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第1話 ただの同期
午前十時。会議室に集まりはじめたメンバーの中で、日比野慧(ひびの・さとる)はひときわ忙しそうに資料を抱えて出入りしていた。
「――あ、このコピーもう一部必要だな。ごめん、ちょっと待ってて」
周囲に声をかけながら、笑顔で空気を和ませつつ手を動かす。真面目で責任感が強く、自然と場を回す役を引き受けてしまうのは、彼の性分だった。
そんな様子を横で見ていた高村翔央(たかむら・しょう)は、落ち着いた足取りで近づき、すっとファイルを差し出し微笑む。
「足りない分、さっき出しておいた。――こっちの数字は、最新版に差し替えてあるから」
「えっ……ありがとう! 助かる」
ぱっと表情を明るくする日比野に、高村はにこりと微笑む。やさしげな雰囲気の中にも余裕があり、隠せない頼もしさがあった。
やがて日比野はメンバーを見渡し、
「じゃあ、そろそろ始めようか」
と声を張る。
その横で高村はノートPCを開き、冷静にデータを準備する。
場を鼓舞する日比野と、それを支える高村―二人が同じプロジェクトに並んでいるのは、社内でもよく見られる光景になっていた。
「それでは、本日の進行を始めます」
日比野がホワイトボードにプロジェクトの流れを記していく。メンバーの視線が集まり、自然と場の空気が引き締まった。
「まずは前回の課題について。――進捗どうかな?」
一人ひとりに目を配りながら、明るく問いかける。緊張気味の若手が言葉を探していると、日比野はすかさずフォローを入れた。
「大丈夫。まだ途中でも、どこで詰まってるかだけでも教えて」
その言葉で空気が和らぎ、メンバーが口を開き始める。
横でノートPCを操作していた高村が、すっと画面を共有した。
「ここがボトルネックになってる。数字を見ても一目瞭然」
的確な指摘に、場が一気に納得の色を帯びる。
「なるほど……。じゃあ、それを解消するには――」
日比野がペンを走らせながら、ホワイトボードに改善案をまとめていく。
「高村、追加の分析結果も見せてもらっていい?」
「もう準備してあるよ。――はい」
差し出された資料を受け取り、日比野は思わず微笑んだ。
「さすが。早いな」
「日比野が急ぎそうだったから」
軽いやり取りに、周囲から小さな笑いが漏れる。会議の緊張が自然とほぐれていった。
会議は滞りなく終わり、日比野がまとめの言葉をかける。
「じゃあ、今日の議題はこれで終わり。次回までに各自、確認しておいて」
メンバーがうなずく中、日比野と高村も軽く視線を交わして、会議室の席を立った。
まだ同期として、普通に顔を合わせる距離感だった。
⸻
その日の夜。チームで打ち上げに向かうことになった。
居酒屋の個室に着くと、メンバーが笑いながら席につく。日比野も席に座り、肩の力を少し抜いた。
高村は横に座り、メニューを見ながら静かに話しかける。
「おつかれさま」
「……うん。おつかれさま」
日比野は軽く微笑み頷く。
日比野と高村、二人の間に特別な感情はまだない。
それでも、同じプロジェクトで何度も顔を合わせた同期として、互いの存在は自然と意識の端にあった。
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