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第二話-1
オメガ専門の風俗ともなると、オメガを組み敷くことに悦楽を覚えたベータの客も少なくはない。
アルファに頭が上がらない彼らは、まるでアルファにでもなった気持ちでオメガを相手に鬱憤を晴らす。あまりに乱暴な行為は出禁になるため、ギリギリのところまで痛めつけてプレイと言い張る客も少なくはない。
麻陽なんかは華奢で小さいから標的にされやすく、過激なことも多く求められてきた。
その日も麻陽は、ベータに乱暴に抱かれた。
禁止事項である中出しをされ、自身が射精をしても動きを止めない。麻陽は縛られさらに口元にガムテープまで貼られたから抵抗もできず、奥に何度も出された。
しかしこんなことも慣れている。麻陽は気だるげに起き上がり、いつもと変わらないペースでシャワーを浴びた。
時刻は二十一時前。確認して部屋を出る。
「あっちゃん? これからお出かけ?」
ロビーに居た男が驚くままに声をかけた。出掛けるにしては遅すぎる時間だ。
「うん、ちょっと約束があって」
「へ!? 約束!? あっちゃんが!? え、なんで、お友達できた!?」
「うーん……お友達? なのかなぁ」
「えー! こりゃオーナーに言わんと! 絶対めっちゃ喜ぶよ! ケーキとか買ってくるかも!」
「そーかな……あ、ツクモさんって次いつお店に来る? 僕ちょっと話したいことあって」
「オーナーならあっちゃんに友達できたっつったら明日にでも飛んでくるでしょ。任せて、言っとくから」
「ありがとー」
オーナーにはシフトのことについてを話さなければならない。麻陽はすっかり忘れていたけれど、彼に言われて思い出したようだった。
外はすっかり暗いのに、風俗街はギラギラと明るい。麻陽は慣れたように真ん中を抜ける。
「あっちゃん、行ってらっしゃい」
「珍しいなぁこんな時間に」
「楽しんでおいで」
顔見知りの同業者が麻陽を見つけては一言何かを投げかけるから、麻陽は手を振ってばかりだった。
ぶぶ、とスマートフォンが震えた。ちょうど、待ち合わせ場所の近くまでやってきたところである。
『着いたら教えて』
キョロキョロとあたりを見渡せば、壁際に立っている彼を見つけた。
「ことりさん」
「ああ、着いてたか」
麻陽は普段あまりこの時間外に出ないためか、普段よりも幾分楽しそうに見えた。そんな麻陽を見て、彼は少しばかり表情を緩める。
「食事をしようか。腹は減った?」
「うん。そーいえば晩ご飯食べるの忘れてた」
「……そうか」
少しだけ渋い顔をして、彼はそれきり黙り込んだ。
連れられたのは高級なレストランだった。麻陽はたまにオーナーに連れられるくらいで、あまりこういった店に馴染みはない。しかし緊張感もなく普段どおりの格好で入ると、やってきた店員は一番に麻陽のチョーカーを見た。それでも眉ひとつ動かさないのはさすがと言うべきか、通常通りに奥の個室に案内する。
個室のある店を選んだのは、彼なりに麻陽を気遣ってのことだろう。当然そんなことに気付くこともなく、麻陽はわくわくと料理を待っていた。
「……今日はきみのことを教えてくれないか」
「僕のこと?」
「まあ、知ってはいるんだが、きみから実際に聞いたわけじゃないし……」
「んー? いーけど、楽しくはないよ?」
「別に楽しみたいとも思ってない」
「ふーん?」
あまり待つこともなく、飲み物と前菜がやってきた。丁寧に置かれたそれを見て、麻陽はさっそく手を付ける。
「小学四年生の頃に両親が死んで、そっからお父さんの弟のお家にお世話になってたんだけど、中学生になった直後の第二次性別検査でオメガだって分かってからずーっと家でエッチばっかりしてた。叔父さんの家には叔母さんと娘が居たんだけど、叔母さんは僕が娘に手を出さないかってそっちばっかり気にしててさ、まさかおじさんが僕を襲うなんて思ってもなかったんだろーね」
テーブルマナーなんか知らない麻陽はいつものように食べているが、正面に座った彼は仕草も綺麗なものである。上品に一つひとつを口に運び、真剣な眼差しを麻陽に向ける。
