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第58話 少しだけ変わった日常
午後のフロアは、いつもと変わらない空気だった。
キーボードの音、誰かの短い確認の声、コピー機の作動音。
案件の進行表を画面に出しながら、高村は淡々と作業を進めていた。
少し離れた席で、日比野も同じようにパソコンに向かっている。
同じ案件。
同じ進行。
いつもの仕事風景。
休憩に入ったタイミングで、背後からだるそうな声が落ちてきた。
「……なあ、聞いてくれよ……」
振り返ると、中野が椅子に寄りかかるように立っていた。
目の下にうっすら影がある。
「彼女と別れた。つーかさ……二股かけられてた」
「うわ……」
日比野が思わず声を漏らす。
高村も、言葉少なに「それは……きついな」と眉間に皺を寄せた。
中野は大きくため息をついてから、急に顔を上げる。
「よし! こういう時は合コンだろ!な!
二人とも行けるよな?」
その勢いに、日比野は一瞬だけ言葉に詰まった。
そして、ほんの一瞬――高村のほうを見る。
高村は何も言わない。
ただ、視線を返す。
日比野は小さく息を吸ってから、中野に向き直った。
「あー……俺、好きな人……っていうか、付き合ってる人いるからさ。合コンはパス」
中野は目を見開いた。
「は!? お前、前までそんなのいねぇって言ってたじゃん!」
「タイミング、な」
軽く笑って答える日比野の横で、高村も口を開く。
「……俺も、付き合ってる人いるから。
合コンは行かない。中野を励ます会なら参加するけど」
一拍遅れて、中野が頭を抱えた。
「え、待て待て。お前ら二人とも?
……今、一人なの俺だけ?」
大げさに嘆いたあと、顔を上げて叫ぶ。
「くそ〜! じゃあ合コン中止!
同期ヤケ酒会に変更だ!今夜、飲みに行くぞ!」
そう言い残して、自分のフロアへと戻っていく。
その背中を見送りながら、二人は顔を見合わせた。
言葉はない。
でも、どちらからともなく、ほんの少しだけ表情が緩む。
「……仕事、戻るか」
「うん」
短い会話を交わして、それぞれの席に戻る。
画面に向き直り、またキーボードを叩き始める。
同じ仕事。
同じ時間。
でも、確かに少しだけ変わった日常。
それを特別だと確かめる必要は、もうなかった。
――第2章・了
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