64 / 66
第59話 越えない一線
告白から二ヶ月。
付き合うという言葉が、ようやく日常に馴染み始めていた。
仕事が立て込んでいて、平日はどうしても余裕がない。
二人で休日を過ごすのも、気づけば久しぶりだった。
昼に外で待ち合わせをして、簡単に食事を済ませてから、自然と高村の部屋に向かう。
見慣れた道。
見慣れた横顔。
それだけなのに、隣を歩く距離が、以前より少しだけ近いことに気づく。
部屋に入ると、高村はキッチンに立ち、前に一緒に買ったマグカップを棚から取り出した。
コーヒーを淹れて、テーブルに運ぶ。
「映画でも見る?」
いつも通りの言葉。
特別な意味は込めていない。
「いいね」
日比野も、いつも通りに笑う。
適当に一本選んで、ソファに並んで座る。
気づけば、自然と同じ体勢になっていた。
日比野が、高村の胸に背を預ける。
高村は後ろから、抱きしめるように腕を回す。
当たり前だった距離。
今までも、何度もこうしてきた。
けれど。
日比野の少しくせのある柔らかい髪が、唇や首元に触れる。
それだけで、くすぐったさと一緒に、言葉にしにくい感覚が込み上げる。
高村は、無意識に息を整えた。
——映画に集中しろ。
画面に視線を向け、音を追いながら、意識はどうしても別にある。
今まで当たり前のように触れてきた日比野の髪、肩、体温。
それが最近、触れるたびに、どうしようもなく意識を引きずられる。
好きな相手に向ける感情として、
それが自然なものだということは、分かっている。
でも同時に、高村は分かってしまう。
今まで安心しきって体を預けていた相手が、
ある日突然、違う目で自分を見る。
それは、信頼が壊れる瞬間だ。
やっと気持ちが通じ合って、
二人で穏やかに過ごせるようになった今。
この時間を、
日比野を怖がらせるような自分の衝動で、壊したくなかった。
それでも。
触れたい、と思ってしまう。
この距離を手放したくない。
ぬくもりを、感じていたい。
触れたら、壊してしまいそうで怖い。
触れなければ、遠ざかってしまいそうで怖い。
相反する感情に挟まれて、
高村は、そっと目を閉じた。
そして、日比野の髪を、ゆっくり撫でる。
あくまで、優しく。
今までと変わらない手つきで。
日比野の体が、安心したように少しだけ緩む。
その無防備な反応に、高村の胸が静かに痛んだ。
——大丈夫だ。
今は、これでいい。
今は、まだ。
高村はもう一度、意識を映画へと戻した。
日比野を抱いた腕に、力を込めすぎないようにしながら。
ともだちにシェアしよう!