「でも十六歳のとき、エッチしてる最中に叔母さんに見つかっちゃった。叔父さん面白かったよ、こいつに誘われたんだって必死に叔母さんに縋り付いてさ。そっから追い出されてー、ふらふらしてたらオーナーに拾われて今の店に入ったって感じだったかな」
特に表情を変えることもなく、麻陽は「そんだけ」と話を終わらせた。
麻陽は最後まで悲観することはなかった。誰を責めることもなく、恨んでもいいはずのことをされたのに、感情がポッカリと抜けたかのように現実を語っただけである。
「……きみは、嫌じゃなかったのか」
「なにが?」
「叔父に迫られたこととか、追い出されたこととか。……それさえなければ風俗でなんか働いてなかっただろ」
「それは別に」
「どうして」
固い声を出す彼を前に、麻陽は不思議そうに目を瞬く。
「だって、今が一番楽しーよ。今を楽しく過ごせてるのは叔父さんが僕を襲ってくれたからでしょ? 叔父さんのおかげでエッチ楽しーって気付いて、追い出してもらえて、楽しく過ごせてるもん。嫌って思ったりなんかしないよ」
かちゃん、と、彼はフォークを行儀悪く音を立てて皿に置いた。表情も厳しい。何かを堪えるように手も震わせ、唇を軽く噛み締めている。
「きみは感情が欠損してる」
「……けっそんってなに?」
「おかしいってことだよ。きみはおかしい。そんなふうに思うべきじゃない。もっと泣いていいんだ。叔父や叔母を恨めよ、それが自然だろ。俺だったら絶対許せない。見返してやるって、奮闘して生きることを選ぶ」
「ふーん。大変そー」
「大変ってなんだよ、きみのことだろ」
彼は怒っているのか、徐々に険しい表情に変わる。
「どうしてもっと悲観しない。嘆いたらいいだろ。誰かを頼れよ。もっと恨み言吐き出してさ、我慢なんかしなきゃいい。きみは可哀想だよ」
彼は必死に伝えるが、残念ながら麻陽には少しも伝わらない。
麻陽は不思議そうな顔をしていた。麻陽の中にはない感性だったからだ。
「頼るって……誰に?」
麻陽が、ぽつりとつぶやいた。
「どっこも頼るところなんかなかったよ。親戚の人は両親の葬式はしてくれたけど、僕のことはどーでもいーみたいだった。……泣いたって助けてくれないよ。それなら楽しーほうがいいでしょ」
──まだ子どもだった麻陽に、両親の死は重すぎた。
麻陽はずっと、それこそ涙が枯れるほどに泣いていた。葬式中にはしゃくりあげるほど、火葬のときもずっと一人で泣き続けた。しかし周囲は目もくれなかった。ただ自分たちのことだけを考え、誰があの子の面倒を見るんだと押し付け合うばかり。施設に行かせようという話も出たが、叔父夫婦は麻陽の父に世話になることも多かったのだから恩を返してやれと、麻陽は結局そこに押し付けられた。
「楽しーって思い始めるとね、すっごく楽しくなる。泣いてたのがもったいなかったって思えるくらい。だから僕は今幸せなんだよね。すっごい楽しーし、この人生に感謝してる」
なんてことないように言う麻陽を前に、彼は拳をきつく握り締めた。泣きそうな顔をしている。そのタイミングで次の料理がきたものだから、店員が驚いたように彼を見ていた。
麻陽が無邪気に料理を喜んでいる間に、店員が立ち去る。
「すまなかった」
麻陽が一口、料理を口に運んだときだった。
彼がいきなり頭を下げた。
「……へ? どーしたの?」
「俺はあまりにも無神経だった。きみの言うとおり、子どもが頼れるところなんかない。嘆いたってどうにもならないんだ。強く生きて、どうにか自分を守ってきみはこれまで生きてきたのに、そして今を大切に生きているのに、俺は欠損だとか可哀想だとか失礼なことを言った。……これまでも。俺はきみに〝普通〟を押し付けたな。そんなふうに生きてきたとは知らず、調査結果だけで分かった気になって無神経だったと思う。本当にすまない」
相変わらずもりもりと箸を進める麻陽は、彼がおそるおそる顔を上げてようやく、口の中に詰め込んだものを飲み込んだ。
「別に気にしてないけど」
麻陽は一度飲み物を含み、ふたたび料理に手を伸ばす。
「きみが気にしていなくても……」
言いかけて、彼はゆるく頭を振る。
