて、地大は両手を勢いよく振った。
「あー、もう! 昨日の話はここで終わり!」
一つ咳払いをして地大が改まると、望は自分の顎に手を添えた。
「それで、泊めてっていうのは?」
「オレさ、ばあちゃんと一緒に住んでんだけど」
「そうなんですね」
「うん。両親は父親の故郷 に帰ってカフェやってる。尾道。昔からの夢だったーとかって」
「へえ。素敵じゃないですか」
小学生の頃は、お互いの家族のことなど興味がなかったし、話しもしなかった。事実、地大は望の家のことをほとんど知らない。久世堂についても、インターネットに載っている情報以上の知識はなかった。
素直に両親を褒める望に、地大は胸が落ち着かなくて頬を掻く。
「まあ、それはそれとして。ばあちゃんはアパート貸付してるんだけどさ、自宅のアパートを建て替えしてて、今」
「あ、それで……」
納得したとばかりに、望は両手をぽんと叩く。今日も、昨日も、そういうわけだったのか、と。
「そ。だからー、望」
地大は少し可愛い声にして、望の顔を覗き込んだ。
「泊めて?」
宝石のように綺麗な瞳と視線を合わせて、目を細めた。唇をつり上げる。ゲイキャバでもよくする、おねだりの時の表情だ。
ゲイキャバではちっとも緊張しないのに、望の返答を待つ間、地大の胸は早鐘を打つようだった。表に出ないように取り繕いながら、祈るように見つめる。
自宅の建て替えは、ていのいい言い訳だ。それが終われば、どちらにしろこの関係は終わり。
それまででいい。
それまででいいから、一緒にいたい。
終わったら、望を自由にするから。どうか。
仮初の夢を見せてほしい。
望が小さく瞬いた。わずかに息を吐く。
「……そういうことだったら。書斎も空いてますし、自由に使ってくれていいですよ」
思いのほか柔らかい望の声に、地大の心臓がどくんと跳ねる。
喜びのまま、地大は望に抱きついていた。
「やったー! のんちゃん、だーいすきー!!」
ぎゅうと首を抱きしめると、
「地大くんっ」
望はうろたえながら、地大の背中を遠慮気味にタップする。
「てか、望って男もイケるの?」
身体を離して問いかけると、望は呆れたようにため息を吐いた。
「……昨日のことは終わりって言ったじゃないですか」
「幼なじみとして知っておきたい!」
「なんですか、それ」
望は極まり悪いというように、俯いて項を撫でる。もごもごと小さな声が零れた。
「そこは、なんていうか、地大くんだから……」
「え、なーに? 聞こえないんですけど」
地大が調子を取り戻して叱咤すると、望は深く息をして、静かに告げた。
「……俺は同性愛者ですけど、幼なじみとして地大くんを歓迎しますよ」
幼なじみとして、の部分が、大きな質量を持って地大の心にのしかかる。想い人が同じ性嗜好であるのに、恋愛の相手として見ていないと言われているようだ。形になると、想像以上に辛い。
「オレも、そうだよ」
一縷の望みを託すように、地大はそう囁いた。
望が硬い声で返答する。
「期待してます?」
「……のんちゃんは?」
そこで『してる』と言えればいいのに、つい『してない』態度になってしまうのが地大の悪いクセだった。
「……あんまりからかわないでください」
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