「そうだな。そうか。きみは気にしないのか。……俺なんかよりもうんと大人だ。きみはすごいな」
「すごい?」
「すごいよ。素晴らしいと思う。俺もきみのようにあれたなら、きっと婚約者にも捨てられなかった」
「ことりさん、婚約者さんに捨てられたことショックだったの?」
「そりゃあね。出会いはお見合いだったけど、好きになろうと努力はしたし……彼となら良い家庭を築けると思っていた」
そこでようやく、彼は箸を持った。
それから彼は当たり障りのない話題を麻陽に振っていた。
普段はなにをしているのか。どんな食べ物が好きで、なにをするのが楽しいと思うのか。彼はとにかく麻陽に聞いてばかりだったが、麻陽はどれにも曖昧な答えを返すばかりだった。
食事を終えて外に出ると、すでに時刻は二十三時を迎えていた。
普段の麻陽なら、この時間は仕事をしているかすでに就寝中である。今日は仕事もないし帰って寝るかとひっそりと決めて、くるりと彼に振り向いた。
「ことりさん、今日もありがとー」
「いや、これは俺の気持ちだから。……楽しかった?」
「うん。美味しかった」
「……まあ、うん。それでもいいよ」
どちらともなく歩み出して、二人は自然と隣に並ぶ。
「ことりさんなんでフラれちゃったんだろーね。こんなにいー人なのに」
「きみはそう言ってくれるが、俺は口やかましいぞ。すぐイライラするし、押し付けるし無神経だし……」
「でも今日カリカリしてないよ?」
「ん、そういえば」
彼はふっと微笑んで、麻陽を少し覗き込む。
「きみに話を聞いてもらったからかな。少し余裕ができた気がする」
「ふーん?」
意味を理解していない麻陽は数度目を瞬き、不思議そうに彼を見つめるだけだった。
けれどそれで良いのだろう。そんな麻陽だからこそ、一緒にいて楽だと思えるのだ。
麻陽は感情に流されることなく、物事の本質をとらえている。それがはっきりと分かるから、穿つことなくまっすぐな目で麻陽を見ていられる。
彼は気を張って生きてきたが、麻陽の隣ではその必要もない。
「……麻陽、と呼んでもいいかな」
「いーよ」
「だろうな。きみならそう言うと思ったよ」
やや残念そうなその言葉に、麻陽は「じゃあ聞かなきゃいいのに」とは返さなかった。麻陽にはこの時間が心地よくて、彼も機嫌が良さそうだったから、なんとなく壊したくなかったのかもしれない。
ちらりと彼の横顔を見上げた麻陽は、すぐに目を逸らす。
「……水を被った日が、人生でどん底のピークだった。それまでにもポツポツと、親が過労で倒れたり、大口の契約先と関係が悪くなったり、まあ嫌なことは続いていたんだけど……あの日の朝に愛犬が死んで、出社してすぐに友人が金を持ち逃げしたことを知った。最悪の気持ちの中商談に向かう途中で婚約者から別れを告げられて、その直後に水をぶっかけられた」
「ほんとすごいよね。びっくりする」
「だから本当に、あの日に死ぬんだって思ったくらいだったんだよ」
彼が不意に足を止める。一歩先で麻陽が振り返ると、優しい表情を浮かべた彼と視線がぶつかった。
「でもきみがあんな調子だっただろ。……正直気が抜けた。そしたら少し冷静になれて、商談もうまくいったんだ。友人もその日のうちに見つけたし、実家に帰って、犬も落ち着いた気持ちで弔ってやれた。ついでに親の元気そうな顔も見れたしな」
「よかったね」
「きみのおかげだ。ありがとう。……そう思ったから、また会いたかった」
「どーいたしまして」
麻陽は不思議な顔をしたままそう言うと、くるりと背を向けた。
きっと彼とはもう会うこともないだろう。すっきりとした顔をしていたし、これでお礼も謝罪も終わりだ。
麻陽は大きなあくびを漏らすと、夜の街に溶けていく。すると突然、背後から思いきり肩をつかまれた。
「また連絡をしてもいい?」
焦った様子の彼がそこに居た。麻陽を真剣に見下ろし、静かに答えを待っている。
「うん。別に、仕事ない時は暇だし」
麻陽の言葉に、彼はホッとしたのか、緩んだ笑みを漏らした。
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